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織田信長の最期が、なぜか自分ごとのように悔しい

大河ドラマでも、歴史番組でも、本能寺の場面になると、いつも同じ気持ちになります。

悔しい、のです。

炎に包まれる寺。わずかな供回り。もう少し、あと少しだけ時間があれば、あの人は日本を一つにまとめていたかもしれない。それなのに、家臣の裏切りひとつで、すべてが断ち切られてしまった——。

そう思うと、胸の奥がぎゅっとします。

でも、少し落ち着いて考えると、おかしな話です。織田信長は、いまから440年以上も前に生きた人です。会ったこともなければ、血のつながりもない。彼が天下を取ろうが取るまいが、令和を生きる私の暮らしには、何の関係もありません。

なのに、悔しい。まるで自分の身に起きたことのように。

この感情は、いったい何なのでしょう

不思議に思いませんか。

映画やドラマで泣くのは分かります。よくできた物語に心を動かされるのは自然なことです。でも、本能寺の変は作り話ではありません。結末はとうに決まっていて、どう転んでも変わりません。信長は討たれる。何度見ても討たれる。それが分かっているのに、毎回悔しくなる。

これはもう、物語に感動しているのとは少し違う気がするのです。もっと個人的な、自分の内側から湧いてくる何かのように感じます。

あなたにも、似た経験はないでしょうか。歴史上の誰かの生き様や最期に、理屈を超えて心を持っていかれること。

この記事について

そこでこの記事では、歴史の解説はしません。信長が何をした人かとか、光秀がなぜ裏切ったのかとか、そういう話は横に置きます。

代わりに、「なぜ自分は、400年前の他人の死を、こんなにも自分ごとのように悔しがるのか」。この一点を、自分の胸に手を当てながら、ゆっくりたどってみたいと思います。

たどっていくうちに見えてきたのは、どうやらこの悔しさは、信長のことだけを悔しがっているのではないらしい、ということでした。

同じように感じたことのある方に、少しだけお付き合いいただけたらうれしいです。


1. 悔しがっているのは、たぶん信長のことではない

先に、たどり着いた結論をお伝えします。

私が本能寺の変で悔しがっているのは、どうやら信長のことではないようなのです。悔しがっている本当の相手は、たぶん自分自身です。

信長の生涯には、「あと少しだったのに」という手触りがあります。長いあいだ積み上げてきたものが、完成の直前で断ち切られた。その未完の感じに、私は自分の何かを重ねているのだと思います。

思い当たることが、いくつもあるのです。やりかけて途中でやめた勉強。もう少し粘れば形になったかもしれない仕事。「いつかやろう」と思ったまま、いつかが来なかったこと。若い頃は無限にあると思っていた時間が、気づけばずいぶん減っている。

信長の「あと少し」を見ていると、自分の中の「あと少し」が疼くのです。だから悔しい。彼のためというより、自分のために。

あなたにも、「あと少しだった」と感じることは、ありませんか。もしあるなら、本能寺で悔しくなるのは、案外そこと繋がっているのかもしれません。

2. そもそも、本当に「目前」だったのか

ここで、少し冷静な話をします。

私たちはよく「信長は天下統一を目前にして倒れた」と言います。私も、さっきまでそう書いていました。でも、史実を正直に見ると、これはやや大げさなのです。

信長が本能寺で亡くなったとき、たしかに彼は当時の日本で最も力のある人物でした。けれど、日本全体を手にしていたわけではありません。西には毛利がいて、光秀が向かうはずだったのもその戦線でした。北陸には上杉、関東には北条、四国には長宗我部、九州には島津。まだ征服すべき大きな勢力が、いくつも残っていたのです。

実際に天下統一が完成するのは、信長の死からおよそ8年後。豊臣秀吉の手によってでした。

つまり「目前」というのは、正確ではありません。信長の前には、まだ長い道のりがあった。それなのに私たちは、つい「あと一歩だった」と言いたくなる。

なぜでしょうか。

私はこう考えています。「あと一歩」のほうが、悔しさが自分の人生に近づくからです。 道のりが半ばだったと認めるより、完成の直前だったと思うほうが、胸に刺さる。そのほうが、自分の「やりきれなかったこと」と重ねやすい。

