【自己紹介】人生、あとから見ると伏線だらけだった
大阪の下町で育ち、百貨店、税理士事務所、経営企画を経て、還暦を前にFP1級を取得。人生を言葉に残したくてnoteを書き始めました。
ご縁があり、本記事にたどり着いてくださった皆さまに、心より感謝申し上げます。
投稿記事が、エッセイ、お金周りのこと、
小説等、少々とっ散らかっています。
「お前は何者なんだ?」
との問いにお答えするべく、あらためて自己紹介をさせていただきます。
生い立ち
大阪のディープな下町で生まれ、地元の公立小学校・中学校から、老舗の(おじいちゃん世代には受けがいい)府立高校に進学。
その後、大阪府内にある私立大学に進学し、無事、4年で卒業しました。
実家は、狭い三軒長屋に、五人がひしめきあって暮らしていました。
正に赤貧を洗うが如し家庭でしたが、食事は豊かでした。
エンゲル係数(食費÷消費支出)は、大阪府内でベスト100に入っていたかもしれません(笑)。
大学まで行かせてくれた両親には、深く感謝しています。
今振り返ると、この頃の暮らしが、
私の価値観の土台になっているように思います。
百貨店で学んだこと
大学卒業後、全国展開の某百貨店に新卒入社し、実家から電車圏内にある店舗の「法人外商部」に配属されました。
百貨店に入社して土日が休みになるとは、思いもよりませんでした。
法人外商部では主に官公庁を担当しましたが、そもそも営業が向いていなかったこともあり、やりがいを見出せず、かといって売場で活躍する姿も思い描くことができずに、約1年半程で退職しました。
百貨店では、妻と出会いました。
今から振り返ると、妻と結婚するために百貨店に入社したような宿命を感じます。
退職時は、第二新卒の概念がまだ一般的ではなく、「早くも俺の人生終わってもうた」との絶望感に苛まれていました。
百貨店時代のことは、下記の記事に書きました。
この出会いが、その後の人生を大きく変えることになりました。
税理士事務所で得たもの
百貨店を退職し、何か手に職をつけるしかないなと考え、上場企業のクライアントも持つ、個人事業主としてはそこそこ規模の大きい、大阪府下の税理士事務所に潜り込むことができました。
そこでは、簿記2級レベルの経理知識をOJTと独学で、税務知識はクライアントの法人税の申告、オーナー(中小企業メイン)の確定申告、相続税の申告などを通じて習得しました。
世の中の仕組み、お金周りのあらゆること等、今の仕事に繋がる知識全般を、そこそこ以上の給料をもらいながら、学ばせていただきました。
ですが、毎日、朝は8時に出社、事務所を出るのが22時半という激務でした。
税理士事務所在職中に、百貨店時代に知り合った妻と結婚しました。
個人事業主ということもあり、年金は国民年金となってしまい、将来的なことも考え、厚生年金制度のある一般企業への転職を決意しました。
しかし、それは表向きの理由に過ぎず、転職の一番大きな理由は、体だけではなく、心が悲鳴をあげてしまったことです。
一つの課題をクリアすると、また一つさらに難しい課題を与えられる。
いい子を演じてがむしゃらに踏ん張っていましたが、とうとう心が折れてしまいました。
所員数20名前後で、少なすぎるが故、一回嫌われてしまうと逃げ場がないなど、人間関係が難しいところがありました。
これは蛇足ですが、執務エリアは喫煙可で、今は煙草を断っている私も、紫煙をくゆらせていました。
また、朝、昼、3時の毎日3回、女性所員が輪番制で、所員全員のお茶(日本茶の人もいれば、コーヒーその他の人もいる!)を配膳していました。
番頭さん的な人が全てを牛耳っており、面従腹背的に振る舞ってしまう自分にも嫌気がさしていました。
番頭さんは『あれだけ可愛がっていたやつがどうして』という気持ちだったと思います。
入所以来、仕事を手取り足取り教えてくれたNさんには、今でも感謝の念が堪えません。
やめる時の『守ってやれなくて、すまんかった』という言葉が、今でも胸の奥でざわついています。
それから数年後、風の便りで、Nさんが働き盛りの50歳を過ぎたところで急逝されたと聞きました。
今でも、感謝の思いを込めた、お別れの挨拶ができなかったことが、心残りです。
今振り返れば、税理士事務所での苦い経験さえも、私の人生という長い道のりにおいて、あらかじめ用意されていた必然のステップだったのかもしれません。
現在の会社へ
「税理士事務所の実務で培った税務知識の強み」を面接で訴え、無事に現在勤める会社(連結売上高300億円超の某中堅企業)への転職に成功しました。
簿記2級レベルの知識はあるにせよ、簿記検定資格は持っておらず、簿記1級資格を持つ同僚との会計知識の差は埋めがたいものがあるなと、正直痛感していました。
