「大日本帝国憲法」というガラクタ。
上記文抜粋
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大日本帝国憲法の瑕疵・補~御聖断とは何か(上)
猛暑が続いている。この季節になると、『日本のいちばん長い日』が見たくなる。
米内:「戦争は互角と言うが、科学戦として武力戦として明らかに負けている。サイパン、ルソン、レイテ、硫黄島、沖縄島、皆然り。皆負けている」
阿南:「会戦では負けているが、戦争では負けていない。陸海軍間の感覚が違う」
米内:「敗北とは言わぬが、日本は負けている」
阿南:「負けているとは思わぬ」
1945年8月10日、ソ連参戦(8日)と長崎への原爆投下(9日)を受けての閣議における、海軍大臣と陸軍大臣のやりとり。
米内は降伏、阿南は徹底抗戦・本土決戦を主張する。
実はこれはおかしい。
前日9日深夜11時から翌10日午前2時半まで御前会議が開かれて、「条件付でポツダム宣言受諾(降伏)」が決められていた。
御前会議は通称で、正式には「最高戦争指導会議」なのだが、実はこの会議は閣議のような法によって定められたものではなく超法規的存在で、本来であれば意見交換や調整の場のはずだった。従って、法的な拘束力や決定力を持つものではない。
だが、大日本帝国憲法の下では、内閣はあくまでも輔弼(助言)機関でしかなく、統帥権は行政や立法と切り離されて天皇に直属していたため、閣議で決められることは天皇に対する助言だけで、作戦や統帥については介入できなかった。
それ故に、行政府と統帥府を統合・調整する場が必要だった。
その出席者は、総理大臣、枢密院議長、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣、陸軍参謀総長、海軍軍令部総長の7人。その上に昭和天皇が臨席した。
枢密院は、内閣と対等の存在で内閣の決定に拒否権を発動できた。
会議では、「国体護持の一条件による降伏」の外務大臣案と「国体護持、占領無し、自ら武装解除、自ら戦争犯罪人の処分の四条件による降伏」の軍部案に分かれ、議論が交わされた。
外務大臣案は外相のほか総理と枢密院議長と海軍大臣が支持、軍部案は陸軍大臣と参謀総長と軍令部総長が支持、四対三に分かれた(『日本のいちばん長い日』には枢密院議長がいない)。
議論が完全に平行線を辿ったため、鈴木総理が上奏、裁可を求めるに及び、「私は外務大臣の案に賛成する」と表明、ここに「聖断」が成った。
『日本のいちばん長い日』について、民主党の藤井裕久議員は「昭和天皇がおいでにならなかったら戦争は終わりにならなかったと思う」「明治・大正のころは軍人ではなく外交官が外交を担った。きついことをやったのは事実だが、文官としてのけじめがあり侵略行為はなかった。まともな外交官がいた。しかし昭和は政治軍人がはびこりすぎた」などの感想を述べている。これは、戦後の最も一般的な評価かもしれないが、果たして本当にそれで良いのだろうか。「立派な指導者がいたから日本は助かった」「悪い軍人が全てを誤らせた」という歴史評価から何を学べるのか。
話を最初に戻せば分かるとおり、前夜の御前会議で「一条件付き降伏」が決定されたにもかかわらず、昼の閣議でまったく同じことを蒸し返しているのだ。
というのも、御前会議は法制上の意思決定機関ではないため、行政手続き上は、改めて閣議に諮った上で、総理が天皇に上奏して裁可を仰がねばならなかった。その閣議は全会一致でなければ決定できなかったため(総理と各国務大臣は対等)、陸軍大臣が反対したら何も決定できなかった。
ただ、現実には同朝6時45分にはスイスとスウェーデンの日本公使から連合国側に対して、条件付きポツダム宣言受諾の通達がなされていた。
これはどう解釈すべきなのだろうか。
第13条:天皇ハ戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス
憲法上、外交は君主の専権事項(外交大権)であり、外務大臣はそれを輔弼して責任を負う仕組みになっている。
だが、1889年に制定された内閣官制(勅令)では、
第五條:左ノ各件ハ閣議ヲ経ヘシ 二 外國条約及重要ナル國際条件
とあり、降伏=休戦条約締結を行うためには、行政手続き上、閣議を通さねばならなかった。
従って、10日早朝に連合国側に打診したのは、あくまでも「降伏条件の照会」という建前だった。
しかし、他方で明治憲法は内閣・国務大臣を天皇の補弼者(助言者)として規定しており、天皇の外交大権もまた「神聖ニシテ侵スヘカラス」(同第3条)のはずだった。
故に憲法上は、外務大臣が「国体護持を条件に降伏」と天皇に助言して、天皇が「その案を採用する」と明言した時点で外交大権が発動され、あとは外務省が休戦条約の手続きを進めれば良いだけの話だった。
ところが、明治体制は憲法の条文と異なり、立憲君主を志向しており、各種の法令もそれに基づいていたため、条約締結には閣議決定が必要という法律が並立していた。
それを良いことに軍部が降伏条件でゴネたため、10日以降も何度も閣議を開き、さらには14日の夜にもう一度御前会議を開き、「聖断」を仰ぐところとなった。
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抜粋終わり
