世界一おもしろいこと
「だってあの人、自分のやってることが世界一面白いって、
マジで思ってますからね。
仕事なんて辛いもんだ、歯を食いしばってやるもんだ、
なんて言うオヤジのもとで働いて、面白いわけないですもん」
伊予原新さんの短編集『月まで三キロ』の中の
「山を刻む」に出てくる、
火山を研究している先生のもとにいる大学院生の言葉。
電車の中で読んでいて
この一行に衝撃を受けた。
その時の状況もしっかり覚えている。
とある駅で、電車を待つ間だった。
そのまま本をカバンにしまうのがもったいなくて、
あわあわしながら電車に乗った。
この「山を刻む」のメインはそこではないのかもしれないけど
私の中ではこの先生と大学院生。
この二人だけでもいいと思っていたくらいだった。
ところが、読み進めていって、全然そうではないことがわかった。
この物語の主人公「わたし」は、子どもの手が離れた主婦。
夫は少し前に定年を迎えている。
あー、家族が振り向いてくれない感じの年頃ね?と、
私は勝手な想像をしながら読んでいた。
まあまあある話だし、私にも覚えがないわけじゃない。
一応主婦としてやることはやっているけど、
ちょっと自分のために動いてみることにしたのかな?
くらいの気持ちでいた。
うんうん、写真が好きで、
古いけどいいカメラを持って
高山植物を撮るのが楽しみで、
一人で山に来てみたら
山を研究している大学の先生と、
学生さんに出会ったのね。
息子と同世代の大学院生が、
研究室の先生と楽しそうにやりとりをしている。
なんだかんだと言いながらも、ちゃんとその先生についていく学生。
その中で、冒頭のセリフが出てくる。
その先生は、自分がやっていることが世界一面白いと思っている。
そんな人と一緒にいるって、それだけでわくわくする。
自分がやっていることが世界一面白いと信じている人なんて
世の中にそうたくさんいるわけじゃない。
でもこの学生は、そんな人を見つけてしまった。
一緒にいてみようと思うのも無理はない。
世の中にはそうじゃない「オヤジ」はいくらでもいる。
とりあえず、一緒にいてみようと思う人に出会えた。
これはすごく幸せなことなんだろうと思う。
「ブラック研究室」に入ってしまったと言いながらもこの二人、
漫才でもしているかのようないいコンビに見える。
帰り道を間違えてしまった「わたし」に、
この二人は、車で送るからと声をかけてくれる。
歩きながら、学生は、先生の口車に乗って研究室に入ったというが、
そんなちょっとした、何気ない会話の中で、
先生が言ったひとこと。
「な、山って、いいだろ」
それを聞いたとき、「わたし」の足が止まる。
自分は、そんなことを言ったことがなかった。
なぜもっと、自分の人生を生きているところを、
子どもたちに見せてやらなかったのだろう。
二人の前で、押し付けがましいほどに
山の魅力を語ってやらなかったのだろう。
わたしの一番大きな失敗は、きっとそれなのだーーー
そしてこの時、「わたし」の心は決まった。
その先の事情はぜひ、この小説を読んでみてほしい。
彼女の決心を聞いた先生の口から、このセリフが出る。
「ここ数年で聞いた中では、断トツで一番うらやましい話ですよ」
こんなにも自由に研究をしているように見える先生に、
ここまで言わせるって、最高にカッコいい。
伊予原新『月まで三キロ』収録「山を刻む」
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ありがとうございます。私の書いたものが届いてるんだなーって、すっごく嬉しいです😊