読む統計#3 その差は、本当に治療のものか ― 交絡とバイアス
「読む統計」は、臨床医・医学研究者のための、医療統計とデータサイエンスの連載。統計を「計算」する技術ではなく、「読み解く」力を鍛える。今回の#3では、ランダム化という保証のない世界――観察研究で結論を歪める2大要因、交絡とバイアスを読み解く。
読了の目安:約8分/予備知識:不要
薬を飲んでいた人は、長生きだった
大規模な10万人規模のデータベース研究の報告。ある薬を飲んでいた患者は、飲んでいなかった患者に比べて、死亡率が4割も低かった。
共同研究者が言う。「これだけの人数で4割減なら、もう使うべきだろう」。
群間差は確かに大きい。サンプルサイズも十分だ。
——だが、ここでも問うべき質問がひとつある。
その薬を飲んでいた人と、飲んでいなかった人は、そもそも同じような人たちだったのか。
要点
観察研究で見える「群間差」は、治療による差とは限らない。治療を受けた群と受けなかった群が最初から違っていれば、その違い自体が差を生む。これが交絡である。
「交絡因子を調整した」は「交絡を消した」ではない。調整できるのは測定した因子だけで、そもそも測れなかった因子(未測定交絡因子)による交絡はそのまま残る。
バイアス(系統的な誤差)は、サンプルサイズを増やしても消えない。人数を増やせば、より精密に間違った結論を得るだけである。
観察研究の結果は、原則として仮説である。ランダム化比較試験(RCT)の結果と矛盾するとき、ほぼ全ての場合にランダム化に軍配が上がる。
1. 比較する二つの群は、最初から違うかもしれない
観察研究では、治療を受けるかどうかを、誰かが選ぶ。ランダム化でないからこそ、医師が、患者が、治療が選ぶ。
そして、その「選ばれ方」が、結果と関係していることが多い。
たとえば、ある治療を受けた患者の予後が良かったとしよう。だがその治療を受けたのは、もともと全身状態が良く、合併症が少ない患者ほど受けやすいというのはよくある話だ。
逆に、状態の悪い患者ほど積極的な治療を受けることもある。これもよくある話だ。
どちらにせよ、治療の有無と予後が、治療そのものとは別の理由で結びついてしまう。これを適応による交絡とか、処方バイアスという。
予防薬やサプリメントなどでは、また別の形で同種の交絡が生じる。それを飲む人は、もともと健康意識が高く、運動や食事にも気を配り、受診もまめだ。
薬ではなく、その生活背景が予後を分けているのに、サプリメントを飲んだ人と飲んでいなかった人の結果の差は薬の効果に見えてしまう。健康な人ほど飲む、ということで生じる交絡である。
交絡は交絡因子が存在することで生じる。交絡因子は治療の有無と結果の両方に関係し、かつ治療がもたらした結果ではない第三の因子のことだ。
それがあると、治療と結果のあいだに、見せかけの結びつきが生まれる。最初の2つの例では全身状態や合併症や病状が、予防薬の例では健康意識や運動や食事や受診行動がこの交絡因子である。
観察研究で見える差は、治療の効果かもしれないし、二つの群がもともと違っていただけかもしれない。そして、その二つは、観察研究データのみかけだけでは区別できない。
2. 「調整した」は「交絡を消した」ではない
ここで多くの論文は、「交絡因子を調整した」と書く。年齢、性別、重症度などなど、これらを回帰モデルや傾向スコア(プロペンシティスコア; propensity score)を用いて調整した、と。
それは大切な努力、でも決して過信してはいけない。
調整できるのは、測定した因子だけである。カルテに記録され、データに入っている変数しか、揃えようがない。
測り損ねた因子、そもそも測れない因子は、調整したあとにそのまま残る。これらの因子を未測定交絡因子という。
臨床医学においてそもそも測れない因子も多い。患者の生きたいという意欲や、家族のサポートの厚さなど、カルテに数値化されにくいからこそ、測れない因子も実際上多い。
傾向スコアも例外ではない。数理的に洗練された手法に見えるが、できるのはやはり、測定した因子のバランスのみを群間で取ることだけだ。未測定交絡因子による交絡は、傾向スコアを用いようとも消えない。
未測定交絡因子による交絡を、残差交絡という。
調整が消せるのは、測った交絡だけである。測っていない交絡、測れない交絡は、そのまま残る。 だから「調整済み」の群間差は、「交絡が消えた」群間差ではなく、「測れた範囲で交絡を減らした数字」と読むのが正しい。
3. バイアスは、数を増やしても消えない
交絡と並ぶもう一つの脅威が、バイアスである。
