夢想堂新企画:一行の宝物 しおりプロジェクト①墓前の花は生きていく者への贐
皆さん、素敵な朝をお迎えになっていますでしょうか?
本日は、本屋カフェ「夢想堂」の企画: #一行のしおり に
素敵なお客様が来店してくださいました。
カンナ|をかし探求隊隊長さんは、J・D・サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(野崎孝 訳)の中の一文を一行の宝物として教えてくださいました。
言わずと知れた不朽の名作でありながら、刊行のあとの1954年、カリフォルニア州の教育委員会が問題とし、本書は学校や図書室から追放されることになってしまいました。そのような名作でありながら、解釈が違ってしまうととんでもない論議に発展してしまう名著でもあります。
2003年にはベストセラー作家である村上春樹氏が翻訳版も刊行されています。読み比べてみるのも新しい発見があるかもしれません。
私は、この主人公であるホールデンを通して同じように社会に順応できずに今ももがきながら生きている息子の姿を投影していました。
私も10代の頃に手にした記憶はありますが、その時は途中で断念してしまいました。その後、村上春樹氏版を再読しましたが大人になって、さらには親になってから再読するとまた違った視点で読み解くことができました。

「死んでから花をほしがる奴なんているもんか」
この一文から想像されたのは、明るさよりも乾いた皮肉と、ほんの少しの哀しみが混じった光景でした。
たとえば――
冬の終わり、冷たい風が吹く墓地。
墓石の前には、まだ新しい花束が置かれているけれど、花弁は寒さに萎れかけている。
その場に立つ人物は、ポケットに手を突っ込み、どこかやさぐれたような表情でそれを見下ろしている。
花を供える行為の意味を、冷静に、あるいは少し憤り混じりに否定している――「生きているうちにやれよ」と。
我が家は、残された息子と二人で少し離れた霊園へお墓詣りに行くと大概このような会話になります。
つまり、墓前に花を手向ける行為が、死者のためではなく、正者の中に花を咲かせ続けるためのものだと、感じます。
子どもでも大人でもない主人公が経験しているこの時期、誰もが少なからず感じる想いです。
ホールデンの唯一心のより所である妹のフィービーとの会話の中に、本当の著者のメッセージが隠れているように私は思います。
色は淡くモノトーン寄りで、赤や黄色の花だけがわずかに色を持つ。
そこに漂うのは、死後の儀式より、生きている間のつながりを求める強い気持ちと、やるせなさ。そんなイメージで描いてみました。
手描きのアナログ主義なもので、お見苦しいですがお納めください。


カンナ|をかし探求隊隊長さん、ご来店ありがとうございました
またのお越しをお待ちしております。
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無職で色無し状態だニャ~ン😭
