夏の想い出 #一枚の写真から文芸賞
小学生の頃、毎年夏休みになると、静岡県の叔母さんの家に、姉と二人で泊まりがけで遊びに行った。
叔母はマリさんといって、ショートカットで、底抜けに明るくて、とても優しかった。マリさんの作るご飯が美味しくて、普段は朝はあまり食べないアタシでも、おかわりをした。特に自家製のオクラとお豆腐の味噌汁が大好きだった。
マリさんは一人娘の純さんと2人で住んでいた。高校生の純さんは、物静かで、長い黒髪が綺麗で、年齢より大人びて見えた。いつも自分の部屋にいて、純さんから話しかけては来なかったけれど、部屋まで行くとニコニコと微笑みながら、相手をしてくれた。
「純は人見知りだから、唯が話しに来てくれるのをすごく楽しみにしているの」そうマリさんが言っていた。アタシも純さんと話すのが大好きだった。
最後に行ったのは6年生の夏休み。姉は部活が忙しく、1人で行った。最後の日、純さんの部屋に挨拶に行くと、手紙を書いていた。
「何のお手紙書いてるの」と聞くと、「ラブレターよ」と教えてくれた。思春期に差し掛かっていたアタシの心は色めき立った。
「え、誰?誰?」
「あそこにおうちが見えるでしょ。アタシの好きな人が住んでいるの。その人宛てよ」
大きな窓から見える高台に、その家はあった。
帰りがけ、マリさんにその話をすると、小さな声で、何かを言った気がした。「えっ?」とアタシが言うと、「ううん、何でもないわ。次に会う時は、もう中学生なのね」マリさんははぐらかすように言った。それ以上は聞けず、結局そのまま帰路に着いた。
中学生になったアタシは、部活と塾で忙しくなり、マリさんの家に行くことができなくなった。子どもの感情というのは残酷なもので、あんなに楽しみだったことも、忙しくなると記憶の隅に置き去りにしてしまう。
高校生になり、好きな人ができた。ハッキリと自覚した恋愛感情はそれが初めてだった。そしてふと、純さんのことが脳裏に浮かんだ。ラブレターを書く純さんの後ろ姿が。
「久しぶりに静岡のマリさんの家に行っても良いかな」
夏休みに入り、居ても立っても居られなくなったアタシは静岡に行こうと考えた。母に相談すると、表情を曇らせて言った。
「ごめん、唯と舞には言ってなかったけど、マリは純と海外に引っ越したの。帰って来たら教えるわね」
これ以上は聞かないでという口ぶりだった。聞くのは諦めたけど、会うことは諦められず、黙って行くことを決めた。
マリさんの住む場所までは、新幹線を使って2時間ちょっと。往復1万円の交通費は痛いけど、それでも行かなければいけないような気がしていた。
その日、母には友だちの家で一緒に課題をやると伝え、朝食を終えるとすぐに家を出た。
駅に降り立ったのは正午前。バスに乗り換え、15分程で目的の場所に辿り着いた。駅からの風景は変わっていなかった。バス停からの道も懐かしくて、あの頃に戻ったような気持ちになった。
マリさんの家はそのまま残っていた。けれど、表札の名前が違う。そのまま帰るわけにも行かず呼び鈴を鳴らすと、白髪の女性が出てくれた。東京から来たこと、叔母がここに住んでいて遊びに来ていたことなどを話すと、家の中に招き入れてくれた。
「夫の定年を期に、東京からの移住を考えていた時にここを見つけたの。3年前ね。海も山も近いし、静かで良い場所だから、すぐに決めたわ」
女性はご主人と2人で住んでいて、マリさんとは関係がなく、前の家主については何も知らないと教えてくれた。そしてせっかくだからと、純さんが使っていた部屋を案内してくれた。
部屋に入り唖然とした。置かれている物は違うけど、造りは当時のまま。大きな窓もそのままだった。けれど、向こうに見えたはずの、あの家がない。
お礼を伝え、バス停に走った。行ったことはないが、行き方は純さんに聞いていた。その記憶を頼りにバスに乗り、あの高台の家があった場所へ向かった。
走って走って、初めて辿り着いたその場所は空き地だった。向こうを見れば、快晴の空が有り、青く澄んだ海が有り、そしてマリさんの住んでいた家があった。この場所で間違いはない。でも、あったはずの家がない。
どうすれば良いのかわからなくなり、しばらくそこで立ち尽くした。自然と涙が溢れ出た。その感情の正体は、自分にもわからない。
「こんな所で何をしているの」
地元の人であろう中年の女性が声をかけてきた。
「あ、いえ、以前ここに家が建っていたと思うんですが…」
「え、ああ、そうね。でも、3年前の放火事件で男の子が亡くなって、他のご家族は引っ越したのよ。お知り合い?」
「はい、昔少しだけ」
動揺を隠し、咄嗟に嘘をついた。
「そう。良い子だったのに。本当に残念。何でこんな事になったのかしら…」
とりとめのない思考を巡らせながら、アタシは東京に帰った。心にはドス黒い痣が刻まれた。
痣が疼く度、あの頃の純さんの後ろ姿が、脳裏に蘇る。
了
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本文1990文字
こちらに参加させていただきました。
花澤薫さま、お納めくださいませ。
