【ダークファンタジー小説】チェスガルテン創世記【42】
第八章――炎の子 前編 【Ⅳ】――
夕暮れ時だった。空が星と月の帳に幕変えをする直前の、あたりがようようと赤く染まる、ものさびしさを覚えるほんのわずかな時間。
羊を天幕に集めていたトルヴァたちの元にダインがやってきて、ひそひそ声でたずねてきた。
「なぁ、ルクーってどこ?」
「ルクーなら天幕だよ。ヘルガと一緒に晩飯作ってるぜ」
「あのさ、こっそり連れだせない? なるべくおばちゃんに見られないようにしたいんだけど」
トルヴァは、作業の手を止めてダインに向き直った。
「どうした?」
「ロッタがちょっとさ……」
ダインは途方に暮れた顔だった。しかし同時にあたりを世話しなく、きょろきょろとうかがっている。
――何らかの悪さを、しでかした後のふるまいである。
「何があったか知らないけど、謝るんなら早い方がいいんじゃないのか」
フェンリルが口を開くと、ダインは憤然とかみついてきた。
「ちがうよ、ばか! そんなんじゃないって! そうじゃなくってさ……とにかく、ルクーだよ。それかヘルガ。なんならこの際トルヴァでも、フェンリルでもいいよ」
「オレ『でも』だぁ?」
トルヴァはなんとしても、悪ガキの口を割らせてやろうという気になり、腰に手を当てた。当然、嫌がらせのつもりである。
「それならおっちゃんでも構わないよな。どこにいたっけ?」
「ブラギのところだ。そろそろ戻ってくるんじゃないか」
「わーっダメダメ! おばちゃんはダメだけど、おっちゃんもダメなんだって!」
慌てふためきながら、ダインは大手を振った。グズリの雷のおそろしさは、すでに体験済みなのだった。
「あの二人は絶対だめ。逆効果! ルクーだよ、ルクーが効果抜群。まちがいないんだって」
「劇薬みたいに言うなよ。ロッタに何した? それとも二人でやらかしたか? 今ならオレたちでどうにかしてやるから、白状しろって」
「ああもう!」
ダインはじれったそうに、激しく頭を掻いた。
「――じゃあもう、どっちでもいいから来てよ。おばちゃんとおっちゃん以外なら、誰でもいいからさ。オレもお手上げなんだってば」
人を困らせることこそあれ、その逆はほぼありえない。
そんなダインの訴えで、彼らは二手に分かれた。フェンリルは秘密裏にルクーを連れだすため天幕へ。
一方のトルヴァがダインに案内されたのは、猟犬小屋だった。
「ロッタほら。いいかげん出てこいよ。トルヴァを呼んできたから」
「やっ! ぜったいいや!」
「ルクーもすぐ来るぞ。なのにそんなところにいたら、犬と間違われちゃうぞ。いいのかよ」
小屋の周囲には、木彫りのおもちゃや綺麗な色紐といった、ダインの努力の残骸が散らばっていた。小屋の本来の主であるハティは、その周囲で所在無げにうろうろしている。
何故かと言えば、ロッタが小屋に入り込み、入口を大鍋でぴっちりと塞いでしまっていたからだった。
「ルクーはまちがわないもん。ロッタはこれから、ここにすむの」
「ばか言うなよ、ここは犬小屋だぞ。人間はすめないの!」
「じゃあロッタはわんちゃんになる!」
「オレやだからな、妹が犬なんて! あたりも暗くなってきてるし、とにかく帰ろうってば。腹へったしさあ。このままだと、おばちゃんにもおっちゃんにも怒られるって」
「ロッタはおなかすいてないもん。おばちゃんもおじちゃんもしらないもん。おにいちゃまだけかえればいい。ロッタはかえりません!」
「ロッタぁ」
頑なな妹との言い合いの末、ダインは呻いた。
「なるほどな。確かにこれは、ルクー案件だわ」
感情の赴くまま発散するロッタが、これほど内にこもってへそを曲げるのはよっぽどだった。
困り果てた顔で、ダインがトルヴァを見上げて言った。
「昼すぎくらいからさ、ずっとこうなんだよ。何があったか教えてくんないし。叱られたんだかなんだか知んないけどさ、とにかく、おばちゃんとおっちゃんのいる家には帰らないって。そればっかでさ」
「どっちにしろこのままじゃあ、探しにくるぞ」
「だから困ってんだって。絶対もめるし。無理矢理引っぱり出したら、こいつ、目がとけるまで泣きわめくに決まってる」
確かにこうなった主な原因があの気の良い夫婦にあるのなら、ロッタの引きこもりは、より強固になりかねない。ダインが接触を避けたがるのもわかるが、所詮は時間の問題だった。
トルヴァはその場にかがみこむと、小屋の入口を塞ぐ鍋をコンコンと叩いた。
「ロッタ、お前本当にここに住むつもりか?」
「すむ」
