【ダークファンタジー小説】チェスガルテン創世記【54】
第八章――炎の子 中編【Ⅷ】――
「せめて山壁でお控えいただくほうが……このように血生臭い場所、刺激が強すぎます」
隊長は従者を更に打ちすえて叱り飛ばした。
もっともらしいことを訴えてはいるが、惨状に怖気づき、保身しか頭にないのが明らかだったからである。
「姫君の御車が進軍することに、意味があるのではないか! 彼奴等に何者が参上なされたのか見せつけ、かつ、華々しい功績を築くために必要なことだというに。それがわからぬとはこの愚か者!」
隊長は馬鹿な顔をさらす従者に、はては部下たちに向けて言い放つ。
士気を下げてしまうことを危惧して、己の胸のみで受け止めていたが、とうとう明かさねばならぬ時が来たようだ。
隊長は息を吸い込み、もったいぶった口調で語り始めた。
「よいか! 帝国において、我らが姫君は極めて不安定なお立場にある。政争より離れ、遠い異国の血で蝶よ花よと愛でられお育ち遊ばされたが、それゆえになんの実績も後ろ盾も持っておられない。何より姫君は、大層意志薄弱なかたなのだ……」
語りながら隊長は、姫君の尊顔を拝した最初の日のことを思い浮かべた。
顔合わせの日、隊長が如何に此度の任務を誇りに思っているか述べた際、姫君はすぐには答えなかった。
訝しみだすほどの時間がたった頃、ようやっと「大義である」と告げられ顔をあげると、そこには侍女の腕に絡みついておどおどと目を伏せる、臆病極まりない少女がいた。
姫君は細面にすっきりとした見目の、美しい少女だった。しかし中身の凡庸さが、容姿を十人並みにまで落としこんでいることは、すぐに理解した。
受け答えのたびに姫君は侍女か直属の護衛に助けの視線を向けて、手招いては耳打ちし、答えてもいいものかの判断を求めてばかりいたのだ。
侍女に促がされて熟考の末に出てくるのは「守護の任を全うせよ」か「汝の良きように」という始末。道中気をもみ、不足は無いか、心身健やかかと訊ねてみても、目元を伏せてうつむいてしまう。
そしていずれも自らの口ではなく、侍女に言わせるという有り様だった。後に隊長は、初日の御言葉すらも侍女が代弁していたのだと気がついた。
成人前とはいえ、十五という実年齢よりもずっと幼く見え、無礼ながら申し上げれば、尊き血が御身に流れていなければ、下女になるのが妥当のような主体の無さ――底の浅さが知れたのだった。
隊長は初めこそ落胆したが、すぐに思い直した。
このうら若さなのだから、のびしろがあると思うべきだ。このままにしてはおけぬ。たとえ如何に愚鈍な主であっても、部下次第ではどのようにでも化けよう。
馬車の天蓋から、重く垂れる紅と深緑の帳の向こうにおわす姫君にも聞こえるよう、隊長は声を張った。
「もちろん心根のお優しさは美徳である。だがあれでは、あっという間に食い物にされてしまうだろう。お血筋のみを見て、そこにつけこみたがる輩はごまんといるからな。まことに嘆かわしい……。だがまだ望みはある。せめてお立場だけでも盤石になるよう、我らが尽力して支えるのだ!」
「……それが、いったい、任務を外れてこのような山奥の天の民を蹂躙することと、どう繋がるのですか」
鞭が再びしなり、従者は悲鳴をあげてのけぞった。
「ここを見ても、まだ深刻さがわからんのか大馬鹿者! 奴ら、女神の目を逃れてこのように増えていたのだぞ! あの『市』やらと同じく、反乱分子の溜まり場ではないか! 一刻も早く潰さなければ陛下の――はては帝国の威信に関わるというに!」
完璧な正論に、従者はもう反論はしなかった。いや、できなかった。顔面めがけて執拗に振られる鞭が、瞼や唇を裂いてそれどころではなかった。
隊長は馬上で鞭の痛みに呻きながら耐える従者の姿を、さも滑稽な物でも見るように鼻を鳴らした。
「……逃亡奴隷を捕獲するという話は、どうなったんだ?」
「しっ! 俺たちも打たれるぞ」
従者と年の近い若手たちがささやきあった途端、彼らの前に立ち並ぶ上官たちが、こちらに睨みを利かせる。
目を合わさぬように視線を落とし、心では勇気ある従者に同情した。
(くそっ――なんでこんなことに)
本当なら彼らはとっくに帝国に戻り、次の任務まで鍛錬をこなしながら、日々を過ごしていたはずだった。
なのに彼らがこの天の民の隠れ里を見出して現れたのは、予定外の殲滅を行っているのは、この隊長の独断のせいに他ならない。
