ヒロトと談志⑨「ドブネズミの美しさ」と「下方向への卓越化」
前回の記事では、アンチテーゼとしての「人にやさしく」について触れながら、ブルーハーツと立川談志のパンク性について書いた。
今回の記事では、「ロックミュージックの社会学」という本を手がかりにしながら、「リンダリンダ」の歌詞に見られる価値観の逆転性を読み解いていこうと思う。
「ドブネズミみたいに美しくなりたい」という逆説
ブルーハーツの楽曲「パンク・ロック」では「パンクロックがやさしいから好きだ」と歌い、パンクバンドの風貌でありながら「人にやさしく」という曲を歌うことで、それまでの怖い不良の音楽とされていたパンクの概念やイメージを覆したヒロトの歌と言葉。
ヒロトが紡ぐ言葉の多くには、そんなまるで既存の価値観を逆転させるような意志と力があるのではないかということを、前回までの記事で書いてきた。
そしてそんなヒロトによる価値観の逆転性を最も象徴している言葉が、ブルーハーツの名曲「リンダリンダ」の「ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には写らない美しさがあるから」という歌詞だ。
ドブネズミみたいに美しくなりたい ───。
今では当たり前のように世の中に受け入れられているこのフレーズだが、「リンダリンダ」の歌い出しでヒロトの歌声と共に発せられるこの逆説的な言葉は、いつ聞いても我々に大きなインパクトを与える。
そんな「リンダリンダ」について個人的に印象深いのは、ヒロトが2015年にフジテレビの番組「ヨルタモリ」に出演した時のことだ。
その番組中にはなんと「リンダリンダ」をセッションする一幕があり、バンド解散後はブルーハーツの楽曲を一切演奏することのなかったヒロトが、ハーモニカのみでの参加だったとはいえ久々にブルーハーツの曲を演奏したとして、当時大きな話題になっていた。
そしてその番組中にヒロトについての印象を聞かれたタモリは、その「リンダリンダ」の歌詞を引き合いに出しながら以下のように答えていた。
全然違うこと言ってんだもんね。
「ドブネズミみたいに美しくなりたい」ってのは、あれは美しさと綺麗さをちゃんとわかっている人じゃないと書けないよ。
そしてそんなタモリの言葉を聞いたヒロトは、「するどい。」とポツリとつぶやいていた。
ここでタモリが語っているように、「ドブネズミみたいに美しくなりたい」という歌詞は、当然ながら既存の社会の認識とはまったく違う言葉になっている。
改めて書くとすれば、それはドブネズミという社会の認識では最もうす汚れたイメージの存在に「美しさ」を見い出し、そんな「ドブネズミみたいになりたい」と言っているのだ。
そもそも、それまできっとドブネズミという存在に「美しさ」を見い出した人は世の中にまずいなかっただろうし、「ドブネズミみたいになりたい」と思った人もいなかっただろう。
さらに「リンダリンダ」の歌詞では続いて「ドブネズミみたいに誰よりもやさしい ドブネズミみたいに何よりもあたたかく」とまで歌われている。
既存の認識からすれば、「こいつは一体何を言ってるんだ!?」と思われて当然の歌と言葉だと思う。
しかし、この「ドブネズミみたいに美しくなりたい」という歌詞の凄さは、その相反する対比と逆説を通しながら、あたかもロックンロールのひとつの本質といえるものを描きだしたことだろう。
だからこそ、私自身を含めこの「リンダリンダ」という曲を聞いた多くの人は、そんなヒロトの歌と言葉から、言いようもない大きな感動を受けるのだ。
そして「ドブネズミみたいに美しくなりたい」というこの歌詞は、単なる楽曲の中の詩的表現の一つという範疇を超えて、日本ロック史の中でも屈指の名フレーズとして多くの人の心に刻まれることとなった。
そして私自身も、この「リンダリンダ」で描かれる「ドブネズミの美しさ」の意味と、その逆説的な歌詞から感じる感動の正体とは一体何なのか、長年に渡って不思議に思っていた。
そして、そんな長らく不思議だった「リンダリンダ」の感動の正体を解き明かす手掛かりとなったのが、後に私が読んだ「ロックミュージックの社会学」という本に書かれた「下方向への卓越化」という言葉だった。
「ロックミュージックの社会学」と「下方向への卓越化」
「ロックミュージックの社会学」とは社会学者の南田勝也によって書かれ、2001年に刊行された本だ。
そして今年2026年に原版から大幅に加筆された「決定版」が新たに発売されている。
出版社の紹介文に書かれた「ポピュラー音楽研究の金字塔」というコピーのように、この本はロックという音楽カルチャーの底に流れる価値観を、社会学の手法を用いて読み解いていくという、とても斬新ながら画期的な内容の本になっている。
本のまえがきには、この本の目的について以下のように記されている。
ロックとは何か。
ロックに関心をもったことがある人なら、一度はこの問いについて考えてみたことがあるだろう。
ロックが単に音楽の一ジャンルにすぎないのならば、そのような疑問をもつことはない。
「ロック」という言葉が何らかのライフスタイルを表しているからこそ、この問いはさまざまな場面で幾度となく提起されつづけてきた。
~
今日、ロックのイメージは一言で表せないほど拡散しているが、それでもロックに対するこだわりは残存している。
しかも、そのこだわりのあり方は一つではない。
本書の第一の目的は、このような錯綜したロックイメージを、社会学の手法を用いて整理することである。
