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「生きづらさ」は武器になる。HSPで不安症の私が変わりはじめた理由

◆「私には何もない」と思っていた

「私には何のスキルもない」
「誰かに誇れるものなんて、ひとつもない」
——そんなふうに感じて、ずっと生きてきました。

私はHSPで、不安症。
ちょっとした刺激にも過敏で、人との関わりも得意じゃない。
社会のスピードやテンポについていけず、「普通」に馴染めない自分を、長い間どこかで恥ずかしく思っていました。

外の世界は、少しだけ息苦しい。
何かに怯えながら、常に見えない不安を抱えて過ごしていました。

ーちょっとだけ自己紹介をー
HSP気質の「そら」です。
心の余白や在宅での働き方、子育てについて、気楽に書いています。


◆noteがくれた「つながり」と最初の変化

そんな私がnoteを始めたのは、特別な理由があったわけじゃありません。
物販の仕事をやめて時間ができて、周りが始めた発信に触れて、
「私も何か書けるかな」と、なんとなく始めてみただけでした。

思い切って投稿してみたものの、最初はまったく反応がなくて。
たまに「スキ」がつくだけで、画面の前で飛び上がるほど嬉しかったのを覚えています。

でも、ふと我に返る瞬間があるんです。
「私の文章なんて、やっぱり誰の心にも届かないよね」
そのたびに落ち込み、下書きに戻しては何度も文章を消しました。

それでも書くのをやめたくなかった私は、思い切ってnoteのコミュニティに参加してみました。

同じように発信を続けている人たちの輪の中に入ったことで、少しずつコメントをもらえるようになり、
はじめて「誰かとつながれた」実感が生まれました。


◆眩しく見える人たちと、自分の無力さ

誰かが自分の言葉に反応してくれる。
それは私にとって、驚きであり、癒しでもありました。

でも、順調だったわけではありません。

文章に力があって、たくさんの人に読まれている人。
noteを通じて仕事につなげたり、マネタイズできている人。

そんな発信を見るたびに、
「私には、そんなふうにできる力なんてない」
そう思って、何度も落ち込みました。

「一体、私には何ができるんだろう?」
「私の強みって、どこにあるの?」

自分の中の“よさ”を考えたとき、浮かんできたのは「共感力」や「傾聴力」といった言葉。

でも、それだけじゃ物足りなくて。
もっと泥臭くて、もっと私らしいものがある気がしていました。


◆「この生きづらさこそが、語れるものじゃない?」

ある日、ふと思ったんです。

“普通に生きていたら見えにくい、この「生きづらさ」そのものが、私にしか語れないことなんじゃないか”と。

これまでずっと蓋をしてきた、生きづらさの背景。
少しだけ、見つめ直してみました。

  • 学生時代に心を病み、半年以上入院していたこと

  • 重度の産後うつで、出口の見えない日々を過ごしたこと

  • 外で働くのが難しく、在宅で生き方を模索していること

  • 潔癖や不安によって自由に動けないこと

  • 声や見た目に強いコンプレックスがあること

  • 常に「人の目」に怯えてきたこと

どれも、人には言いたくないことばかりです。
でも、今になって思うのは——
これらの痛みすべてが、「私にしか感じられなかった感覚」だったということ。

そして、それは同じような場所でもがく誰かに、
きっと届く言葉になるはずだと、今なら思えるのです。


◆「生きづらさ」が意味を持ちはじめた瞬間

「私は生きづらい人間なんだ」と思っていた自己認識が、
「この感覚こそ、私にしか伝えられないものかもしれない」へと変わったとき——

はじめて、“生きづらさ”が意味を持ちはじめました。

それは、私にとって
「生きづらさが武器に変わった」瞬間だったのだと思います。


◆まだ模索の途中にいるけれど

私の人生は、「生きづらさ」でできています。
変わりたくてしかたなかった。
でも、今はそれを無理に変えようとは思いません。
生きづらさは、私にとって“武器”だと気づけたから。

正直、まだ模索の途中です。
自分にとっての“生きやすさ”を探しながら、
小さな気づきやチャレンジを、これからもnoteで綴っていこうと思っています。

あなたの生きづらさも、きっと誰かの光になります。
よかったら、そっと見守っていただけたら嬉しいです。

最後まで読んでくださって、ありがとうございました。


▼私が支えられているメンバーシップ▼
noteを続けられたのも、「つながり」のおかげだと思います。
一人だと書くことが難しい、仲間が欲しいと感じている方には、きっと温かい居場所になるはずです。


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