最後に立ち寄った街で彼らは――いや、隊長は――とある商家から、貴重な薬の精製に携わっていた奴隷が、逃げだしたと泣きつかれた。
本来ならば街に配属された警備の仕事になる。なのにあろうことかこの隊長ときたら、女神の戦士の威信にかけて、捕えてみせようと安易に請け負ったのだ。
道中、帝国より伝令を携えた迎えの戦士のうち、三人が行方知れずになったことや、本隊に合流した一人から、天の民の子供の襲撃を受けたという情報が入ったのもまずかった。
隊長はそう遠くには行っていないだろうと算段をつけ、道をそれて山に分け入りこれらを捕えよと命じた。
そして彼らは偶然にも、逃亡者の集団を発見した。
そこは帝国に居場所をなくした地の民と、元より居場所のない天の民が中睦まじく交流する場所だった――。
賢明であれば、この時点で任務に戻る判断をしただろう。帝国に戻り、一言報告すればそれで済む話だ。与太話にすぎなかったそれが実在していたと。
逃亡奴隷はいなかった。もう立ち去っていたのか、そもそもの算段を見誤っていたのか。
隊長は市の徹底した取り潰しを命じ、一部の逃亡者をひっ捕えた。
不埒な蛮族については、逆らう姿勢の強い者もろとも始末し、新たに仕入れた情報をもとに、更に山奥へと無計画に進み続けた。
無計画にも程があるがそれも仕方がない。此度、異例の抜擢を受けたこの幸運な隊長含めた一部の上官――特にこれといった実績もなく、鳴かず飛ばずで、ただ齢を重ねただけの上官たちは、このままで帰れるかと、より躍起になっていった。何より隊長は、例の商家の頼みごとを請け負う代わりに、相当の旨みを得ていたのである。
「この巣を見事駆除できた暁には、大きな功績になる。地帝陛下も我らの働きにご満足なさるであろう。これ以上姫君も、軽んじられることはあるまい」
お優しい姫君は今頃馬車の中で、この現状に恐れをなして侍女にしがみついているに違いない。
だが世を統べる偉大な血族の娘であるならば、時には厳しい世界についてその身をもって知らねばなるまい。
女の印以外の血の道というものを、体感すべきなのだ。誰かが導いてやらねば。そして誰も名乗り出ないなら、自分こそがそうしてやらねば。
そうとも。これは姫君の今後の為に必要なことだ。
――とはいえ。
とはいえ、あの重たげなまつげが悲しげに伏せられ、潤むまなざしが頼れるあても無く途方にくれる様を想像すると、どうしても嗜虐的な欲望が湧いてきてしまうというものだった。
(姫君を軽んじているのは、帝国ではなく、お前たちのほうじゃないのか)
従者は涙目のまま歯噛みした。立場ゆえに表立った反論もできない。他の若手とてそうだろう。隊長が一見真摯に振る舞いながら、その実、姫君の威光を出世のだしに使おうという魂胆が見え見えだ。
姫君は確かに憶病なかたではあったが、望みは一貫して「帝国への速やかな帰還」である。このような放浪など早く終わらせ、ただとにかく帰りたいだけというのが本心だろう――だがそれこそが彼らの本来の任務なのだ。
彼らの装備は元より戦闘に向いた物ではないし、行軍の物資もたび重なる脱線で底を尽きかけていた。
帰還までのことを考えると大分切り詰めることになる。姫君にいらぬ苦労をさせることになると、わかっているのだろうか? 隠れ住む天の民の里など、構っている余裕など無いのだ。
これはする必要のない進軍だ。
そしてたとえ、どのようなかたであっても、現人神たる主の意思を捻じ曲げることが許されるはずはない。
箱馬車の中でただまんじりと待つしかない姫君が――このような血生臭い現場に連れ出され大義の象徴にされている姫君が、哀れでならなかった。
「――何をしている! 早く行け!」
中々動かずにいる部下たちに焦れて、隊長が従者に預けた角笛を乱暴にとり返して吹き鳴らした。
上官たちは動かない。目線で促がされ、若手たちはじわじわと進軍を始めた。相手の出方を見るための、良い盾にされているとわかっていながらも行くしかなかった。
芽吹いた草木のあちこちが踏み荒らされて、飛び散った血が混じる中を彼らは進んだ。めくられて顕わになった湿る黒土のにおいの中に、ツンと鼻をつく錆臭さが混じっている。
ふと、ある若手の馬が倒れ伏して動かない金髪の子供の頭を、ぐしゃりと踏み砕いた。薄い頭蓋からぶるりとはじけ出た中身をまともに見てしまい、若手はたまらずその場に吐いた。
「馬鹿! しっかりしろ」
「だ、だって――」
「天の民は荒ぶる敗北神の残滓――蛮族にすぎないんだ。これは、ただの死体だ。獣のと変わらない。そうだろ?」