私たちは史実を語っているつもりで、実は自分の物語を、信長に重ねて語っているのかもしれませんね。

(なお、信長を討った明智光秀がなぜ裏切ったのか、その動機そのものに興味がわいた方は、別の記事に5つの説を整理しました。事件の「外側」を知りたいときはこちらをどうぞ。)

『明智光秀はなぜ裏切ったのか——「本能寺の変」5つの説を、フェアに整理してみた』


3. 若い頃は、ここまで悔しくなかった

もうひとつ、正直に打ち明けたいことがあります。

若い頃の私は、本能寺の変を、ここまで悔しがっていませんでした。同じ話を知っていたのに、心の動く場所が違ったのです。

若い頃に胸が熱くなったのは、信長の「勢い」のほうでした。桶狭間で大軍を打ち破る場面。「天下布武」を掲げて突き進む姿。地方の一大名から、時代をひっくり返していく成り上がりの物語。あの上り坂に、自分の上り坂を重ねていたのだと思います。これから何者かになっていく、という感覚と一緒に読んでいた。

ところが、いま心が動くのは、まったく別の場所です。勢いよりも、断ち切られたことのほうに、胸を掴まれる。あれだけのことを成した人が、一夜にしてすべてを失う。その落差の残酷さが、若い頃には見えていなかったのに、今はやけにはっきり見えるのです。

たぶん、こちらが有限を知ったからでしょう。時間には終わりがあり、積み上げたものは呆気なく崩れることがある。それを身をもって知った目で見ると、同じ事件がまるで違って見えます。

歴史そのものは、何ひとつ変わっていません。信長は同じように生き、同じように死ぬ。変わったのは、読んでいる私のほうです。

あなたが若い頃に好きだった武将と、いま心を寄せる武将は、同じでしょうか。もし変わっているとしたら、それはあなた自身が変わったということなのかもしれません。

4. 悔しさは、まだ火が残っている証

ここまで、悔しさの正体をたどってきました。少し湿っぽい話が続いたので、最後に別の角度から見てみます。

悔しいと感じるのは、まだ何かを望んでいるからだ、と思うのです。

考えてみてください。どうでもいいことに、人は悔しがりません。心底どうでもよければ、本能寺の場面が来ても「ふうん」で終わるはずです。悔しくなるということは、自分の中に「成し遂げたい」「まだ終わりたくない」という気持ちが、まだ残っているということではないでしょうか。

だとすれば、信長の死を悔しがる自分は、そう悪いものではない気がしてきます。むしろ、自分の中にまだ火が残っていることの、ひとつの証なのかもしれません。

子育てが一段落し、仕事も先が見えてきて、「もう自分の役目は終わったのかな」と感じる瞬間は、この年代なら少なくないのではないでしょうか。でも、本能寺で悔しくなれるうちは、たぶんまだ終わっていません。何かを惜しいと思う心が、ちゃんと動いているのですから。

信長の本能寺は、あの日で終わりました。けれど、私たちの「本能寺」は、まだ来ていません。だとしたら、悔しがっている場合ではなく、自分の「あと少し」に手をつける時間が、まだ残されているのではないでしょうか。

5. おわりに

歴史を正確に知ることと、自分ごととして感じること。この二つは、両立すると私は考えています。

史実としては、信長の前に長い道のりが残っていた。それはそれで、きちんと知っておきたい事実です。でも、それを知ったうえでなお「あと少しだったのに」と悔しがる自分がいる。その感情も、まちがいではないと思うのです。むしろ、自分の感情を通すからこそ、400年前の出来事が、他人事ではない生きた問いになる。

歴史は、過去を眺めるための窓であると同時に、自分を映す鏡でもあるのでしょう。信長を悔しがるとき、私たちはたぶん、鏡に映った自分自身を見つめているのだと思います。

あなたが自分ごとのように悔しくなる歴史上の人物は、誰でしょうか。そして、その人のどこに、あなた自身が映っているのでしょうか。


同じように感じたことのある方がいらしたら、スキやフォローをいただけると励みになります。歴史を通して自分を眺めるような記事を、これからも書いていく予定です。

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