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100歳で逝った父と、営業車で昼寝していた23歳の僕

はじめに

今年の1月4日、父が100歳で逝きました。

悲しいはずなのに、不思議と涙は出ませんでした。

幼い頃の記憶にあるのは、下町の三軒長屋と、5人の家族。

自分の部屋がある友達が、ただ羨ましかった。

そんな暮らしを当たり前とする父のことを、どこか苦々しく思っていたものです。

だけど、父の100年という大往生が、私の心を動かしたのかもしれません。

これまでの自分の「来し方」を、一度ゆっくり整理してみたい。

そんな思いに駆られました。

これまでの人生で、SNSは完全に「見る専門」。

自分から発信したことは一度もありません。

父の死から2ヶ月が経っても、まだ気持ちは静かに凪いだままでした。

それが4月の終わり。

胸の奥の何かに背中を押されるようにして、いま、初めての言葉を紡いでいます。

昔の思いを残しておきたい(誰かに届けたい)今回は、AIに頼ることなく、拙いながら自分の言葉で書き連ねていきます。


自己紹介

簡単な自己紹介です。

大阪市内の下町生まれ。

小・中・高は地元の公立校へ通学。

大学は、大阪府内の某私立大学へ現役で進学。

大学では4回生の3月末から就職活動を開始しました。

当時はまさにバブルの末期で、就職は超売り手市場。

えり好みしなければ、それなりの知名度のある上場企業に就職できる環境でした。

大学時代に百貨店でバイトをしていたこともあり、
「なんとなく流通がいいかな」というゆるい気持ちでの企業選択。

一流と呼ばれる大学ではなく、ましてや法学部でも、経済学部出身ではない私が、試しに受けた地方銀行で、楽々内定をゲット。

超売り手市場を実感しました。

ダイエーと某百貨店を本命とし、5月に首尾よく両方から内定をもらい、最終的には全国展開の某百貨店に就職することを決意しました。

その百貨店から税理士事務所への転職を経て、現在は、雑貨系企業の経営企画部門に勤務する、アラ還の1級ファイナンシャル・プランナー技能士です。


地獄の新人研修

夢の学生生活も終わりを告げ、とうとう社会人に。 

入社当時は、「よし、俺も部長くらいにはなったるぞ!」と鼻の穴をふくらませていた自分が、まさか1年半程で退職することなど、そのときは思いもよりませんでしたが・・・。