上記文抜粋
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大日本帝国憲法の瑕疵・補~御聖断とは何か(下)
(前回の続き)
問題はこれをどう考えるかである。
従来の定説では、「軍部が武力を盾に降伏に反対した」という解釈がなされてきた。
しかし、軍の所管はあくまで作戦と統帥に限られており、条約締結は外務省の所管で、その主務大臣は外務大臣なのだ。
ところが、9日から15日の経過を見る限り、問題は「軍による威圧」よりも「最終意思決定機関はどこなのか」にあるようにしか見えないのである。
閣議で決まらない案件を御前会議に上げて、聖上の大権発動を仰いで承認されたにもかかわらず、また閣議を開いてもめにもめて、再度聖断を仰いでいる。
これはやはり統治機構の不備なのではなかろうか。
輔弼者でしかない内閣と国務大臣、内閣の主宰者(首班)でしかなく、他の省庁を指導監督できず、他の国務大臣を罷免できない総理大臣、全員一致でしか決められない閣議、閣議決定を上奏して裁可を仰がねば最終決定にならない仕組み、憲法で大権が規定されているにもかかわらず専制権を行使しない慣例などなど……
きわめつけは、軍隊の統帥権が天皇にしか属しておらず、しかもその統帥権は行使しないという慣例であろう。当時の軍は、言うなれば飼育者不在の猛獣にも等しかった。管理者が不在なのだから、いくら「猛獣が悪い」と言われても仕方の無い話ではないか。
つまり、外務省が「休戦協定を締結します」と言っても、軍が「いや、軍は作戦を継続する」と主張した場合、法制上も、天皇以外に命令できるものは誰もいなかったのである。
結局のところ、明治体制における行政権は、巨大な専制権を有しながら行使しない慣例の君主、「閣僚のまとめ役」に過ぎない総理大臣、内閣と対等の地位を持つ枢密院などによって、最終的な意思決定がどこでなされるのかすらよく分からないものだったのである。
そして、行政も立法も軍の統帥には何ら関与できない仕組みだった。
むしろこれを公正に評価するならば、「たまたま大正初期までは上手くいっていたが、大正後期から元々備わっていた諸制度の問題点が露呈していった」と言うべきではなかろうか。
この辺りのことは、自分が死んだら、曾祖父や大叔父たちに是非聞いてみたいところだ。
そして、天皇は巨大な専制権を有していたにもかかわらず、「神聖ニシテ侵スヘカラス」(第3条)によって免責されていた。権力執行の責任は、少なくとも行政権については輔弼者に過ぎない国務大臣が負わされていた。
政治的理由の他、「専制権を執行していない」「憲法で免責されている」などの理由から、昭和天皇は戦争犯罪人としての訴追を免れ、そのまま君主の座にあり続けた。
責任者不在の統治機構という課題は、今日の日本にもずっと引き継がれ、昨年の福島原発事故や原発再稼働の問題でも、「結局、誰が責任者なのか」がよく分からないとか、責任者が明確でもなぜか権限を行使できないといったことが生じている。
【追記】
『昭和天皇独白録』の中で昭和天皇は、撤退抗戦を唱えた軍部について、「軍人達は自己に最も関係ある、戦争犯罪人処罰と武装解除に付て、反対したのは、拙い事であった」と回顧しているが、今日の検察と恐ろしいばかりに一致点を見いだせる。
戦前の自由と民主主義を死に追いやった元凶の一つである治安維持法の制定については、東京裁判では誰も訴追されることなく、うやむやに終わる一方、横浜事件で国の責任と刑事補償が認められたのは、なんと2010年のことだった。
【追記2】
日米開戦の経緯も同様で、「大本営政府連絡会」と「御前会議」ばかりが頻繁に開かれ、通説では1941年12月1日の御前会議で最終決定されたように書かれているが、説明したとおり、御前会議は超法規的な存在に過ぎず、天皇が外交大権を行使して宣戦布告しない限り、「最終決定」にはなり得ない。結局のところ、また閣議を開いて決定し、天皇の裁可を受けて、宣戦布告することになるわけだが、「どこで誰が何を決定したのか」という意思決定のキモの部分については実はよく分からないというのが実情なのだ。
【追記3】
原発再稼働の最終意思決定者が経産大臣であることは法制上明確であるはずなのだが、なぜか総理が決断するような話になっていた。マスコミも正確に報道しないし、政治の側も正確に説明していないから、誰も知らないのだろうが、それはただの怠慢でしかない。
【追記4】
8月14日に降伏を表明したものの、肝心の休戦協定の調印は9月2日にズレ込み、そのせいで満州、千島、樺太を中心にソ連軍の侵攻が継続され、シベリア抑留や北方領土問題などの禍根を残した。この政府の致命的なミスについては、まだ十分に責任追及がなされておらず、国民の認知も低いだけに、再度指摘しておきたい。
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抜粋終わり
「大日本帝国憲法」は、ガラクタだった。
そもそも「誰も日本統治に責任を持たない」
天皇も統治責任から逃げる。
ようするに「欧米の植民地・天皇家の人間牧場」が、帝政日本。
天皇根絶 日本復興
天皇の無い 蒼い空を取り戻す
慈悲と憐れみに富む社会になりますように
