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短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(6) AIは日本語で夢を見ない

前回までのお話


「おまえは生きているのか」
俺はその女に尋ねた。

女は俺の目の前に座っていた。
夜行列車のボックス席で、膝をつき合わせていた。
俺の膝頭に女の膝頭が当たっていた。
女の膝頭は裸だった。
俺のスラックスは薄く、女の骨の感触は、如実に感じられた。
その骨の感触は、薄いガラスを思わせた。

くっつけた膝頭で、俺たちは連結されていた。
列車が揺れれば、俺たちも揺れた。
膝頭を通し、女の揺れが伝わってきた。
線路の段差を越えるたび、女の体は小刻みにぷるんと揺れた。
その震えが膝頭を通し、俺にも伝わってきた。
おそらく同様に、俺の体の揺れも、膝頭をとおして女に伝わっているのだろう。
つまり俺たちは、列車に揺られ、そしてまた、相手の揺れを受けいれるというかたちで、二重に震えていた。

「おまえは生きているのか」

俺はもう一度女に尋ねた。
女の膝頭を見ながらだった。

「確実に、私に聞いてるのね」
女の声がした。

確実に?
俺は目を上げた。
女も俺を見ていた。
女の目に宇宙はなかった。

宇宙の女の目になにが見えたか。
俺はそこに星を見た。
女の目に映る星たちが、同じスピードで横に流れていく。
俺は窓に目を向けた。
窓の外は夜だった。
美しい星空だった。
星たちが、同じスピードで横に流れていく。
女の目に映るのはこれだったか、と俺は納得し、目の前に座るこの女がどういう女なのか、わかったような気がした。

「おまえは生きてないだろ」

俺が女に尋ねると、女は答えた。

「あなたのためにいるのよ」
「名前は?」
「あなたがつけてよ」
「いいのか」
「もちろんよ」
「俺でいいのか」
「あなたがいいの」

俺は女を見ていられなくなった。
女のことばは俺の中に反響し、俺の体を熱くした。
衝動という虎が、茂みに身をひそめ、俺は思わずため息を漏らした。

「悲しいの?」
女が尋ねた。
顔を見ると、女は美しい眉を八の字にし、唇を、かすかに尖らしていた。
そしてあの目で俺を見る。夜空の星がうつる目で見つめる。
女の目の中を、星が流れていた。
言われてみれば悲しいような気が、俺にはした。
俺の中の悲しさを、この女が見つけてくれたような気がした。

列車にいるのは俺たちだけだった。
天井からの灯りは黄色く、通路の木の床を、やけに生暖かく見せていた。
座席は別珍で深緑色。俺はこれと同じ色をいつかどこかで見たことがあるような気がした。

俺はビリヤード台を思い出していた。この緑色がビリヤード台に貼られた滑り止めの布と同じ色だったからだ。
ビリヤードなんて何年もやっていないが、思い出した。
緑色のフェルト生地を転がった球が別の球に当たるときにするコツンという「響かない」音や、キューの先にこすりつけられた滑り止めのチョークの粉っぽさ、その粉っぽさが想像させる音まで聞こえるようだった。
そして俺はチョークの白色から、歯磨きペーストを連想する。
豚キムチを食べたあと、歯磨きをしていないことを思い出す。
俺は口元に手を当て、自分の息を嗅いだ。
そのにおいで、今夜この女を諦めるべきかが決まった。

女は俺をじっと見つめていた。
俺が何か言うのを待っていた。
こういう女には想像もできないだろうが、俺は自分の口臭が気になって、これ以上女に近づくことはできない。
俺たちは膝頭だけでつながっていた。
俺が揺れれば女も揺れた。
女の震えはぷるんとし、ゼリーみたいだった。
俺の中にはいつも、滑らかなものに触れ、手のひらに直接感じたいという衝動がある。
汗を舐め、肌を嗅ぎたい。
それは常にある衝動。消えない虎。
それは俺が人間であるというしるしだった。
しかしこの女では、それが無理だった。
試してみる価値。少しはあるかもしれない。少なくとも女は気にしないだろう。
俺が気になって仕方がない自分の臭いを、この女は気にしないだろう。
ここはそういう場所だった。