今なら完全にアウトだと思いますが、35年前に受けた新人研修は“ほぼ軍隊”でした。

同期は全国で300人超。

近畿圏の店舗に配属される100名程が、研修初日に神戸に集合。

バスで研修所に向かう間、何が起こるのかわからないある種の恐怖感からか、終始無言でした。

到着後、バスを降りた瞬間に点呼。

そこから研修が始まりました。

並んでいる同期が、次々と“洗礼”を受けていきます。

「配属先と名前は?」

「〇〇店、〇〇です!」

「声が小さい!やり直し!!」

三度目でようやく通過。

その様子を見ながら、「これはまずい所に来たな」
と思ったのを覚えています。

やがて自分の番。

小学生の頃に剣道を少しかじっていたこともあり、声の大きさには多少の自信がありました。

「〇〇店配属、〇〇です!!!」

「よし、行け!」

一発合格。

ほんの少しだけ、安堵と優越感が入り混じった感覚がありました。

部屋割り後、店舗は離れ離れになる同期と、小声で話したのを覚えています。

「えらいとこ来てもうたな」

「これが1週間も続くんか」

その予感は、見事に当たりました。

翌朝5時起床。

使用したシーツを返却するだけでも一苦労です。

「なんだこれは!揃ってないじゃないか!やり直し!」

四隅が揃ってないことを叱責される始末。

何回もやり直し、ようやくOKが出たときには、ぐったりとし、一仕事終えたような気分でした。

その後は全員でランニング。

「いっちに、いっちに」と声を出しながら走る中、飛んでくるのはなぜか標準語の怒号。

「声が小さい!足を揃えろ!」

教官も新入社員もほぼ関西人同士のはずなのに、そこだけ妙に標準語で統一されていたのが不思議でした。

途中からは“無になること”に集中していました。

日中は、接客用語の復唱、社歌の斉唱、お辞儀の角度のやり直しなど、ひたすら無機質な訓練の反復です。

それが1週間続きました。

研修が終わったときの率直な感想は、

「やっと終わった。どんな会社や」

というものでした。

ただ、あんなに反発を感じていたはずなのに、すっかり適応している自分に、不思議な感覚を覚えました。

管理職の立場になった今、あの研修を振り返ると、あれは“学生時代の甘えを払拭する社会人になるための儀式”だったのだと理解できます。

もちろん、今の時代ではコンプライアンス的に難しく、寧ろ、許されない類のものかもしれません。

それでも、“組織の一員としての振る舞い”と“社会人としての規律”といったものを、強制的に身体に叩き込まれたのも事実です。


配属

配属店舗の同期は30人程と記憶。

配属前の1週間は、百貨店のクレジットカード勧誘のため、エリアごとに分けられ、終日家庭訪問。

けんもほろろの時もあれば、やさしいおばちゃんが、

「大変やな。頑張りや!」と言いながら、捺印した申込書と缶コーヒーを渡してくれる。

成約を何件取ったかで、同期間で初の優劣が発生。

確かトップは30件超。正直びっくりした。

「どないしたら30件も取れんねん!」と。

ちなみに私は、

「頑張り過ぎて家庭外商に配属されたら嫌やな」

「かといって下位になるのもな」

という思いがあり、結果は10件程で、丁度真ん中くらいだったと記憶しています。

いよいよ辞令発令です。

辞令前は、「紳士・婦人のどっちでもいいから服飾部門がいいな」とふわっと思っていました。

店長からの辞令。

「法人外商部勤務を命ず」

「??」

恥ずかしながら、就職活動時も“外商”のことは露知らず、ましてや“法人外商”のことなど知る由もありませんでした。

同期の配属先は、(記憶は曖昧ですが)
家庭外商が15名、売場が10名、経理等管理部門が3名、法人外商が2名で、法人外商のもう一人の同期は、店舗の新入社員代表でした。

