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ヒロトと談志⑩ロクデナシやはみ出し者、すべてのクズ共と「生の肯定」

前回の記事では、「ロックミュージックの社会学」という本を紹介し、そこに書かれている「下方向への卓越化」という言葉について触れながら、ブルーハーツの名曲「リンダリンダ」の歌詞について書いた。

今回の記事でもこの「下方向への卓越化」をキーワードとしながら、さらにブルーハーツの楽曲や、ヒロトと談志の言葉を読み解いていこうと思う。


「持たざる者の武器」と「ロクデナシ」


前回の記事で、「ロックミュージックの社会学」に記された「社会的に存立しているヒエラルヒーの逆向きに向かうことが、ロックの世界では「卓越化」につながる」という一文を紹介した。

そして「リンダリンダ」の「ドブネズミみたいに美しくなりたい」という歌詞は、世の中の一般的な価値基準をひっくり返すような、「下方向への卓越化」を象徴するロックの本質的な一面を捉えた言葉ではないかという話を書いた。

つまり、ヒロトが歌詞やインタビューで発する様々な逆説的な言葉の数々は、そんな「下方向への卓越化」という価値観を逆転させるロックの魔法に根差したものではないだろうか、ということだ。

例えば、以下のようなヒロトの発言も、そんな「下方向への卓越化」としてのロックをとても象徴している言葉だと言えるだろう。

例えば、ミック・ジャガーとかさぁ、よく見るとブサイクだもん。でも世界中の女の子をキャーキャー言わせちゃうんだよ。

ザマアミロなんだよ!
「俺、金ねーんだ」とか「勉強できねーんだ」って言って「かっこいい!」って言われるようなもんだよ。

ロックンロールには世の中にまかり通らないものを「かっこいい!」って捻じ曲げちゃうマジックがあるんだよ!
まぁこれは怠け者の論理なんだけどね。

水道橋博士 「芸人春秋」P44 


そしてまた、前述の「ロックミュージックの社会学」には、「下方向への卓越化」とともに以下のようにも記されている。

今日的には、ロックという単語が何か直接的な階級性や階層性を示しているとは思えないほどに拡大して使用されているが、
それでもやはり「ロックの本質」の信念をもつ〈場〉の参与者にとっては、

ロック(の精神)は基本的に経済的・政治的な体制秩序の恩恵から除外された者にとっての「持たざる者の武器」なのである。

南田勝也  「ロックミュージックの社会学 決定版」 P66


上記のように今までのロックの歴史の中で、時としてロックという音楽カルチャーは「反抗」や「反逆」の代名詞のように扱われ、若者や社会的弱者・マイノリティのような人達の「持たざる者の武器」としての役割を担ってきた側面がある。

個人的には、ブルーハーツの楽曲のマーシーが作詞作曲でボーカルをとった「俺は俺の死を死にたい」の中の以下の歌詞が、そんな「持たざる者の武器」としてのロックを秀逸な詩的表現で言葉にしていると思う。

豚の安心を買うより 狼の不安を背負う
世界の首根っこ押さえ ギターでぶん殴ってやる

THE BLUE HEARTS  俺は俺の死を死にたい


そして、ロックは時に社会変革の起爆剤として、またある時は個々人の意識の変容といった形で、単なる音楽ジャンルの一つという範疇を超え、我々の社会や個々人の生き方に様々な影響を及ぼしてきた。

それはロックとともに各時代の中で形作られてきたレゲエやヒップホップといった、いわゆるブラックミュージックにも同様のことが言える。

そのような音楽の多くは「持たざる者」と共にあり、「持たざる者達」の目線からのメッセージやサウンドを社会に投げかけてきた。

そして、「パンクロックのやさしさ」を歌い、「ドブネズミの美しさ」を見い出したブルーハーツの歌にも、そんな「持たざる者」へ向けたような楽曲が多く存在する。

例えばそれは、「ロクデナシ」や「終わらない歌」といった楽曲だ。

役立たずと罵られて 最低と人に言われて
要領良く演技出来ず 愛想笑いも作れない
死んじまえと罵られて このバカと人に言われて
うまい具合に世の中と やって行くことも出来ない

全てのボクのような ロクデナシのために
この星はグルグルと回る
劣等生で十分だ はみ出し者でかまわない

THE BLUE HEARTS  ロクデナシ 

終わらない歌を歌おう クソッタレの世界のため
終わらない歌を歌おう 全てのクズ共のために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のため
終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように

THE BLUE HEARTS  終わらない歌

この2曲も共にマーシーによる作詞作曲だが、このようなブルーハーツの曲には「ロクデナシ」「役立たず」「最低」「バカ」「劣等生」「はみ出し者」「全てのクズ共」という、「持たざる者達」の様々な名称が並んでいる。

そして、ここではそんな「僕や君や彼等のために終わらない歌を歌おう」、さらに「全てのボクのようなロクデナシのためにこの星はグルグルと回る」と歌われている。

このような楽曲と歌詞から見えてくるのは、「劣等生で十分だ・はみ出し者でかまわない」と「持たざる者」であることを肯定する、まるで「ロクデナシ賛歌」のようなメッセージだ。