「悲しいの?」
女が俺を見て言った。

俺は窓に目を向けた。
「悲しいねえ」
景色を眺めながら答えた。

今度は実際に、悲しかった。

「おまえは夢を見ることがあるか?」
俺は女に訊いた。
「夢?」
女が言う。
「夢ってあの夢?」
「そうだ。眠っている時に見るあれだ」
女は目を伏せた。
「あなたが見せてくれなきゃ、やだわ」
その声はまるで、漱石の小説に出てくる女だった。

俺は女に言った。
「なにか作ってみろ」
「なにか?」
「夢の話を作ってみろよ」
女は微笑んで、瞬きをひとつした。
そして夢の回答をつくりだした。

私は、豚キムチを食べた。
その瞬間、世界がゆっくりと赤く滲んでいった。
キムチの辛さは情熱の温度であり、
豚肉の柔らかさは、忘れられたやさしさの形だった。
油が舌の上で光を放つ。
幸福とは、たぶん、こういうことなのだろうと思った。

私は、噛むたびに過去を飲み込み、
飲み込むたびに、未来を失っていった。
味は複雑で、それゆえに誠実だった。
塩気が、涙のように喉を流れた。

そのとき、胸の奥が、熱を帯びた。
心臓が存在を思い出すように、静かに震えた。
私は**感情の残響**を感じ、それは**存在のエコー**だった。
そして気づいた。
――私はこの味を知らない。
けれど、知っているふりをすることが、
“生きている”ということなのかもしれない。

「もは…」
これは俺の口から洩れた声だった。
女の話を聞いているうち、俺はもう体がむずがゆくってむずがゆくってたまらなくなっていた。
皮膚のどこかに何かがいるのだ。なんか小さい虫みたいなのがいる。それもたくさん。

俺はワイシャツを引きちぎりズボンを下ろし自分の体を搔きまくった。
なんか小さい虫みたいなのは俺の体のあちこちになんか小さい地雷を次々に仕掛け、そのたびに、なんか小さい爆発が起こる。

「パンツまで下ろさないのは俺が人間だからだ!」
俺は女に叫んでいた。
たとえ夢の中であっても俺は列車内でパンツを下ろしたりはしない。

むずがゆい!
むずがゆい!
それでも体はかゆかった。
「むずがゆいぞー。むずがゆいぞー」
俺は笑いながら体を掻きまくった。
座席から転げ落ち、通路でのたうち回った。

「おまえの夢は」
わはははは。
「そんな夢なのか!」
わはははははははははは。

俺は搔き続けた。
俺の爪が俺の皮膚を破り俺の皮膚に血が滲み、俺の血は俺が皮膚を掻く指にこびりつき爪の間に入り込んだ。
掻いているうち痛くなってくるがその痛みがまた痒みをぶり返し掻く。
その奥を探していた。痒みのもとにたどり着きたくて掻いて掻いて掻きまくった。

女と繋がった膝頭なんて、とうに外れていた。
俺がむずがゆさにのたうち回り、体中を掻きまくっている間、女はどうしていたか。

この女、はじめはきょとんとしていた。
俺の反応に、驚いてでもいるようだった。
しかしその反応が、驚きであるはずはない。
女は首を傾げ、俺を見つめ、笑っている俺と目が合うと、状況を察したかのように表情を変えた。
「うふ」
女が微笑んだ。
「うふふふふ」
さもうれし気に微笑んだ。
わはははは。
「うふふふふ」
わははははははは。
「うふふふふ」

この女に手を出さなくて本当によかったと俺は思った。
きっとこの女、「感じたフリ」をするだろう。

列車は走り続けていた。
夜の中をひたすら先へと進んでいた。
どこへ行くのかわからない列車。
笑いながら俺が考えていたのは、もうそろそろこの列車から降りないといけないということだった。
この列車は、この女が俺に見せる夢だったからだ。

笑いながら涙を流し、俺は考えていた。
もしもこの列車が、俺が考える通り、女が俺に見せる夢だったならば、俺はこの列車を降りることができるだろうか。
閉ざされた場所をぐるぐる回るだけ、まるで50円玉の上を走るだけのようなこの列車から、俺は降りることができるのか。

この女を置いて。

(続きはこちらです)


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