筋ジスと共に生きる|重度身体障害の進行|精神の変化
通院など、予定が詰まっており、約2週間ぶりの投稿です!
前回のnoteでは、僕が持っている疾患である「筋ジストロフィー(筋ジス)とはどんな疾患なのか」を書きました。しかしながら、筋ジストロフィーは、患者や使用する薬によって疾患の進行速度が変わるため、今回は僕の場合どのように疾患が進行し、どのように疾患と共に生きているのかについて書いていきたいと思います!!精神面の変化も併せて書いてます。
前回のnoteはこちら ↓
今回の記事を読む前に、前回記事の筋ジスの一般的な進行を把握しておくことをおすすめします。
自分の場合どのように進行し、どのように疾患と共に生きているのか
乳児期
他の赤ちゃんより寝返りのし始めが遅かったことを親が心配し、病院で検査を受けたところ、CK(クレアチンキナーゼ)値が数千となっていたことから、筋ジストロフィーの疑いが持たれ、精密検査後に診断されました。
ちなみにCK値は通常200以下で、数千~数万の値が検出された場合、筋ジストロフィーを疑う重要な指標になるそうです。
このころは、一般的な進行と同じく筋発達が遅い感じです。
保育園通園時期(2~6歳頃)
保育園は通常の園に通園していました。
健常者より少し遅れますが、歩行が可能となりました。走ることもでき、運動会では、かけっこにも参加していました。普段も健常者の子と変わらない保育を受けていました。ただ、長時間の散歩は疲れる時もあり、バギーに乗ることもありました。
小学生(6~12歳)
小学校は、エレベーター設備と特別支援学級がある、地元の学校に通いました。
7歳くらいまでは、問題なく歩くことができましたが、8歳ごろから徐々に歩くスピードが遅くなったり、車いすに乗る時間が増え、10歳に完全な車いす生活になりました。
11歳になると一時的に立ち上がることも不可能となり、車いすへの移乗やトイレの便座移動なども介助者にやってもらうことが必須となりました。この年に筋肉の衰えていく速度をわずかに抑えるステロイド剤(プレドニン)の服薬を始めました。
12歳では、自分で漕ぐタイプの車いす操作が難しくなり、電動車いすを導入しました。
小学校の学校生活は、体育と給食の時間以外は通常の学級で過ごしていました。みんなが体育で楽しく運動している中、支援学級で漢字の勉強をしていた時は「なんで僕は勉強なの?」思ってました(笑)。しかし、唯一健常者のクラスメイトと張り合えることが勉強だったので、ほんの少しですが頑張っていました。
放課後は、通常学級の友達を誘い、自宅で一緒にゲームをしたり遊んだりしていました。長期休みは泊会を開くなど結構遊んでいました。
修学旅行や遠足などの行事もすべて参加してました。
中学校(12~15歳)
中学校も、エレベーター設備と特別支援学級がある、地元の学校に通いました。
中学3年間での疾患による身体の変化は、上肢の動き(腕をまっすぐ上げる動きなど)が鈍くになる程度でした。
しかし、精神的な変化はありました。この時は、人と違うことがとても恥ずかしく思えてしまい、自分に自信がなくなり、学校では最低限のコミュニケーションしかとらず、本当に親しいと思う友達や先生としか本音で話ができなくなっていました。(高校では直りました。)
中学校生活ですが、小学校と同じく、体育と給食の時間以外は通常の学級で過ごし、行事もすべて参加してました。
高校生(15~18歳)
高校は当時、体育の単位が取れないことや設備が整っていないことから、通常高校への進学が難しかったため、特別支援学校の高等部に通いました。
16歳になると、肘を持ち上げることも難しくなり、ノートを書くときやご飯を食べるときなども常に肘を付いて、様々な動作を行うことになります。また、首の筋肉も弱り始め、寝た状態から座る状態になるときに首を支えたまま介助をしたりする必要が出てきました。
17歳では、身体の体幹を支える筋肉が弱り、背骨が少しずつ曲がり始めました。さらに心臓の筋肉も弱り始め、心臓を保護する薬の服用を始めました。
高校生活について、僕が通っていた特別支援学校は、通常高校と同じ勉強ができる進学コースがあったので、そこで大学進学に向けて勉強をしました。もちろん定期テストも普通にありました。ただ、家からかなりの距離があり、毎日片道1時間半かけてスクールバスで通っていたので大変でした。
1年生の終わりに、同じ筋ジスの2個上の先輩が亡くなり、改めてこの疾患の恐ろしさを知り、自分はいつまで生きれるのだろうかと考えるようになりました。色々と考えた結果2年生の夏に、人生に後悔を残さないように今できることは勉強だと考え、進学に向けて勉強を一層するようになりました。ある日、秋の定期試験に向けて朝から夜まで勉強をしていた日曜日、頭に「自分は早くに死ぬ」という文字が浮かびました。その瞬間に、何かがプツンと切れて、大量の涙ととてつもない喪失感が心身を襲いました。そこから2カ月は何も手がつかず、気が付けば「自分はいつ死ぬのか」ということを考えていました。さらには「障害を受け入れられない自分は弱い」と自分を責めてもいました。冬になると気が付けば立ち直っていました。時の力はスゴイ!
青年期(18~24歳)
高校卒業後は、早稲田大学の通信制に進学をしました。
19歳までは特に身体の変化がありませんでした。
20歳になると肺の機能が落ち始め、夜間だけではありますが呼吸器(バイパップ)を導入しました。
22歳では、17歳の時に曲がり始めた背骨が気になり始め、曲がり具合を軽減する側彎症軽減の手術を受けました。背中をバッサリ切って、ポールを入れ骨に釘を打って固定した感じです。
このあと24歳まで特に身体の変化はありませんでした。
大学生活ですが、通信制のためパソコンをフル活用して、自宅で勉強をします。毎週月曜日に、登録している科目のビデオと課題が大学の学習サイトに出されるので、一週間周期でこなします。科目の授業ビデオは、通学制の授業を録画したものや通信制のために収録したものなど、様々な形態がありました。3、4年次には研究室に所属し、主にはビデオ会議システムを使って卒研や卒論の指導を受けます。
大学の細かい話は、また別の機会に!!

現在(25歳)
大学を卒業した現在、2026年1月の就業開始に向けて、充電しています。
現在は、車いす以外に座ることは難しい状態で、パソコンのキーボード操作や食事の箸の動きなどは休憩を挟まないと厳しくなっていました。肺もさらに弱り始め、血液検査の数値的に近いうちに夜間だけでなく、昼間も呼吸器を付けることになりそうです。
精神的な変化ですが、今でも自分の疾患を受け入れることは、完ぺきにはできていません。正直、自分と同年代の健常者や軽い障害の方をみると、羨ましいと思うこともあります。自分が健常者だったらやりたいこともたくさんあります。
ですが、疾患を受け入れられないのも、健常者をみると羨ましいと思ってしまうのも自分なので、そんな自分を受け入れつつ、楽しいことも経験して最後まで「命を燃やしたい」と思います。
なんか最後だけ鬼滅の刃の煉獄さんみたいになっちゃいましたね(笑)。
今回は、僕の場合どのように筋ジスがが進行し、どのように疾患と共に生きているのかを、「身体」と「精神」両面の変化とともに書きました。
次回のnote
前回・今回と疾患の話で少し、重めな内容だったので、趣味の話題を書きたいと思います!
好きな音楽アーティストかゲームかマンガ、どれかを書こうかな?
