【第1回】京都は、宇宙でありアイドルであり大谷である
映画『ぶぶ漬けどうどす』はこんなふうに作られました、という文章をこれから書いていこうと思います。6月6日の劇場公開に向けて作品のあらましと成り立ちをご紹介するつもりですが、あまりネタバレするようなこともありません。監督の冨永昌敬と申します。

まずこちらは京都を舞台にした映画です。さらにいえば、京都を使って人の心の働きを描いた映画、ということになりそうです。憧れが心に作用して人を変身させること。このテーマのもとで京都は憧れの対象という役割を担います。しかしテーマがそれならべつに「京都」でなくとも…たとえば「宇宙」や「アイドル」や「大谷選手」や「芸術」でも実は構わないんです。なぜなら、「京都のために変身する」主人公を「宇宙のために」と置き替えたとしても、人の心の働きを描くという狙いは(京都にも宇宙にも無関係に)成立するからです。
だから何だって話ですが、つまり京都を舞台にしながら京都がほとんど映っていない映画であることを、監督わたしが最初に白状しているわけなんです。わたしたち、宣伝のなかで、やたら京都をアピールしていますけども、実際にはこの映画、観光地や歴史遺産のような、いかにも京都らしい名所はほとんど登場しません。京都で3週間ほど撮影したにもかかわらず、名所といえば鴨川くらいしか映っていない視野の狭い映画です。京都タワーから京都駅を望遠で狙ったショットに近畿の目印のような急行サンダーバードの車両が映り込んでいる偶然に、監督が内心でホッとしている始末なんです。
脚本家のアサダアツシさんも僕も企画の話をはじめた当初は、京都のあちこちを画面にとらえるつもりでいました。なにしろ京都は、すみずみまで趣向が行き届いているという点で別格です。すごい街ですよね。だからこそ主人公の渋澤まどかは京都に憧れるんですが、取材を重ねてシナリオを作っていくうちに、あるとき脚本家も監督も気づいたわけです。たぶんこのテーマの映画に京都らしいものは映らないと。ここでいう「京都らしいもの」については次の機会に書きます。
京都はとても魅力的な町であるという大前提には、閉鎖的で排他的な土地であるというもう一つの前提が必ずついてきます。この表と裏を軸にしたプロットは、京都に移住した主人公が老舗の女将さんたちの秘密結社に洗脳されてゆく、というスリラー映画でした。もはやスリラーの面影は皆無のコメディ映画になってしまいましたが、当初を思い出すたびにわれわれの選択はまちがっていなかったと思います。

