“翻訳したから伝わった”ではない- 多様性の名の下で、説明を放棄していないか-
おはようございます。
株式会社あきた創生マネジメント代表の 阿波野聖一(AWANO SHOICHI)です。
「多様性」や「外国人支援」という言葉が広がる一方で、現場では“形だけの対応”も増えているように感じます。
母国語の書類を渡す。翻訳ツールを使う。代筆を認める。
でも、それだけで本当に「伝わった」と言えるのでしょうか。
銀行口座の開設や行政手続きの場面でも、説明を省き、“やったこと”だけを残す対応を見かけるたびに、私は強い違和感を覚えます。
本当に必要なのは、「外国語対応」ではなく、“相手が理解できるまで向き合う姿勢”です。
多様性とは、ただ違いを許容することではない。
違いがある前提で、対話し、責任を持ち合い、共に生きる関係性をどう作るか。
その本質について、改めて考えたいと思います。
1. 「対応したこと」と「伝わったこと」は違う
最近、「多様性」や「外国人支援」という言葉をよく耳にします。
でも現場にいると、私は時々、強い違和感を覚えることがあります。
それは、
“対応したこと”と、“伝わったこと”が混同されている
場面が少なくないということです。
2. 銀行・行政手続きで感じる違和感
例えば、銀行の新規口座開設や行政手続き。
現場では、
「代筆でもいいです」
「母国語で書かれた紙を渡しました」
「あとは読んでおいてください」
――そんな形で終わっているケースを見かけることがあります。
もちろん、翻訳すること自体は大事です。
母国語対応も必要です。
でも私は、そこにずっと違和感を感じていました。
3. “翻訳したから理解できるだろう”という危うさ
なぜなら、
“翻訳した=理解した”
ではないからです。
実際には、
なぜこの手続きが必要なのか
何に注意しなければならないのか
サインにはどんな意味があるのか
日本ではなぜ印鑑や本人確認が重視されるのか
――そういう「背景」や「意味」の説明が抜け落ちていることが多い。
でも一方で、
日本のルール
日本のマナー
日本の時間感覚
日本の書類文化
には、“日本側に合わせること”を求める。
にもかかわらず、
“理解してもらうための対話”
だけが省略されている。
私はそこに、構造的な矛盾を感じています。
4. 多様性とは「責任をなくすこと」ではない
最近、「多様性」という言葉が、
個性
自由
配慮
優しさ
とセットで語られることが増えました。
でも私は、
多様性とは、“何をしても許されること”ではない
ここから先は
メンバーシップ
¥ 980 /月
ぜひ応援お願いします🙏 いただいたチップは夢の実現のための活動費に使わせていただきます!