#1で扱った信頼区間は、偶然のばらつき、サンプルサイズを増やせば狭まる、ランダム誤差を表していた。バイアスはそれとは違う。系統的な、一方向への誤差である。
ここが肝心だ。ランダム誤差はサンプルサイズを増やせば薄まるが、バイアスは系統的誤差であり、人数では薄まらない。大きな研究は、間違った答えを、より狭い信頼区間で語るだけだ。 「N=10万」も、バイアスがあれば、その結果の確からしさの保証にならない。
医学研究において典型的なバイアスを2つ紹介しよう。
1つは、誰が研究に入り、どちらの群に分類されるかで生じる偏り(選択バイアス)である。
たとえば、ある薬を「飲んだ群」と「飲まなかった群」を比べるとき、飲み始めるまでの期間を「飲んだ群」に数え入れてしまうと、その期間は定義上「飲むまで生きていた(不死)」時間になる。
薬を飲み始める前に亡くなった人は自動的に「飲まなかった群」にのみ分類されるため、「飲んだ群」には一定期間以上生存した人しか残らない。
飲むまで生きていた時間を片方の「飲んだ群」のみに足せば、たとえ薬に全く効果がなかったとしても、飲んだ群のほうが不当に長生きに見える。不死時間バイアス(immortal time bias)である。
もう1つは、群間で不均等な情報の測られ方で生じるバイアス(情報バイアス)である。
治療を受けている患者は、治療を受けるためにも、受診や検査の回数も多い。すると、無症状の病変や軽微な有害事象まで見つかる。実際に増えたのではなく、よく見ているから見つかるだけ、ということが起きる。この種の情報バイアスを、検出バイアスともいう。
4. 観察研究と試験が食い違うとき
臨床研究の歴史においては、不幸にも観察研究とランダム化試験が正面から矛盾してしまった例も山のようにある。
かつて女性ホルモン補充療法(HRT)は、観察研究の結果から心臓を守ると考えられていた。
(N Engl J Med 1996; 335: 453-61.)
(Ann Intern Med 2000; 133: 933-41.)
しかしながら、大規模なRCTで検証すると、むしろ心血管リスクを上げた。たとえば、観察研究でHRTを使っていた女性は、もともと健康意識が高く、生活背景も恵まれていた、そのような違い(交絡)もあり、効果のように見えていたのである。
(N Engl J Med 2003; 349: 523-34.)
(Biometrics 2005; 61: 899-911.)
ランダムに割り付ければ、年齢も重症度も生活背景も、測れる因子も測れない因子も、平均的に両群へ均される。#2で見たとおり、これが「比較可能性」を生む。観察研究には、その保証がない。
RCTにも固有の弱点はある(それは今後の回で扱う)。だが、交絡という一点に関しては、ランダム化は観察研究が原理的に持てない強さを持つ。
また、交絡以外にもバイアスの存在も指摘されている。長く生きていたからこそHRTを受けることができ、HRT群のほうが不当に長生きに見えてしまう不死時間バイアスである。不死時間バイアスも結果に影響を与えていたと事後に評価されている。
(Epidemiology 2008; 19: 766–779.)
さて、冒頭の「死亡率が4割低かった」に戻ろう。正しい読みは、「この薬は死亡を4割減らす」ではない。「この薬を飲んだ集団は死亡が4割少なかった。ただし、その集団がもともとどう違っていたかは、この研究では分からない」である。
観察研究の差は、まず「交絡やバイアスかもしれない」と疑って読み解くべきである。
観察研究から得られるエビデンスは、ランダム化比較試験とはエビデンスのレベルが決定的に異なる。#2のサブグループ解析の結果と同じく、検証された結論としてではなく仮説に留めておくのが賢明である。
今日の持ち帰り
観察研究のデータにおいて「群間差」を見たら、まず「二つの群は、最初から同じような人たちだったか」を疑う。
「調整済み」は「交絡なし」ではない。未測定交絡因子による交絡はそのまま残っていると考える。
バイアスはサンプルサイズをいくら増やしても消えない。大きな研究は「間違った結果」をより精密に示すことができるだけ。
観察研究の結果は仮説である。ランダム化比較試験の結果と矛盾していれば、ランダム化比較試験の結果を信じるべき。
次回の#4は、ここからもう一歩踏み込む。交絡とバイアスに脅かされる観察研究データから、それでも「原因と結果」の関係を読み解くことはできるのか。相関を因果と読み違えないための考え方としての因果推論である。