「そうか。なぁロッタ。本気だってんなら、オレは止めないけどさ」
「えっ!」
ぎょっとして渋面を作るダインを、人差し指で制してトルヴァは続けた。
「でもここは、狩りをする猟犬たちのための小屋で、人間が寝泊まりするようにはできてない。本気なら、色々と必要になるぞ。それに犬たちは新参者に厳しいからな。いじめられないように、うまく立ち回らないといけない」
「ハティがいるからへいきだもん」
「そうかもな。ならオレも、ここに住もうかな」
トルヴァはほとんど本気で言った。ロッタは最初よりも勢いを弱めた調子で、確かめるようにたずねてきた。
「……トルヴァだっていじめられちゃうよ?」
「お前をひとりにするよか良いよ。犬の中に人間ひとりじゃあ、心配だしな」
「……ひとりでもへいきだもん」
「そっか。でもオレは一緒が良いな」
トルヴァは根気強く続けた。
「本当に一番良いのはさ、ロッタが出てきてくれることなんだ。でも帰りたくないんだよな? ならそれで良いよ。でもさ、せめて理由を教えてくれよ。オレたちと一緒がいるのが嫌になったのか?」
「……ちがう」
「良かった。じゃあ帰りたくないのは、グズリさんたちに会いたくないからか? ひどく叱られたのか?」
「……」
それきりロッタは沈黙した。やはり無理だったかと、トルヴァが諦めかけた頃だった。
不動の鍋がずりずりと横に滑り、中からロッタが、地面に手をついて這い出てきた。
「おこってるのは、ロッタだもん」
そう言って顔をあげたロッタは、吠える手前の子犬のようだった。
沈みかけの夕陽に赤く照らされたその顔は、ぎゅっと眉間にしわを寄せ、くちをひん曲げてぶうたれている。
普段の天真爛漫な可愛らしさとは程遠く、本人は真剣に怒っているに違いないのだが――ぼさぼさの巻き毛といい、汚れて犬の毛だらけの格好といい、誰がどう見ても、悪さをしでかした側の有り様だった。
「ロッタは、わるくないんだから……」
気持ちが昂りすぎたのか、トルヴァの顔を見て我慢の糸が切れたのか。そこから先は言葉にならず、涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。
「ああ、ああ、もう」
あふれ出る涙を拭い去ろうと、顔をこするロッタへトルヴァが両腕を広げた。ロッタは逆らわずそのまま、トルヴァの腕の中におさまった。
「泣くくらいならやんなよ! わけわっかんねえなあ、もう」
「我慢してたんだよな? ほら。大丈夫、大丈夫……」
トルヴァはそのまま、ロッタを抱きかかえて立ち上がった。
揺すりながら背中を撫でているところにちょうど良く、フェンリルとルクーがやってきた。
「ごめんね、遅くなって。ロッタは?」
「いまトルヴァが抱きあげてる」
フェンリルが、短く現状を説明した。ルクーの手を、トルヴァの腕の中ですすり泣くロッタに導き触れさせる。
手のひらから伝わる気配に、ルクーが眉根を寄せた。
「ロッタ泣いてるの? どうして?」
「……だって、いじわるいうんだもん……」
トルヴァの胸元にぐしぐしと顔を押しつけてから、ロッタは言った。
そしておろしてもらうと、こすって赤くなった顔で、胸元のかくしから紐状の何かを取り出した。
「これ……」
ロッタが差し出したそれは、どう見ても子供のおもちゃにしか見えなかった。
加工の際にあまったらしい落ち角のかけらやどんぐり、銀細工の端切れが、あまり上手な出来とは言えない色紐に、じゃらじゃらと連なっていた。
ルクーは手渡されたそれを、指でつまみながら確かめた。
「これは?」
「ロッタが、つくったの」
「なんだ? このがらく……」
トルヴァが素早くダインの口をおさえつけた。
「おじいちゃま、おとななのに、こはくだまをもっていないでしょ? ぎんざいくも、ないでしょ? だからロッタが、おじいちゃまにつくってあげたの……」
「そうだったの……そっかぁ、うん、よくできてるね。きっとおじいさん、喜ぶよ」
ルクーが優しくとりなしたが、ロッタは首を振った。
「だめなの。わたせないんだって」
「どういうこと?」
「おじいちゃまにわたしてって、おじちゃんにたのんだの。そしたらおじちゃん、わたせないかもって。なんで? ってきいてもおしえてくれなくて……。だからね、こんどはね、おばちゃんにたのんでみたの……そしたらおばちゃん、おじいちゃまとは、もうあえないんだよっていうの……」
ロッタはしゃくりあげながら続けた。
