「やばい」で思考が止まり、「大丈夫」で支援が止まる―言葉の少なさを、本人だけの問題にしてはいけない―
おはようございます。
人と人の間をつなぐ想いの翻訳者、阿波野聖一です。
私は秋田県で介護、地域、海外人材という、一見異なる世界の間に立ちながら、人、組織、地域、想いの「違い」をつなぐ仕事をしています。
このnoteでは、現場で起きた出来事や学びを通して、誰かの明日につながるヒントを発信しています。
先日、石井光太さんの「ことばの力」に関する記事を読みました。
記事では、
「やばい」
「きもい」
「えぐい」
「うざい」
「だるい」
「むり」
といった限られた言葉だけで、さまざまな感情や状況を表現する子どもたちの問題が取り上げられていました。
この記事を読みながら、私は海外人材がよく口にする、ある言葉を思い出しました。
「大丈夫です」
子どもの「やばい」と、外国人材の「大丈夫」。
一見、まったく違う言葉です。
しかし私は、この二つには共通する構造があると感じています。
「やばい」で思考が止まり、
「大丈夫」で支援が止まる。
今回は、言葉を使う本人だけではなく、その言葉を受け取る側の責任について考えてみたいと思います。
「やばい」という言葉が悪いのではない
「やばい」という言葉を使うこと自体が、悪いわけではありません。
驚いた時。
感動した時。
怖かった時。
焦った時。
うれしかった時。
日常会話の中で使うことはあるでしょう。
問題なのは、異なるはずの感情や状況を、すべて一つの言葉で終わらせてしまうことです。
「なぜ、うれしかったのか」
「何が不快だったのか」
「何を怖いと感じたのか」
「本当はどうしてほしかったのか」
「相手はどのように感じたのか」
それを言葉にできなければ、自分の感情を整理することも、相手に伝えることも、問題を解決することも難しくなります。
「やばい」で終われば、その先を考えなくても済みます。
便利な言葉である一方、使い方によっては、思考を止める言葉にもなります。
しかし、これは子どもの語彙力だけの問題なのでしょうか。
子どもに「もっと自分の言葉で話しなさい」と言いながら、大人はスマートフォンを見ている。
園や学校からアプリで情報が届くから、「今日は何があったの?」と尋ねなくなる。
忙しい。
時間がない。
面倒だから。
そのような理由で、子どもの言葉を育てるための対話を減らしてきたのは、私たち大人の側でもあります。
子どもの語彙が突然貧しくなったのではありません。
言葉を育てるための関係や時間を、社会全体で減らしてきたのではないでしょうか。
海外人材の「大丈夫です」
海外人材と関わっていると、よく耳にする言葉があります。
「大丈夫です」
体調はどうですか。
「大丈夫です」
仕事で困っていませんか。
「大丈夫です」
説明は分かりましたか。
「はい、大丈夫です」
しかし、その「大丈夫」は、本当に問題がないことを意味しているのでしょうか。
私は以前、noteの記事
「大丈夫です」の裏側〜自分自身を本当に守るために必要なこと〜
の中で、次のような問題提起をしました。
本当に苦しい時ほど、人は「大丈夫」と言うことがある。
その言葉の奥には、
「迷惑をかけたくない」
「心配をかけたくない」
「仕事を休みたくない」
「家族への仕送りを止めたくない」
「どう説明したらよいか分からない」
「困っていると言ったら評価が下がるかもしれない」
という思いが隠れているかもしれません。
つまり、「大丈夫です」は、理解や安心を示す言葉とは限りません。
時には、自分の弱さや困りごとを隠し、その場をやり過ごすための言葉になります。
自分を守るために使っていることもあるのです。
「大丈夫ですか」と聞く側の問題
外国人材への支援では、私たちは何度も「大丈夫ですか」と尋ねます。
しかし、考えてみれば、この質問には大きな限界があります。
「大丈夫ですか」と聞かれれば、多くの人は「大丈夫です」と答えます。
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