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兜を脱いでもいい場所


昨日、相談会に行ったことを思い出していた。

建設現場のデータを繋ぎたい。そう言葉にした日

あの場に向かう途中や、終わった後の時間を考えているうちに、「どこで人は思考を回復しているのか」ということが気になった。

外向きの自分でいなければならない場所に長くいると、思考は少しずつ硬くなる。相談会場や仕事の場では、内容以前に「ちゃんとした自分」を維持し続ける必要があるからだ。

だからこそ必要になるのが、役割から一度降りられる場所だ。人に見られることを前提にした緊張からも一度切り離される空間。

そこでようやく、「兜を脱ぐ場所」という状態が成立する。外向きの仮面を外し、消耗した思考と身体を一度フラットに戻す。そこで初めて、次に進むか、やめるかという判断が可能になる。

駅直結の大型商業施設のような場所は、その役割を自然に果たしていることがある。移動のための場所でありながら、同時に一時的な退避場所にもなっている。いわば、都市の中のベースキャンプのようなものだ。

トイレがあり、座る場所があり、飲み物が買え、周囲に知っている人がいない。そこで一度、外向きの緊張を解除できる。

その状態があるだけで、帰宅しなくても次の行動を考え直すことができる。続けるか、引き返すかをその場で考え直せる。

外出は意志の強さではなく、どこに戻れるかで決まる。戻れる場所があるほど、人は遠くまで行ける。

カフェでは少し違う。そこには店員さんがいて、私はまだ「客」という役割を持ってしまう。兜を完全には脱げない。

公園のベンチのような場所はさらに別だ。涼しいから心地いいのではなく、そこには「何者でもない状態」が許されている。

ただ座っているだけで成立する場所。誰の客でもなく、何かを提供する必要もない場所。そこでようやく、人は自分に戻ることができる。

そこは誰かと関わる場所ではなく、自分だけと対峙するための場所だった。

人はどこかで、誰でもない自分に戻れる場所を必要としている。

兜を脱いでもいい場所が、どこかに必要だった。

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