短編小説「エモーショナル怪人 エモ山」(86) マルチモーダル鬼ごっこ
前回のエモ山👇
俺の世界には、騎士も魔法使いもいない。
いるかもしれないとも考えない。
これは世界設定の話だ。俺が俺の世界をどう設定するかの話だ。
今のところ俺の世界は、
『利害関係調査委員会』。ガリラヤ倉庫のプール室。
家に帰るまでが遠足なら、世界はどこまでもプール室。
会ったことがないから、
俺は騎士や魔法使いが「いる」と言うことができない。
騎士はいるかもしれないけど魔法使いはちょっと、とか、そういうことでもない感じ。
「いるかもしれない」ってのは「いないかもしれない」ってこと。
俺はそういうふわふわしたものはもう無理っていうか、
「いるかもしれない」のに「いないかもしれない」ってことが、
逆に俺の胸を苦しくさせる。
そして俺は気づいて驚く。
自分が狂おしくなにかを求めてるってことに気づいて、びっくりする。
あっけにとられる。
俺は一体なにを求めてるんだろう。
わかってるのは、それが騎士だの魔法使いだのじゃ解決できないってことだけ。
ここはプール室だった。
就業時間後の、俺の仕事場だった。
俺のとなりにはAIお針子がいた。
「かたまりだ」
そう言ったお針子に、俺はこたえていた。
「早く家に帰りたいんだが」
白い頬を明かりに照らすようにして、お針子は、俺を見上げた。
血の気のないような、光を吸うような、頬だった。
小さい唇をひらきかけ、なにか言うかと思ったら、
なにごともなかったかのように、扉に目を移した。
まるで、俺の声がまったく聞こえなかったんだけど、聞こえなかったけどまあいいや、って置き換えた感じ。
扉の向こうは静まり返っていた。
「かくそうとする」
お針子がポツリ言うけど、今のところ向こうがかくれている。
俺はお針子の小さい頭を見下ろした。
黒髪はさらさらして細く、その下の皮膚は真新しく青白い。
つむじのかたちから、俺はプールの水面の渦を連想したんだけど、
お針子の頭にある渦は、広がっている途中なのか、すぼまっている途中なのか、途中でとまってしまっているのだ。
プールの水がうねる、かすかな響きは、
お針子のさらさらした髪を、なでることしかしない。
つむじは、
その身体がかつて、どこかからひねり出されたものであることを証拠立てているようだったけど、
お針子の場合は、こよりのようなつくられ方をしたものにも思えてくる。
「おまえもやるか?」
お針子が、俺を見上げた。
「なにをだ」
俺は尋ね返したけど、視線は自然に、両開きの扉に向いていた。
「かくれんぼか、鬼ごっこ」
「かくれんぼか、鬼ごっこ」
俺たちは、目を見かわした。
お針子が、ニヤリとし、俺は頬をぽりぽりと掻く。
扉は全部で三つ。
廊下側の扉はさっき俺が閉め、鍵を閉じた。
巨大ドラム式洗濯機側の横開き扉に鍵はなく、その向こう側には確実になにかが「いる」。
姿は見えないけど、
二枚の扉板のすき間から、なにかもわもわした、湯気みたいなものがつたわってくる。
そして三つ目の扉。
それは白い壁の上のほう、天井近くにあった。
それは天井をぶち抜いてプール室が作られる前は、非常階段から2階のフロアに通じていた扉。
2階はもうない。
プール室の上は3階。3階は、真っ白アーカイブセンター。
俺は背中が暑かった。
外気より先に体温が上がってきた感じ。
ワイシャツの襟の内側に手を入れて、俺は体に風を入れるけど、
そんなに温度は変わらない。
それから俺は、持っていたタモを床に置き、言った。
「俺は早く帰りたいんだけどね」
念を押すように。
お針子が、弾かれたように走り出した。
わざと驚かせるみたく、大げさな身振りで。
後ろ足で蹴った砂が、跳ね上がり、扇形に広がる。
目の高さにまで跳ね上がったそれを、俺は体ごとひねってよけて、
砂が描く弧の下をくぐり抜け、白い壁を仰ぎ見る。
塞がれた扉の跡が見える。
バコっという音に、振り返ると、
お針子が、扉を蹴っ飛ばしていた。
