短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(5) 情念断絶
これまでのお話
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俺は小6の2月2日までは家庭料理を食べることができた。
2月3日から家庭料理を食べられなくなったのは、親が死んだからではない。
俺が死んだからだ。
2月3日に、親の中の俺が死んだからだ。
バー「情念」のチーママは空腹で崩れ落ちた俺を放ってはおかなかった。
チーママは「ババ」と協力し俺の体を駄菓子屋から引きずり出し「情念」店内へと引っぱり込んだ。
もしもこの様子を誰かが見ていれば、ふらつきながら手を引かれる俺の姿はやり手ババアの手びきで凶暴なホステスのいる淫靡なバーに連れ込まれる途中の気の毒な被害者に見えただろう。
しかし、なめてもらっては困る。
実際の俺はそこまで単純な男ではない。
俺は女にほだされたりはしない。
そして俺は自分の空腹の限度を自覚できない。
低血糖すら知らない男だった。
小6の2月3日から俺が家庭料理を食べられなくなったのは、母親が俺に料理を作ることをやめたからだった。
何度も言うが俺はかつてサピックスに通う天才少年だった。
その天才少年は2月3日の中学入試合格発表後に死んだ。
俺は生きていたが天才少年は死んだ。
合格者一覧に俺の受験番号がなかったことを知った天才少年の母親は、この元天才少年にフィードすることをぱたりとやめた。
それは飯を食わせなかったという意味ではない。
飯はこれまで通りだった。朝も夜も、休日には昼もぬかりなくでてきた。
米はつねに炊かれていた。
おかずに副菜も添えられていた。
2月2日までと違っていたのは、その味だった。
俺の飯はスーパーの総菜係の人が作ることになった。
俺の親は俺のために料理することをやめた。
それが別に店で買ってきた総菜だからといって、俺はそれ自体を否定することはしない。
俺はそれほど単純な男ではない。
スーパーで買った総菜の、なにが悪いのだ。
スーパーで総菜を買うことの、なにが悪いのだ。
総菜だって、心を込めて作られているかもしれないじゃないか。
調理担当の人が、愛を込めて作っているかもしれないじゃないか。
俺は小6の2月3日からそういったものを食べ続けてきたからわかる。
スーパーで買う総菜に、まずいものなんてひとつもない。
スーパーで総菜を買うことの、なにが悪いのだ。
バー「情念」の冷蔵庫からチーママが出してきた大きな四角いタッパーウェアには豚キムチ、つまり豚肉とキムチを炒めただけの料理が詰め込まれていた。
冷蔵庫にしまわれていたため当然それは冷えっ冷えで、肉もかっちかち、味わいも、おそらくそれはつまみとして提供されるものだからだろうが全体としてしょっぱくそしてキムチは辛かった。
激辛だった。
冷えているのに辛かった。
なぜそこまで辛いかというと、それは豚キムチの作成者である駄菓子屋女子兼バー「情念」チーママその人によれば、隠し味に「キムチの素」なるものを追加しているからだそうだ。
「キムチの素」は隠し味として使われている割に遠慮を捨て去ってぐいぐい主張していたが。
しかし非常にうまかった。
俺は汗だくになって冷え冷え激辛豚キムチを平らげた。
「全部食べていいとは言ってないんだけど」
「全部食べるなと言わなかったではないか」
「気い使って残すと思った。今夜お客さんに出す料理、なくなっちゃったじゃん」
「スーパーで買って来ればよい」
「なんだと?」
俺たちがこのような和やかなやりとりを繰り返す間に「ババ」はさっさと駄菓子屋に帰っていった。たとえかび臭いさびれた駄菓子屋でも番人は要るからだろう。
俺は「情念」のおしぼりを拝借し顔の汗を拭った。
あたたかいおしぼりはミントの香りだった。
「スーパーで買って来ればよい」
俺のそのこたえに女子はあからさまに、俺にもわかるくらいムッとしていた。これはきっと、自分の手料理とスーパーの総菜を同レベルにされたことに憤慨したのだろう。
間違いを正してやるために俺は女子に言った。
「いや、総菜だって、うまいんだ。食べてみれば、うまいんだ」
「そんなことは知ってるよ」
女子は答えた。
「アタシだって買うもん」
「だろ?」
「でもね」女子は俺の目を見た。
「うちの店ではアタシの手料理を出すことになってんの。それがうちの店の売りのひとつなわけ。そこで嘘はつけないの。ここだけはつけない。買ってきた総菜を、さも自分が作ったかのように出すってことが、アタシにはできない。うまいかうまくないかじゃない。プライドの問題なの。わかる?」
「プライド?」俺は笑った。「精神論か」
この俺に精神論など説いても意味がないことを、この女子はまだ知らない。
俺に飯を食わせてくれたこの女子はいいやつだがプライドを口にするとは。