~
たとえばロックなら、「ロックの本質は何々である」「ロックとはこうあるべきだ」と審美的な批評や解釈的な判断をするのではなく、ロックの定義がいかにして成立したのか、なぜ人はロックに意味があると感じるのか、こういったことを広く社会的な文脈のなかに落とし込んで論じる。
この本で興味深いのは、〈アウトサイド〉〈アート〉〈エンターテイメント〉という3つの指標・視点から、ロックに基づいた価値観を読み解いていくという試みで、ロックの歴史に詳しい人であれば「なるほど」と腑に落ちる点が多い内容だろう。
なので、「ロックに通底する本質的な価値観とは何なのか」といった、答えのないような抽象的な考えを言語化するに当たって、その言葉の解像度を上げるためにとても参考になる内容が多い本だと感じる。
一方でこの本は、上記のように社会学的な視点を用いて書かれており、かなり学術的な記述も多いため、単に音楽としてのロックが好きという人にとっては少々敷居が高く、またロックを学術的な視点で論じるという行為に抵抗を感じる人もいるかもしれない。
しかしこの本はある意味では、そもそもロックというポピュラー音楽なんて学術的な研究対象にはならないのではないかという、既存の価値観や偏見、ある種のタブーに挑戦した内容の本でもある。
なので、この本の内容自体が、そんな既存の価値観やタブーを覆すという、とてもロックな姿勢を持って書かれた本でもあると言えるだろう。
そんなロックな姿勢で書かれた、一貫してロックについて論じられたこの本だが、私が最も興味深かったのは、この本の中に記されている「下方向への卓越化」という言葉だった。
本の中の「ロックとしての卓越化」という項には、以下のように記されている。
社会的に存立しているヒエラルヒーの逆向きに向かうことが、ロックの世界では「卓越化」につながるのである。
それは、社会的に下位ヒエラルヒーでありながら、そのことをもって「正しい」生活様式が獲得されるメカニズムがありうることを示している。
事実、ロック〈場〉の内部では、下層であり周縁であることを明示するライフスタイルが奨励され(おもに〈アウトサイド〉指標)、階級的分類から自らを離脱させる方向へ仕向ける行為が称賛される(おもに〈アート〉指標)。
唾を吐きかけること、破れた古着を着ること、物を壊すこと、権威ある者にたてつくこと、定職に就かないこと、世捨て人になること、ドラッグを服用すること、幻覚を体験すること……。
これらの、本来ならば不利益になる、つまり支配者層からつねに非難されるライフスタイルに美徳を与え、〈場〉参与者以外にも、それが「本質的に正しい」「価値がある」ことを訴えていく。
ロックやパンクという音楽が、なぜ一貫して「反抗」や「反逆」という言葉を連想させるカウンターカルチャーとしての顔をもっているのか。
上記のように、それは「社会的に存立しているヒエラルヒーの逆向きに向かうことが、ロックの世界では『卓越化』につながる」からだ。
つまり、世の中の既存の価値観では「正しい」「価値がある」「高尚」「上級」とされている事柄を、あえて唾棄し捨て去った上でなお、そういったものとは反対の事柄にもロックは価値を見出すことができるという、価値観の転換や逆転がそこには起きているのだ。
なので「下方向への卓越化」とは、そんなロックという音楽カルチャーが持つ、“既存の価値観のちゃぶ台返し”のような力を象徴するような言葉だと言える。
そして、そんな「下方向への卓越化」というロックの精神を最も捉えたフレーズが、前述の「リンダリンダ」の「ドブネズミみたいに美しくなりたい」という歌詞でもあると言えるだろう。
上記の引用文にならって書くとすれば、「リンダリンダ」の歌詞は、「ドブネズミ」という本来ならば世間から疎まれ、最もうす汚れたイメージを持たれている存在に「美しさ」を与え、その存在にロックの価値観から見て本質的な価値や美しさがあるという事を訴えているということだ。
そのような意味で、「ドブネズミみたいに美しくなりたい」とはまさに「下方向への卓越化」を象徴するような言葉であり、世間一般の基準では「無価値」「底辺」と思われるものにこそ価値を見い出すことのできる、ロックンロールの魔法を象徴する言葉だと言える。
「リンダリンダ」で「ドブネズミみたいに美しくなりたい」に続いて綴られている「写真には写らない美しさがあるから」という歌詞。
そして前述のタモリによる「美しさと綺麗さをちゃんとわかっている人じゃないと書けない」という言葉。
それらの言葉はまさに世間一般的な価値基準とは別の地平にある、ロックという音楽だけが照らし出せる価値や美しさがあることを示していると言える。
そしてそれは、「ヒロトと談志⑥」で紹介した「僕がロックンロールに抱くものっていうのは、世の中はこうなんだっていう決まり事を壊してくれるもの」、「『お前みたいなやつでも生きていていいんだよ』って言ってくれるのがロックンロール」というヒロトの言葉にも通じているものだ。
それはさらに、ヒロトがパンクロックや立川談志という存在に「やさしさ」を見出したこと、そして「ヒロトと談志⑤」でも書いたような談志の「落語とは人間の業の肯定である」という精神とも通じ合っている。
なので今後の記事では、この「下方向への卓越化」という言葉をキーワードとして、ヒロトと談志が語る言葉や、ロックと落語の価値観を掛け合わせるための接着剤のように使いながら、2人が語る言葉をさらに読み解いていこうと思う。