横開きのほうだ。洗濯機側の扉。
蹴飛ばされた反動で扉は少し開き、
すき間から、
も
なにかが出てくるのが見えた。
お針子が、細い両腕を、すき間につっこんで、なにかをひっくり返すような動きした。
すると扉は勢いよく、大きく開いた。
わもわ も
わもわも もわもわもわも
わもわもわもわもわも もわもわもわ もわもわ
わもわもわ わもわもわ もわもわもわも もわもわもわも
一気に入ってきたもわもわ。
「来たぞ!」
お針子がダッシュして、廊下側のドアに寄った。
そしてお針子は、廊下側のドアも開ける。
待ち受けていたかのように入りこんでくるもわもわ。
わもわもわもわもわもわもわもわもわ もわもわもわもわもわもわもわもわもわも
わもわもわもわ もわもわもわも もわもわも わもわもわもわ
もわもわもわもわもわもわもわもわもわもわわもわもわもわもわもわもわもわもわもわもわも もわもわもわもわもわもわもわもわもわもわもわもわもわもわもわもわもわもわもわもわも
たなびくリボンのような。
川の流れのような。
しかしそれは熱気で、
しかも文字列だった。
もわもわしたものが、じょろじょろ入りこんできたとしか、言いようがなかった。
「風もないのに!」
お針子はスキップし始めた。
「ケセランパサラン」
丸いプールの周りを、お針子が駆け回る。
けひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!
これはお針子の笑い声。
スキップしながら、仰向いて、体をのけぞらす。
細い肩が揺れ、黒髪が、振り子のように激しく左右する。
そのお針子を追いかけるもわもわは、
文字列の舌先をとがらして、お針子に届こうとする。
けひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!
くすぐったそうに笑ったお針子が、走りだした。
甲高い笑い声が、プール室の壁に反射して、返ってきた。
声が戻ってきたあとに、壁まで追われたお針子も、Uターンして戻ってくる。
お針子を追いかけていたもわもわは、壁にぶつかって、とぐろを巻く、
その間を、お針子が、笑いながら突っ切っていく。
もわもわもわ
わもわも わもわも
もわもわもわも わもわ
わもわもわもわもわもわ
もわもわもわも わもわもわもわ
わもわもわもわもわも
もわもわも わもわもわもわもわも
けひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!
わもわもわもわも わ
もわもわもわもわも
わもわも わも
も わもわもわ
もわも
わ
も
俺の耳を撫でるものもあったよ。
振り向くと目の前に、小さなもわもわ。
手招きすると、さらに寄ってきて、それはうっすらと、紫色に見える。
かぜ
もないのに
それは、名乗っていた。
自分を名乗っていた。
のにケセ ラン
パサラン か ぜもない
パサラ ンかぜも ないのにケセラ
かぜ もないのにケ セ パサランかぜ もなのに
ケ セランパ ンか ぜもないの にケ セラン パ サラン
かぜ にケセラン パサランか ないのに ケセラン セラン
両腕をぶん回し、もわもわをかき回したら、紫と白の、マーブル模様のかたまりができた。
いのにケセラン セランパサ
パサランかいなもぜ
ぜもンかぜもないぜのにかぜ
ランセケにのい
文字列は、歌のようで、
俺はもわもわを、読もう読もうとしてしまう。
意味を出そうとしてしまう。
「かたまらせるな!」
お針子の声が、遠くから聞こえた。
「かたまると、かくすぞ!」
お針子が、俺のほうに走ってくる。
その瞬間、
薄紫のもわもわが、目の前から消えた。
それは俺の頭上で、スカートみたいに広がっていた。
「ひゃあ」
俺は頭に手を当てて、あわてて走り出した。
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