そういう相手こそ、今にも吐きそうな顔色だった。
悲惨な躯がいくつか転がっていた――中には先攻したすえ反撃を受けて命を落とした戦士の亡骸もあった。
いざその死を目の当たりにすると、それが誰であっても歓迎はできなかった。次にこうして動かなくなっているのは、隣の相手かもしれない。自分であってもおかしくない。
何故こんなことをしなければならないのだろう。こんなはずではなかったのに。ただ、帰るだけで良かったのに。
「危ない!」
誰かが叫んだ。前方の丘から火のついた荷車がこちらに向かって転がってきたのだ。
一台放たれてはまた一台と、順番に突っ込んでくる荷車は、積んだ干し草や家畜の糞の上から酒を撒かれて、ごうごうと燃える火車と化していた。
幸いにも荷車の犠牲になった者はいなかった。見上げれば、荷車を放ったと思しき人影が、数人、天幕群とは反対の方向へ駆け去っていく。
「情けない!」
たたらを踏む若手たちの背後で、せせら笑う声が上がった。
「奴らめ。我らの力を思い知って戦線離脱を企んでおるわ! そらお前たち、そのまま追いつめてしまえ!」
だが若手が馬足を早めようとしたその時、低く重い歌声が響いてきた――それも今度はひとつではない。複数の人間がその歌を唱えている。
「まずい――」
その不思議な歌の効果は、もう知っていた。
若手たちは衝撃に身構えたが、しかし、訪れたのは勢いのある昏倒ではなく、ゆるゆると柔らかな眠りだった。馬たちがその場にゆっくりと膝を折り、首を垂れて眠りだす。
落馬こそしなかったが、騎乗したままでの進軍はもう不可能だった。
「気をつけろと言っただろう! たわけ共め――ええい、この先は自らの足で行け! さあ行け!」
背後から叱責する隊長たちの馬まで、歌声は届かなかったようだ。
若手たちは悔しい思いを噛みしめながら、やけくそのような気持ちで足を進める。
――恐らくはもう、逃亡奴隷も行方知れずの仲間のことも、彼らを襲撃したという天の民のことも、隊長の頭にはない。
ただ目の前のわかりやすい弱者を、蹂躙することに酔いしれている。
なんでもいい。早く終わってほしかった。
* * *
歌声は、荷車を放った天の民たちが駆け去った先から流れていた。
誘われるようにして辿りついたのは光を放ち、よくよく透き通った巨大な建造物の元であり、場違いなほどうっとりと柔らかな風が吹き寄せてきた。
緊張した心身が和らぎ、ほどけるようである。
「世界の支柱の――破片だ。こんなところにあるなんて」
感嘆のささやき声があがった。帝国の天を貫くそれとは異なり、登頂が融けたようななだらかさで途切れている。まさかこのような場で、神の遺物をお目にかけるとは思いもよらなかった。
破片は今、仄かな燐光ではなく、内側から発される白い光によってまばゆかった。目をしばたたかせる者がいる一方で、その周囲を取り囲むように並んだ天の民たちを注視する者もいた。
反撃を予測していた若手たちに対して、そこにいたのは初老に手が届くと思われる者たちだった。もしくは先の襲撃で傷つき血を流す者、顔色が悪く、患っているらしい者ばかりがいた。
健常そうな若者や子供の類がいない代わりに、お腹の大きな女性が何人かいた――彼女たちの傍らでは、傷ついた男たちが痛みに喘いでいた。
夫なのか身内なのかわからないが、ここへ逃げ延びること、最後を共にすることを決断した者たちには違いない。素人目であっても回復できる見込みはなく、もしも奇跡が起きたとしても、元通りにはならないだろう。
天の民たちは皆そろって同じ歌をささやき、眼前に迫りくる戦士たちを前にして一切動揺を見せることはなく、また、抵抗も反撃もしてこなかった。
遺物の光を浴びる雪のように真っ白な肌に、淡い頭髪を持つ者たちがぞろりと並び、明るい色の瞳でそろって見つめてくる。
視線に込められた心を理解することはできないが、確かなのは彼らが逃げられない者たちだということだった。
里の規模からして、どう考えても数が合わない。
彼らはここに、置いていかれたのだ。
「――どうする?」
困ったように呟いたのは、先程、天の民の子供の亡骸に嘔吐した人物だった。
抵抗してくるようならともかく、彼らの目の前にいる天の民たちは傷ついている。見当違いにも程があるが、同情すらした。
女神の戦士を名乗るための最後の試練として、天の民を己が手で、処刑するという通過儀礼がある。もちろんこの場の全員が済ませていたことだが、縛り付けられそうあるべく用意された供物と、目の前のこれはまったくの別物だった。
