読む統計#0 なぜ臨床医は統計を「計算」しなくてよいが、「読み解か」ねばならないのか
「読む統計」は、臨床医・医学研究者のための、医療統計とデータサイエンスの連載。統計を「計算」する技術ではなく、「読み解く」力を鍛える。今回の#0では、その立ち位置から話を始める。
抄読会で、誰かが論文をこう要約する
「主要評価項目はP=0.08でした。有意差はつきませんでした。残念ながら、この治療は効かなかったということですね」
机を囲む全員が頷く。
そして話題は次の論文へ移る。
——この30秒のあいだに、いくつの誤読が通り過ぎただろうか。
「有意差がない」は「効果がない」ではない。
P=0.08という数字は、効果が存在しないことを何ひとつ示していない。サンプルサイズが不足していれば、本当に効果があっても有意差はつかない。
それにもかかわらず、私たちは日々、この種の要約で目の前の患者の方針を決め、次に走らせる研究の方向を決めている。
誤りは計算の中にあるのではない。
要約のひとことの中に潜んでいる。
要点
統計の「計算」は、ソフトウェアと生物統計家にすでに外注された。臨床医がそこに労力を割く価値は乏しい。
だが「読み解き」だけは外注できない。その結果が目の前の患者に当てはまるかを判断するのは、臨床医だからである。
臨床研究で実際に害をなす誤りの大半は、計算ミスではなく読み方の誤りである。本連載は、その「読む力」を鍛える。
1. 計算よりも、解釈が問題になる
ここで多くの統計の教科書は、「だからP値を正しく計算しましょう」と続く。
もちろん、それは大切なことだ。計算を誤れば、結論も誤る。
しかし私は、いま臨床医に本当に必要なのはそこではないと思う。
現代の臨床研究で問題になるのは、計算の誤りよりも解釈の誤りだからだ。
計算は統計ソフトウェアが実行する。現代ではコンピュータ内の統計ソフトウェアが担当するため、われわれはただ「外注」している立場である。
回帰分析も生存時間解析も、計算の実行そのものは以前とは比べものにならないほど容易になった。
30年以上前には到底考えられなかった未来である。さらに現代にはプログラミングさえも担当できる大規模言語モデル(LLM)を代表選手とする人工知能(AI)さえ存在する。
もちろん現代でもt検定の導出を説明できることや、Cox回帰の数式を手で展開できることには「学術的」な価値がある。ましてや、あなたが医学研究者というよりも統計専門家であるならば、欠かすことのできない必須の事項である。
しかし、その知識そのものが、臨床医であるあなたの目の前の患者を直接救う場面はさほど多くない。むしろ統計に関する数理的な知識が目の前の患者を直接救う場面はほぼ存在しない。
一方で、論文の結果を読み違えることは日常的に起きている。
有意でないP値を「効果なし」と読む。偶然得られたサブグループ解析の結果を「真実」と読む。相関を因果と読む。高いAUCを「臨床で使える」と読む。
これらの誤りは、計算された数値が間違っているから起きるのではない。
むしろ計算そのものは正しく行われていることが多い。
問題は、その先にある。
得られた計算結果から何が言えて、何が言えないのか。
どこまでがデータの主張で、どこからが私たちの願望や思い込み、バイアスなのか。
その境界線を見誤ることで、誤った結論が生まれる。
なお、これらの用語は今はわからなくても大丈夫、論文には常に山のように専門用語がならんでいるが、この連載でも今後説明をしていく。
2. 外注できないものが、ひとつ残る
読むこと、である。結果を正しく「読み解く」ことである。
目の前の患者に、この試験結果は当てはまるのか。
この95%信頼区間は、本当に治療方針を変えるほどの情報を与えているのか。
このサブグループの「効いた」は信じてよいのか。
この代替エンドポイントは、本当に治療効果を代弁しているのか。
これらの判断は、統計家には委ねられない。数理的立場だけでは説明できない。
臨床現場に即した問いを持ち、最終的に患者に責任を負っているのは臨床医だからだ。
統計を依頼することはできる。
しかし解釈まで依頼することはできない。
そして臨床研究で実際に起きる誤りの多くは、統計における計算の誤りではない。
有意でないP値を「効果なし」と切り捨てて、有望な治療の選択肢を閉ざしてしまっていないか。
たまたま有意になったサブグループの結果を、あたかも全患者に通用する「本物」のように扱っていないか。
示された相関を因果と信じ込んで、目の前の患者に無益な介入をしようとしていないか。
高い予測性能の数字だけを見て、現場のワークフローを無視した「臨床的有用性」を夢見ていないか。
これらはすべて、読み方の誤りである。
計算の正しさは、誤読を防いでくれない。
誤読を防ぐのは、読む力だけである。
臨床医にとっての統計は、電卓ではない。統計ソフトウェアでもない。
臨床医にとっての本当の統計は、不確実性の下でものを考えるための言語であり、過度な強調やミスリードを見抜くための道具である。
言語は、活用形を暗記するために学ぶのではない。
読むために学ぶ。
統計も同じだ。
3. だから、これは「読み方」の連載である
いま、人工知能や機械学習が臨床研究に加速度的に流れ込んでいる。
手法はより不透明になり、宣伝はより大きくなり、失敗の様式──データリーク、過剰適合、較正のずれ──はますます見えにくくなった。
適切に読み解けない者は、これまで以上に巧妙に装飾された主張のなすがままになる。エビデンスの巧妙な偽装もより簡単になっている。
読む力は、時代遅れになるどころか、いま最も切実な技術になっている。
この連載は、統計の「やり方」を教える講座ではない。
統計の「読み方」を鍛える場である。
プロトコルを読み、論文に疑問を持ち、どこまで言えてどこから言えないのかを見抜く。
そのための視点を共有したい。
本編では、P値と信頼区間、多重性とサブグループ解析、交絡とバイアス、因果推論、そして機械学習までを順を追って扱う。
教科書のために用意された例ではなく、実際の論文や研究事例を題材にしながら進めたい。
4. この連載の約束
約束しておきたいことがある。
数式はできるだけ使わない。
万が一使用する場合も、それが直感的な理解を助ける場合に限定する。
また、特定の論文を取り上げるときは、著者ではなく方法を議論する。
そして私自身が間違えたときは、科学者の1人として誠実に間違えたと書く。
第1回は、最も身近で、最も雑に読まれている二つの数字――P値と95%信頼区間から始めたい。
「有意差がついた」「つかなかった」。
私たちは、その一行をこれまでどれだけ粗く読んできただろうか。