後々聞いたところでは、かの地獄の研修に配属店舗の先輩社員(5年生)2名が指導教官として参加。

グループワークで積極的に手を挙げて元気もあった私を、「あいつは法人外商向きです」と人事に推薦していたとのこと。

そもそも外商とは、店舗の売り場以外で、富裕層やお得意様(上得意客)、企業などの顧客に対して、担当者が直接商品を提案・販売する“特別な営業部門”です。

当時の印象深い光景は、全体朝礼で婦人服部長がコートを手に持ちながら、「これはチンチラのコートで1,200万や。しっかり売ってくれよ!」とのたまわれたことです。

「何やねんチンチラって。クルマ何台買えんねん。」
と感じた記憶が蘇ります。

法人外商のもう一人の同期が“一般法人”を、私が“官公庁”を担当することになりました。

これも後々聞くところによると、

「官公庁の方が難易度が高く、優等生タイプの同期より、元気のある私の方がいい」となったようです。

実のところ、元気がいいのは精一杯の虚勢によるもので、元来気の小さい臆病者が本来の姿です。

今でもたまに「売場に配属されていたらどうなっていたかな」と考えることがあります。

配属後、いよいよ3年上の先輩社員に連れられOJTの開始です。

官公庁担当はその先輩と私だけの小さな所帯です。

法人外商の“官公庁担当者の業務”は、贈答品記念品の手配、公共調達への対応(入札・随意契約)、職員向けの職域販売などがあります。

100枚程の名刺を渡され、ひとまず官公庁の主要部署へひたすら挨拶廻りです。

秘書課、文書課、広報広聴課、スポーツ振興課etc.。    

35年以上経過し、1年半程しかいなかった会社ですが、部署名がすらすら出てくるなど、記憶が鮮明であることに我ながら驚きます。

役所の近くにその先輩の出身大学があり、所属していた体育会剣道部の道場で寝そべって休憩し、その先輩の後輩たちと談笑したことも良き思い出です。

ちなみにその先輩はゆくゆく人事部に異動することを希望するも、結局その異動が叶わず、後に私より先に退職することになります。

退職して次が決まっていたその先輩から会社の悪口を聞かされ、負の影響を受けていたことは、今となってよくわかります。

その先輩を責めるつもりは毛頭ありませんが、苦い思い出です。

良くない影響を受けていたことに気づいてからは、後輩に会社の悪口は一切言わないでおこうと決意し、実際にひと言も言ったことがありません。

官公庁担当ではあるものの、一般法人担当の先輩の納品フォロー等で、一緒に行動することが多々ありました。

甲子園出場歴のある高校の野球部出身で、某国立大学出身のK先輩と、仕事中に一緒にバッティングセンターへ。

営業はこんなことしてもいいんやと社会勉強。

正義感があり、泣く子も黙る?労働組合のお偉いさんに、正論をぶちまけ撃沈するも、ほんまに愛すべき先輩でした。

京都の公立トップ高出身ながらも、一浪で私立R(関関同立のRではない)大学出身のA先輩。

洒脱で話芸達者。お中元の繁忙期に夜遅くなり、男二人でラブホテルに泊まったのも、これまた良き思い出です。

こんなこともありました。

神社・仏閣も法人外商の担当です。

その日は勉強を兼ねて、神社・仏閣を担当するS係長と、宝石商(宝石を詰めたアタッシュケース持参)同行のもと、とある寺院へ。

その場でその寺院の奥様が200万のエメラルドの指輪を購入。そこは“お金の神様”を祀る寺院。

坊主丸儲けとはまさにこれやとまたまた社会勉強。

1級FP目線で考えると、宝石は粗利率が高く、百貨店(S係長)にとってはまさに垂涎の取引。

当時の私は、今と違って粗利の概念も乏しく利益よりも売上至上主義。

「ええな。係長。もう今月あと2週間残して予算達成やん」

という感じでした。

そのS係長とも、退職後10年後に、仕事絡みで縁が繋がり、世間の狭さを痛感することになります。


恐怖の売上予算(目標)

新人といえども売上予算は設定されます。 

同期は先述の通り一般法人担当。

上場企業からの大量の中元歳暮、制服、什器備品納入等でさくっと予算達成。

予算を達成しない月はあれども、何らかのリピートオーダーはあり。

官公庁の私と言えばリピートオーダーなどなく、随意契約か入札のみ。

官公庁の随意契約では、某百貨店が最大のライバル。

なんと、お互いの社判入り見積書を数十枚レベルで交換!

随意契約の相見積もりで、お互いライバル会社の百貨店の金額を高く記入して契約を勝ち取る作戦!

そのライバル百貨店から「また見積書もらえますか」との催促。こっちは一杯余ってるのに!