誰もその最初のひとり――無力な相手を更に追いつめ痛めつける、無慈悲なひとりには、なりたくなかった。
「捕えて、上の指示を仰ごう」
誰かが素晴らしい提案を口にした。
「武器も持ってないようだし、これだと反撃は無理だろう」
「そうだな――それがいい。そうしよう」
「無抵抗だものな」
それこそが上の役割ではないかと同意する中で、疑問を呈した者たちもいた。
「でも、何かおかしくないか?」
「おかしい?」
「なんだか、誘いこまれているようじゃないか? さっきの荷車を押した奴らはどこに行ったんだよ。こいつらじゃあ無理だろう?」
言われてみればと若手たちは顔を見合わせた。
彼らはしばし逡巡したのち、捕える者と探索する者とで分かれることにした。まだそこいらに、潜んでいるかもしれない。
残った若手たちが、それぞれ縄を手にした時だった。遺物の根元に腰かけていた、枯れ木のような老人がゆらりと立ち上がった。
奇妙な形の木の冠をかぶった老人の髪はこの場の誰よりも白く、赤い涙の跡が残る目元も白濁としていた。胸元で揺れる無数の琥珀の首飾りが、太陽の欠片のように反射し、ちりちりと打ちあった。
「――頃合いじゃな。さあ、皆、参ろう」
老人が発した声は齢の割には張りがあり、まどろむような穏やかさだった。
天の民たちが互いに頷きあった。涙を流す者、頬笑みを浮かべる者さえいた。老人の差し伸べる手に、皆が次々と触れていく。
その光景は、神殿の巫女の荘厳さを思い起こさせた。
若手たちは老人の言うことから、彼らが取り押さえられることを観念して、受け入れたのだと思った。だが老人は、突如懐から細身の小刀を抜きだした。
凶器に気づいて驚いたと同時に、池に投げ込まれた石のような衝撃をもって、奇妙な声が彼らの耳を打った。
《見よ!》
大気が振動し、老人を中心に風が舞い上がった。
《今こそ見よ! 天上の王君よ!》
老人が枯れ木のような両手を広げて天を仰ぐと、周囲の天の民もそろって互いの肩を組み、世界の支柱の破片へとより集まっていく。
とてもひとりの人間から発せられているとは信じられない、男女複数の入り混じる声で老人は続けた。
《我らは風。我らは雲。我らは天空。我らは星。我らは貴方の息吹を待ちわびる者。彷徨い人の父へかしこみ申し上げる!》
老人の両目、両耳、両鼻から流血しだしていた。更には広げられた両腕も血で染まり始めていた。
老人の手首に彫られた文字のような、あるいは記号のような刺青が淡く光り出し、ぺりぺりと皮膚から剥がれだしたからだった。
やがて完全に剥がれ落ちた刺青は、規則性の無い動きで浮遊しながら集まって広がり、世界の支柱の破片に集まった彼らごと取り囲んで、ぐるぐると回り始めた。
《見よ! 見よ! 見よ! 今こそ見よ! 猛る男神よ! 今こそここへ! 今こそここへ! 今こそ見よ! 今こそ見よ!》
七色の光が目まぐるしく入れ替わるそれは、外側が赤く爆ぜる火の輪のようだった。発光する輪は回転しながら空へと昇っていき、やがて渦を巻くようにたちこめていた雲の向こうへと吸い込まれていく。
老人は同じ言葉と同じ動作を繰り返した。
周囲の草木が、舞うような動きに合わせて風に揺れ、乱れて千切れ、円環をなすように小さな花弁と踊りながら舞い上がる。聞いたこともない言葉があり、何度も発するうちに言葉には音律が伴い、音律はやがて歌となる。
足元を吹き上げるぬるい風に煽られながら、若手たちは目の前の光景に圧倒されていた。
「おい――何か変だ。やめさせろ!」
縄から剣に持ち替えた彼らだったが、老人が手にした小刀で自身の喉を突くほうが早かった。
若手たちが仰天するなかで、老人は口から血と共にこぼした。
《……私は、原初の暗闇にてとぐろ巻く虹の番人、ヘイムダル……我が犠牲受け取り、今こそ開け……開け、天上の門》
老人はよろめきながら世界の支柱の破片に、血濡れた両手をひたりと這わせた。流れ落ちる血を吸い上げたかのように、そこへ集まった光の結晶が白から赤へと変色し、破片全体が毒々しい光を放ち始める。
人知を越えた神威のただなかに身を投じていると、気づいた時にはもう遅かった。
そして、轟音を空へ置き去りにして、天王の怒りが降った。
【次話】
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