ははははは。
はははははははは。
そのような使い古された文言を耳にした俺は避けねばならなかった。
このような耳障りな戯れ文言を音声でキャッチしたことにより、脳内には「プライド」という文字画像(それはなぜか鉄でできているような気がする)、およびそれに類するさまざまな、下記のようなイメージ画像、
・鉄と鉄が「がちーん、がちーん」と、かち合う。
・陽の光を浴び燦然と輝く。
・あるいは錆びて赤茶けているような。
が浮かんでは消えることを。
そしてそのことにより、俺の満腹感が汚され始めることを。
俺はもうすでに、舌に鉄の味を感じ始めていた。
俺は避ける必要があった。
せっかく豚キムチによって俺は満足し、気分がよくなっているというのに。
このまま行きたい。
はるか遠くまで。
「プライド」に、入ってこられたくない。
「プライド」などという言葉は白馬に乗ってあらわれる鎧の騎士的ワードであってファンタジーであって、つまり俺には関係ない。
俺の世界には騎士どころか魔法使いもいない。
なぜならば、俺はエモ山だからだ。
俺の世界には、エモ山がいるからだ。
俺は他の家にはあると聞く「家庭の愛情」というものは嘘だと思っていた。
世の中に披露される愛情の美談はおおむね作り話だと思っていた。
その全てが嘘だとは言わない。そこまでは言わない。なかには事実もあるだろう。
しかし美談とは、あくまでも「談」なのだ。
ことばの炎。炎には、化学変化が必要。
普通その火おこしには、誇張という技が使われる。
披露を前に、事実という我が子を鏡に映すと、誰にでも、粗が見えてくる。だから髪をとき、鼻水を拭ってやり、お仕着せを羽織らせる。
俺が思うにSNSというものは一種の「スタジオアリス」だ。
ただのガキを稀有な天使かのごとく誇張して撮影する場所なのだ。
化学変化。
見栄を張るためにつく小さな嘘。
自分たちを幸せに見せかけるための、ささやかな、けなげな嘘。
俺たちは、嘘の中で息をする。呼吸する。
「たぶん嘘だろう」と思いながら、それを受け入れる。
「こんな嘘をつくとは悲しいやつだ」と思いつつ、なぜそんな噓をつくのかがなんとなくわかるので、結局それを受け入れる。
そのようにしてこの世界には、他者への軽蔑と憐憫とが地層になって重なっている。
それはさながらミルフィーユ。甘くておいしいミルフィーユ。
腹を満たした俺は一秒でも早くエモ山業に戻らねばならないと思った。
自宅PCの前に戻り、エモ山アカウントから家庭内手工業を行い、けなげな嘘に浸りたがる5万人のフォロワーに「エモ」をふりまいて、彼らの厳しい現実をばひととき忘却さす重要な任務があるのだ。
「あ、さて」
さっき顔を拭ったおしぼりで、俺はもう一度口元を拭った。
「そろそろ俺は行かねばなりません」
ポケットに手を入れ、俺はあの50円玉を出した。
「豚キムチのお礼に、こちらからはなにも返すものがないので」
俺は将棋の棋士のように50円玉を、テーブルにぱちりと置いた。
「こちらをお納めください」
女子は50円玉を見下ろし、しかしそれを手に取ろうとはしなかった。
俺は考えた。
この50円玉が、ニセモノだと知っているからだろう。
けれど俺にはこれしかなかった。
スマホの中にある4円は電子通貨であり今ここで女子に支払うことはできない。バーのレジで「しゃりーん」とできるかもしれないがそれでは意味がない。儲けはバーに行ってしまうし、バーのもうけになれば税金もかかる。
俺にはこのニセモノの50円玉しかなかった。
「こんなのはいらないよ」
予想通り、女子はそのように答えた。
「お礼なんていらないよ」
女子はそのようにも答えた。
「その代わり、まあ、お礼の代わりと言っちゃなんだけど…」
女子は俺の目を見、おずおずと尋ねた。
「アタシの豚キムチ、そんなにおいしかった?」
俺を見つめる女子の目には宇宙があった。
その目に見つめられた俺は、返すことばを探し、女子の宇宙をさまよった。
宇宙にはすべての時間が保存されていた。
俺は宇宙をさまよいながら、小6の2月3日も目にした。
暗い食卓で、小6の俺がひとり、食卓でもそもそと飯を食っていた。
女子の豚キムチはうまかった。
おいしかった。
とてもおいしかった。
これまで食べた豚キムチの中で、一番おいしかった。
たったひとこと言えば、それでよかったのに、そのことばのどれをも、俺はどうしても口にできなかった。
そのことばを口にすることが、小6の2月3日以降の俺に対する裏切りのように思えたからだった。
俺は女子の目の中の宇宙で、無重力を漂っていた。
だだっ広いその宇宙で、俺は気づいた。
俺はこの宇宙で、ひとりぼっちであることに、気づいた。
俺は、涙を流しかけていた。
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