勝てないゲームに参加させられ、世の中こうなってるんやとこれまた社会勉強。

でも、入札・随意契約の知識が、今の仕事と少し繋がっているのは不思議な感覚。

そんなこんなで売上予算は未達続き。

店次長から全体朝礼の掛け声をお前がやれと言わ

れ、家庭外商含む数十名の外商部員全員の前で、

「今日は売上✖✖万行くまで帰って参りません!!」

と大声で掛け声をかけるも(超ブラック)、売上のあてなく撃沈。

そのころから薄々気づいていました。

元来、営業に向いてないことを。

今やっている管理系(経営企画)の仕事が天職なんだと。

法人外商の一般企業担当になっていたとしても、
ゆくゆくは同じように辞めていたやろなと。


課長の救済

S課長。

性根のいいおっちゃん。

過去勤務の基幹店で店長賞受賞多数。

地元人脈豊富。

入札の数字を一桁間違え、会社に大損させたことあり。

自分で数字をあげるのは得意だが、
(今思うと)管理能力は今いち。

偉そうにすんません。

その課長が満中陰の香典返しを、某社オーナーから受注。数百人規模の葬儀があり、そのお返しで売上300万ゲット。「毎度あり!」てな感じです。

「おい!✖✖ちゃん(私の本名)この300万、お前の売上にしといたるからな」と。

課長が取ってくる満中陰の香典返しは、以後自動的に私の売上となることに。

「ごっつぁんです(土下座)!」てな感じで、汲々とする売上予算の大いなる足しになりました。


驚きの特別招待会

外商名物、特別ご招待会(通称:特招会)。

いわゆる“上顧客限定セール”です。

でも私は顧客ゼロ。

困り果てて、市役所で仲良くなったおばちゃんにダメ元でお願い。

「まだ誰も招待出来ていないんです。ご飯だけでも来てください!」

「わかった。ええよ。男前やし。(同じ市役所勤務の)主人と一緒に行くわ。でもただ飯になるかもよ」

「ありがとうございます!!(土下座)」

すると当日、なんとご主人が有名ブランドBrioniの
80万円のレザージャケット購入。

正直、震えました。

「市役所にこんな買い物する人おるんや」

「しかも紳士服の課長にお願いしたら、上代(売場価格)の3割引になるんや」

恥ずかしながら、売場の商品が外商経由で割引になることを、就職前は知りませんでした。

そして気が付きます。

「官公庁=堅い人たち」ばかりではなく、普通に富裕層がいることを。

これも世間知らずの私には、大きな学びでした。


落札

相変わらず日々の売上がなく悶々とする日々。

某市役所で、敬老の日の記念品の入札案件あり。

たまたま順番が回って来て(笑)、4,000万円程で落札。談合ではありません。たまたまです(笑)。

この結果、一発で四半期の売上予算達成。

自分の実力ではなく入札という仕組みのおかげ。

「こんなんでええんか」と心の声。

この思いが、転職への大きな布石となっていきます。


やりがい迷子、そして昼寝の日々

入社して1年ちょい経過。

入札等大口受注で売上予算は達成しているものの、

営業スキルが上がっているわけでもなく、

仕事も全く面白くない憂鬱な日々。

完全に“やりがい迷子”。

最終的には、営業車で出かけ、公園の駐車場で昼寝する日々。

ポケベルが鳴り、アシスタントの女性へコールバック。

「✖✖ちゃん。どこにおるん?✖市への納品終わったん?
催促の電話あったよ」

「今移動中です。もうすぐ着きます」

「あかん、このままやったら自分が壊れてしまう!」

「何もかもリセットしてもう一度やり直したい!」

という切実な思い✖入社時の希望✖現在の挫折が交錯していました。

丁度その頃、バブル崩壊前夜で、どの百貨店の売上も下降傾向。

売場にいる30歳代の先輩を見るにつけ、ワゴンセールで「いらっしゃいませ!いらっしゃいませ!」
と声出し専門。

「30過ぎてあんなことようせんわ」と心の声。

今から売場に配置換えになっても、見通せない先行き。

自分の中で何かが弾け、とうとう転職を決意。

退職の意思を伝えた前出S係長から、

「なんで辞めるんや。同期の✖✖よりお前の方が評価高いんやで」と言ってもらうも、心には響かず。

その後、人事部長に退職の意思を伝え、やさしく慰留していただくものの、意思は変わらず。

入社1年半ほどで退職の運びへ。

当時は第二新卒の概念もなく、新卒からの早期退職はマイナス評価になるだろうことを承知の上での転職。

「早くも俺の人生詰んでもうたんやろか」と絶望の日々。

就職活動時から、元来人との競争は好まず、縁の下の力持ちの性分。

「営業には向いてないやろな」という自己分析もあ

り、「営業以外の仕事を探すしかないな」と考える

なか、運よく税理士事務所へ転職することができま

した。

転職先の税理士事務所では、現在の仕事に繋がる基礎知識一式を、そこそこいい給料をもらいながら学ばせていただきました。


妻との出会い

入社後、新入社員バスハイクなるものがあり、
紳士服売場で勤務する女性と出会います。

後日、その女性の方からなんと「付き合ってください」との連絡が。

「なんか軽い女とちゃうか」

「今、俺も彼女もおれへんしまあええかな」

と思いつつ、「お茶でもいこか!」

と、現在の妻に返事しました。

付き合うにつれ、彼女の天性の優しさに惹かれていきました。

出会ってから5年後に結婚。

妻との結婚は大正解で、子供二人も無事社会人となり、今後は二人で睦まじく余生を育みたいと考えています。

妻と結婚するために百貨店に入社するのが宿命だったのかもしれません。


結び

ここまでつらつらと書き連ねて来ましたが、
昔の記憶が鮮明に湧き出ることに驚きです。

また書くにつれ、心が洗われる気持ちになるのも不思議な感覚です。

貧乏で、欲しかったロボコンの超合金のおもちゃ(同世代ならわかる)を買ってもらえなかった幼少期。

それを経て就職した百貨店で目にした、1,200万円のチンチラのコート。

貧乏ながらも大学まで行かせてくれた、父のおかげによる貴重な経験。

尊敬はしていません(毒があってすんません)が、めっちゃ感謝してます。

還暦が近くなり、

『人間万事塞翁が馬』

『禍福は糾える縄の如し』

この言葉を、身をもって実感しています。

大きな成功はなくてもいい。

日々のささやかな幸せに感謝しながら、
心穏やかに生きていけたら、それで十分です。

ここまで拙文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

【執筆:アラ還FP】
アラ還サラリーマンFPです
FP目線のお金の周りの話、日々の雑感を、実体験を交えながらお届けします
1級ファイナンシャル・プランニング技能士
(個人資産相談業務)






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