そしてそれは同時に、共に「持たざる者」という立場を共有しているからこそ、「俺達の歌はそんな『ロクデナシ・はみ出し者』や『僕や君や彼らのため』に鳴らされた音楽だ」という、ブルーハーツの意思表示のようなものだとも言えるだろう。


そして、そんなブルーハーツの楽曲のメッセージは、立川談志の落語観とも非常に通じ合っている。

様々な落語論を残してきた談志だが、談志はかつて「落語のすすめ」というテレビ番組の中でも、落語とは「はぐれ者の文化」、及び「はぐれ者の了見を持った奴がつくってきた文化」であり、「まともな社会にいられない連中が語るもの」と語っている。

このような談志の言葉からも、ヒロト達が鳴らすロックと、談志が提示する落語観の親和性の高さがうかがえる。


「人間が元来持っているどうしようも無さやダメさ加減を、落語は人間の業として肯定する」という談志の落語観には、ブルーハーツの曲と同じようにロクデナシやはみ出し者といった人達を肯定する眼差しが存在する。

つまり、談志にとってはロクデナシやはみ出し者を肯定しうる、価値観の逆転を体現した表現が落語であり、ヒロト達にとってはそれがロックだったといえる。

そんなお互いに通じ合った価値観を共有しているからこそ、ヒロトとマーシーは共に談志に対する敬愛を語り、ヒロトは「もう一つ人生があれば談志の弟子になりたい」とまで語ったのだろう。


そして、さらにヒロト達が鳴らすロックを読み解いていくと、そこには談志の「落語とは業の肯定」という言葉に対する、「生の肯定」のような表現が多く見られるように感じる。


「生きてやる」という意志と「生の肯定」


先ほど歌詞を引用したブルーハーツの「ロクデナシ」の中には、上記の歌詞の後に「生まれたからには生きてやる」という言葉が、力強い意思表明のようにくり返し歌われる箇所がある。

そして、現在のヒロトとマーシーのバンド、クロマニヨンズの楽曲「エイトビート」にも、時を経て同じような表現が出てくる。

それは、「ただ生きる 生きてやる 呼吸をとめてなるものか」という歌詞だ。

さらに、ヒロトはハイロウズ時代の2002年に「JAPAN COUNTDOWN」という番組に出演した際に、インタビューで歌詞の意味について聞かれて以下のように答えている。

誰も分かんない。僕さえも分かんないことを書くけど、僕の中にそのイメージはしっかりあるから。
もしかしたらそれをただ吐き出すことによって、そのイメージを共有できるかもしれないと思ったんだ。

言葉の意味は理解できなくても、その曲から受けるイメージで「生きてやるぜ」って気持ちになってくれれば、それでいいや。


「生まれたからには生きてやる」

「ただ生きる 生きてやる 呼吸をとめてなるものか」

「『生きてやるぜ』って気持ちになってくれれば、それでいいや」


このような、ヒロトとマーシーが時代をまたぎながらも紡いできた「生きてやる」という言葉から見えてくるのは、2人の「ただ今を生きる」ということに対する強い意志、または「生の肯定」のような思いだ。


不条理で不平等なこの「クソッタレな世界」の中で生きていくのは、簡単なことではない。
そのなかで人は、時に他者や人生や自分自身に対して、深い失望や絶望を抱えることもあるだろう。

たとえ自分がどれだけ「ロクデナシ」「はみ出し者」「劣等生」「役立たず」「クズ」だと感じたとしても、「生まれたからには生きていく」しかないのが、この人生だ。


そして、時にはただ生きるということすら難しいこの世界の中で、それでもなお「生きてやる」という意志を持ち続けることは、それだけでも大きな力を要することだ。

そして大げさな言い方をすれば、「ただ生きてやる」という意志こそが、我々すべての人間が否応なく背負った、絶対的な「死」という運命に対する、唯一のラディカルな反逆の姿勢でもある。

だからこそ、「お前がどんな奴だって、そんなの関係ねぇよ。生まれたからには、ただ今を生きてやろうぜ。明日には笑えるように」という、「生の肯定」の言葉を語りかけてくるヒロト達が紡ぐ楽曲は、いつでも我々の心を強く打ち続けるのだろう。


そして、当のヒロト本人も、少年時代にロックとの出会いによって大きく心が動かされ、価値観が大きく変わった一人だ。

あるインタビューでは、そんなヒロトがロックに出会った時のことを以下のように語っている。

僕がどうして自分がだめだったのかっていうのは、世の中には価値観っていうものがちゃんとあって、いろんな物差しがあって、あるいろんなジャンルで、そのハードルを越えた者だけが生き残れるって勘違いしてた。

僕はマンフレッド・マンのそのイントロ聴いた途端に、価値観っていうのは、なくなっちゃった。

ハードルもなくなっちゃったし、例えば音符の読めない奴が音楽で金儲けするとか、字の読めない書けない奴が小説家になって世界一になってるとか、あり得るんだっていう事が、すごくリアルに感じられた。

BRIDGE 1997年2月号 


このようなヒロトの言葉からは、価値観を逆転させる「下方向への卓越化」としてのロックの力を感じるとともに、そんなロックがヒロトに与えた衝撃の大きさがうかがえる。

なので次回の記事では、そんなヒロトがロックに出会った時のエピソードを中心に、さらにヒロトの言葉を読み解いていこうと思う。



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