「おじいちゃまは、ヨトゥンヘイムでは、くらせないんだって。どこのしゅうらくでも、だめなんだって。それだけ、わるいことをしたんだっていうの……。だからでてったんだよって、おじいちゃまのことはわすれなさいっていうの……」
懸命に説明を続けていたロッタだったが、次第にしゃっくりの合間が短くなっていった。
「おばちゃんもおじちゃんもきらい。わるいことしたんなら、あやまって、それでゆるしてもらうじゃだめなの? なんで? ゆるしてくれないの? そんなのいじわるだよ。おじいちゃま、どこいっちゃったの? おじいちゃまにあいたいよう……」
限界だった。ロッタは顔をぐしゃぐしゃにゆがめて、大声で泣きだした。
トルヴァは静かに戦慄していた。グズリから言い聞かせられたという、その意味に気づいたのは、トルヴァだけではなかっただろう。
フェンリルも。ルクーだって。この場にヘルガがいたならば、彼女だってきっと気づいたはずだ。
トルヴァがはっとなってあたりを見回すと、すでにフェンリルは走り去ろうとするところだった。
「――わりぃ、ここ任せた!」
しがみつくロッタをなだめるルクーの背を叩き、トルヴァも遅れて駆けだした。
「おい、どこに行く気だよ」
追いついてたずねるも、フェンリルはトルヴァの方を見もしなかった。ただまっすぐに、いずこかへと検討をつけ足早に向かっている。
トルヴァはもう一度呼びかけた。
「待てよ。オレも行くって」
「ずっと考えてた。なんでじいさんは、剣を置いていったのか」
誰にでもなく呟くフェンリルに、トルヴァは彼が昼に言いかけた内容が、これだったのだと理解した。
フェンリルの目つきが、あっというまに鋭くなっていく。
トルヴァはその横顔を見て、フェンリルがカザドの行方について――何故、何も告げずに出ていったのかについて、同じ考えにいきあたっていたのだと悟った。
「――置いていかれたのは、おれたちだ」
フェンリルがまっすぐ向かったのは、ブラギの天幕だった。中では彼の家族のほかにケヴァンの姿もあった。
乱雑に幕を押し上げずかずかと侵入するフェンリルたちに、ケヴァンは目をぱちくりさせた。
「おうリル坊。それにトル坊――なんだなんだ、どうした?」
フェンリルはケヴァンを無視して、彼の隣で腰掛けゆったりと酒を飲むブラギの前に立った。
「じいさんはどこに行った」
ものものしく現れるなり開口一番にそうたずねるフェンリルを前に、ケヴァンが息を飲み、ブラギは一瞬鋭い目つきになった。
だがあくまでもくつろぐ姿勢を崩さず、酒がなみなみ注がれた杯を持つ手でケヴァンを示して答えた。
「誰から、何を聞いた。グズリか? それともこの、嘘のつけないお人よしか?」
「誰が何を言ったかなんてどうでもいい。どこに行ったかと聞いてる」
「知ってどうする」
「あんたには関係ない」
「話にならんな」
ブラギは失笑した。
フェンリルの隣に並び立ったトルヴァは、彼がまたいつぞやのようにつむじ風を起こすのじゃないかと、若干警戒した。しかしフェンリルの周囲は不気味に凪いだままだった。
冷徹な口調のまま、フェンリルは確信をこめて言った。
「最後にじいさんと会ったのは、あんたなんだろう」
「さあてな。どうだったか」
「集落の取り決めは淑女、覡巫、長の三位一体だ。……罪人をどう処分するのかも……三役が決定する」
罪人という響きを耳にして、トルヴァは口の中が一気にからからになった。
それはありえないことだった。
だがそう考えればすべてが符合するのだ。カザドが人知れず旅立ったことも、ロッタが忘れなさいと言われたことも。
彼がこれまで、どうしてあんなにも、集落暮らしを拒んでいたのかも。
(こっちが拒んでたんじゃない。逆だ。拒まれていたのは、じいさんだったんだ……)
「処分が追放なら、立ち合うのは誰か一人で良い。大抵は長のはずだ。――あんた以外ありえない」
「リル坊……」
ケヴァンの顔が、酒が入っているのにも関わらずみるみる青ざめていく。
ケヴァンは悪い人間ではない。だがもう少し、嘘が上手になるべきだとトルヴァは思った。
ブラギは一度、杯に視線を落としてひとりごちた。
「知らなくて良いことは、世の中ごまんとあるんだがな」
そしてフェンリルとトルヴァの両方を見つめて、彼らの意思が固いと知ると、杯を一気にあおり立ち上がった。
「ここは場所が悪い。移動するぞ。――ケヴァン、グズリを呼んでこい。エイナルのところで待つ」
【次話】
【他本編】
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