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【第5回】京都人は修繕の名人

子どもの春休みに愛媛に帰省しました。東京から車で11時間かかるので毎回途中の関西で一泊します。だいたい大阪の千里です。民族学博物館が近いからです。あんまりすごいのでリピーターになってしまいました。民博には世界中の手作業の道具や仮面などの祭器が大量に展示されています。それらが表現しているのは、人間がともに生きるために交換してきた知恵や願いやタブーといったものでしょうか。
 
そんな展示物を見てありったけのため息をついたあと実家に帰ると、いつも文化人類学ならぬ「地元人類学」というフレーズを思い浮かべます。とりわけ『ぶぶ漬けどうどす』を完成させてから今日までのおよそ1年間は、自分の地元というものを振り返る時間になりました。大げさに言って地元人類学とは、修繕の視点から京都人と京都以外人の実力差について考える学問です(勝手に言ってます)。

前にも書きましたが、僕の実家は愛媛でおへんろ宿をいとなんでいます。お客さんに提供している部屋があるのは築100年程度ですが、その横につながるもっとも古い棟は1880年くらいに建てられたものなので老朽化が激しく、前々から取り壊しを検討していました。それが現実味を帯びてきて正直ちょっと寂しくなってるんですけども、状態からすれば取り壊しは必至なのでそろそろ腰を上げようと話し合ったのが春休みでした。とはいえ築150年です。京都の町家であれば現役のはずですが、京都の人は家の修繕にふだんから心血を注いでいるので、羨ましがっても仕方ありません。
 
僕が映画の取材や撮影をとおして見てきた京町家は、いずれもすみずみまで手入れのゆきとどいた築100年以上の建物でした。建て替えが容易じゃないから、傷んだ箇所をピンポイントで修繕し続けることで維持されているんでしょう。それが物質的な工事にとどまらずユニークな趣向が施されている様子など、実家を修繕できなかった者の目にはたいへんまぶしく映るわけです。いや、修繕の意志をぞんぶんに体現するのは、目がくらんで変なスイッチが入ってしまった主人公まどかです。

『ぶぶ漬けどうどす』では、まどかが夫の実家を守るために執念を燃やし、家屋の売却を任された不動産業者と対決することになります。売却を決断した義母に向かってまどかが「目を覚ましてください」とまで訴えるのは、家族が何代もバトンタッチしながら修繕をくり返してきた家のことが愛おしく、彼女自身も修繕のリレーにつながりたいからです。そうすることで東京出身の自分も京都の一員になれる。まどかはそう考えますが、むしろ家屋の維持について新しい考え方を持っているのは義母のほうなのでした。
 
深川麻衣さんが室井滋さんと豊原功補さんを相手に噛み合わない対話を繰り返す場面は、この映画のもうひとつのテーマが持ち上がってくるところです。前に白状しましたけども、『ぶぶ漬けどうどす』は京都の町が映っていない映画です。それは考えたいテーマが家の中にあったからでした。

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