そんなこんなで、同僚との差別化をはかるべく管理会計の学習に注力していた折、経営トップの意向により、経理部門から経営企画部門へ異動となりました。
その間、今から約20年前に慣れ親しんだ大阪を離れ、東京に転勤することになり、現在に至ります。
新たな部署では、グループの予実管理、連結経営、M&Aへの関与などを主業務とし、それなりのやりがいを感じつつ、異動後約15年が経過します。
定年前の挑戦~FP1級取得
取得が比較的容易で会社から取得勧奨のあったITパスポート以外に、それなりの難易度の資格をなにひとつ持たず、のどに何かが刺さったままのような「やり残し感」に苛まれていました。
還暦(定年)を前にして、いまさら感があることは重々承知の上で、社内で「お金のプロとして最後の箔を付ける」ことをモチベーションとし、かつ自分の発言にあらためて「自信と責任」を持てるように、過去の実務経験がアドバンテージになるだろう「FP資格」の取得を決意しました。
その時は、「FP1級の沼」にずぼっと入ることになろうとは、つゆにも思っていませんでした。
「FP1級」の沼とはよく言ったもので、試験範囲がかなり広く、加齢による記憶力の低下とも戦う学習期間中は、先行きを見通すことができず、まさにどっぷりと沼にはまっている感じでした。
無事、FP1級学科試験合格後、2026年2月8日のきんざい面接実技試験を経て、1級ファイナンシャル・プランニング技能士(資産相談業務)資格を無事に取得することができました。
この資格が、文章を書く勇気にもつながりました。
私の資産運用
資産運用の記事も投稿しましたので、個人の資産運用についても簡単にお伝えします。
現在の私のリアルな資産運用は下記の通りです。
・メイン: インデックスファンド(オルカン1本)
・サブ(趣味): 高配当株への個別現物投資
サブ(趣味)の部分は、「配当が魅力的だな」「ここは応援したいな」と厳選した高配当株・約60銘柄に、「主に1株投資」「NISA(成長投資枠)」を使ってコツコツ分散投資しています。
イメージとしては、「信託報酬なしで、自分だけのオリジナル高配当株ファンド」をコツコツ組成している感じです。
昔はスイングトレードや信用取引、
先物・オプション取引にも手を出しました。
結果、少なからぬ利益は出せましたが、
とにかく仕事中も株価が気になって仕方がない!
私の性格的にも「これは絶対に仕事に支障をきたすな」と大反省。
当時のギラギラした投資からは、一切足を洗いました。
noteと出会って
きっかけは、資産運用で将来性のありそうな会社をスクリーニングした時に、たまたまヒットしました。
それが今年1月の終わり頃で、それまでnoteの存在を全く知りませんでした。
ちなみに、その他のSNSは眺めるだけで、自分からの発信は一切していませんでした。
調べてみると「創作を純粋に楽しむ仕組みがある」ということを知り、興味を持ち、とりあえずアカウントのみを作成しました。
年初に父が100歳で逝去したことが大きかったと思うのですが、これまでの来し方を一度整理して書き留めたい、1級FPとして何かを発信してみたいとの思いにかられ、2026年4月24日に初投稿し、noteデビューを果たしました。
初投稿では、今後投稿してみたいこととして、下記を列挙していました。
●FP級合格までの道のり
●FP1級実技試験 面接体験記
●経験を交えたお金周りのこと
●資産運用について
●人生における失敗体験、辛かった思い
●短編小説、エッセイ
何れもnote開始後約1ヶ月で、無事、投稿できました。
書いていて一番心地いいのはエッセイだと気が付きました。
「アラ還のボヤキ」というタイトルで、こてこての関西弁によるくだけたエッセイの連載を細々としています。
『日常のささやかな幸せを望んでいる方』
『頑張り過ぎている方』
の励みになり、また、ホッと一息つけるような気持ちになる投稿を目指しています。
noteでの主な投稿記事
・仕事と暮らし
・日々の輪郭
・小説
それぞれはこちらからお読みいただけます。
これから書きたいこと
noteと出会い、内から湧き上がる、
「書きたい(表現したい)との思い」に気付くことが出来ました。
生涯の趣味になるものと考えています。
ありがたいことです。
振り返れば、どの出来事も無駄ではありませんでした。
タイトルの通り、
人生、あとから見ると伏線だらけだった。
そんな思いを胸に、これからもぼちぼち書いていこうと思います。
ここまで拙文にお付きあいいただき、誠にありがとうございました。
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