30ルピーを巡る物語。聖なる街の、剥き出しの現実。
この文章は世界の街を切り取った旅エッセイです。
題して「見知らぬ異国で、ひとりごつ」
バラナシは、ガンジス川のほとりにある街。
ヒンドゥー教徒にとって、死の瞬間にここで魂を解き放つことは、生まれ変わりからの解脱を意味する。だが、この街はそれだけではない。子どもたちの水遊びの場であり、女性たちが洗濯をする生活の場でもある。
生と死、そして日常が、ごちゃまぜになって、ひとつの大きな流れをつくっている。
街の中心は、石畳でできた狭い迷路のような路地が広がっていた。
人、牛、バイク、そして猿が、ところ狭しと行き交い、クラクションの音と、人々のざわめきが、ひっきりなしに耳にがんがんと響く。
わたしはひそかな目的を抱えていた。
それは、子どもたちに絵を描いてもらうこと。明確でシンプルな願い。
インド・デリーでの挑戦はこちら
わたしは、夕方の少し涼しくなった時間帯に、この路地裏を歩くことにした。一人か二人しかいない子どもたちに話しかけてみたが、恥ずかしがって、なかなか絵を描いてくれない。だが、元気そうな子どもたちが何人か集まっている場所で、画用紙とクレヨンを出してみると、彼らの目はキラキラと輝き、わあっと歓声が上がった。
「おれにも描かせろ」「私にも描かせて」と、ここでも画用紙とクレヨンはひっぱりだこになった。デジカメをかまえると、大人たちまでが「おれも撮れ」と大騒ぎ。
誰が何を描いたか、もうわからないほどだったけれど、とにかくたくさんの絵を描いてもらえた。
子どもたちが落ち着き、騒ぎが収まったころ、わたしは一番頭がよさそうに見えた、少し年上の男の子に、お礼としてお金を渡そうとした。30ルピー(約100円)。だが、彼はきっぱりと断った。いらないと言う。
彼の意外な反応に、わたしはびっくりした。
そうか、誰でもお金が欲しいはずだという思い込みは、自分の思い上がりだったのか。お金のために描いたのではない、という彼の態度に、わたしははっとさせられ、自分の浅はかさを反省した。
結局、施しをすることで自分がいい気分になりたかっただけなんだ……
そして、そのお金を財布にしまおうとした、その瞬間だった。
ぬっと、たくさんの手が伸びてきた。
「よこせ、よこせ」と、周りにいた子どもたちが、一斉にわたしに群がってくる。クレヨンのついた小さな手、ほこりまみれの掌。財布だけでなく、デジカメ、持っていた水、そして着ていた服まで、あらゆるものが引っ張られる。
一人を振りほどいても、次の子の手にぐいっとつかまれる。
なんとか、その場を離れようと、わたしは人混みをかきわけた。先ほどの穏やかな空気は、まるで嘘のようだった。
バラナシは、聖なる街であり、生活の街であり、そして、欲望が剥き出しになる場所だった。お金は、やはり争いをうむ原因なのだろうか。
善意と、打算。純粋さと、欲望。その全てが、この街には混在していた。
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―ああ、またひとつ、見知らぬ異国で、ひとりごつ。

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