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読む統計#4 「関連がある」と「すれば良くなる」のあいだ ― 因果推論

「読む統計」は、臨床医・医学研究者のための、医療統計とデータサイエンスの連載。統計を「計算」する技術ではなく、「読み解く」力を鍛える。今回の#4では、相関を因果と読み違えないための考え方――因果推論を読み解く。

読了の目安:約9分/予備知識:不要



その治療を、すべきか

カンファレンスで、ある観察研究が紹介される。「この治療を受けた患者は、受けなかった患者より、生存率が高かった」。

誰かが言う。「では、もっと積極的にこの治療をすべきだ」。

——ここで、決定的な飛躍がある。

「関連がある」から「すれば良くなる」へ。
「観察された差」から、「目の前の患者に何をすべきか」へ。

この溝を適切に渡るためには、特別な考え方が必要になる。それが因果推論である。


要点

  • 「関連がある」は観察の言葉、「すれば良くなる」は介入の言葉である。両者のあいだには、埋めなければならない深い溝がある。

  • 因果効果とは、同じ患者の「治療したとき」と「しなかったとき」の差である。だが私たちは片方しか見られない(反実仮想)。ランダム化試験は、その見えないほうの代役を用意する仕組みだ。

  • 観察データから因果を語ることはできる。だがそれは「測れない交絡はない」という、データからも検証できない仮定の上でのみ成り立つ。いかなる手法も、この仮定を肩代わりしてくれない。

  • 「調整すればよい」ではない。交絡は調整すべきだが、中間因子や合流点を調整すると、かえって偽の関連を生む。


1. 「効く」と言うには、因果が要る

2つのものが一緒に動くこと、それが関連(相関)である。

しかしながら、臨床医が本当に知りたいのは、この関連にとどまらず、それを超えたものである。

「この治療をしたら、この患者は良くなるのか」。

これは関連があるかないかではない。介入による問い、すなわち因果の問いである。

関連は、因果がなくても生まれる。#3で見た交絡(もともと予後の良い患者が治療を受けていた)でも生まれるし、逆向きの因果(重症だから治療された)でも生まれる。さらにはまったくの偶然でも生まれる。

データにおいて関連があったのみで、介入したほうが良いのかどうかまでは分からない。

「関連している」は観察の言葉であり、「すれば良くなる」は介入の言葉である。両者のあいだには、埋めなければならない深い溝がある。

2. 見えなかったほうの未来(反実仮想)

その溝を埋めるための鍵の1つが、反実仮想である。

ある患者にとっての治療の効果とは、本来こういうものだ。「その患者が治療を受けたときの結果」と、「その同じ患者が治療を受けなかったときの結果」の差。

その患者が治療を受けたときに病状が改善し、その同じ患者が治療を受けなかったときには病状が改善していないとしたら、治療の効果があったと判断できる。

しかしながら、私たちは、そのどちらか一方しか見られない。その患者が治療を受ければ、「治療を受けなかった世界」は永遠に見えず、反対に受けなければ「受けた世界」は見えない。

これが因果推論の根本的な難しさである。

つまり因果とは「見ることができない未来」との比較なのだ。そして私たちは、その未来を直接見ることはできない。

だからこそ問題はいつも、「見えないほうの未来の、妥当な代役をどう用意するか」になる。

ランダム化比較試験は、まさにこの代役を妥当に作りあげる仕組みである。

ランダムに割り付ければ、治療を受けなかった群が、「治療を受けた患者が、もし受けなかったらどうなっていたか」の妥当な代役になる。#3で「ランダム化が交絡を消す」と書いたのは、突き詰めればこのことだ。

因果とは、見えないほうの未来との比較である。その未来は直接は絶対見ることができない。だから、代役をどう用意するかが、すべてを決める。

3. 観察データから因果を語る条件

ランダム化比較試験がないとき、観察データから因果は語れないのか。

語ることも可能である。ただし、強い条件のもとでのみだ。

第一に、測っていない交絡がないこと。比較する二群の違いが、測定し調整した因子で全て説明できていること。ただし、これは#3で見たとおり、データそのものからは決して確かめられない、検証不能な仮定である。

第二に、どの患者も、どちらの治療も受けえたといえること。ある種の患者が必ず一方しか受けないなら、そもそも比較のしようがない。

第三に、その介入がはっきり定義できること。「この薬を投与する」は明確に定義できる。他方、「健康であること」の効果は、何を変えれば健康になるのかが曖昧で、因果効果としては定義しづらい。

要するに、RCTに近い状況が作れているかどうかが重要である。

傾向スコアもIPTWも、数理的には洗練された手法であるものの、これらを用いて解析を行ったとしてもこれらの条件を満たすことはない。手法は、仮定のもとで効果を推定するだけで、仮定そのものを作り出しはしない。

観察データからの因果効果は、つねに「測れない交絡がなければ」という条件つきの主張である。手法は、その条件を肩代わりしない。

だからこそ、「本当はどんなデザインのランダム化比較試験をやりたかったか/やるべきだったのか」をまず頭の中で設計し(誰を対象に、どの治療戦略を、いつから追跡し、何を測るか)、その理想の試験に観察データでどこまで近づけるかを問う。

この「やりたかった試験を模倣する」アプローチ(targeted trial approach)は、#3で触れた不死時間バイアスのような罠も未然に防いでくれる。

4. 「調整すればよい」ではない

ここで、#3の「交絡を調整する」に、重要な但し書きを追加すべきである。

調整は、いつでも善ではない。間違った変数を調整すると、かえってバイアスが生まれる。

1つ目。治療の効果が結果に届くまでの「途中の変数」(中間因子)を調整してはいけない。それは効果の通り道そのものなので、調整すると本物の効果の一部まで誤って消してしまう。

2つ目。治療と結果の両方から影響を受けている変数、すなわち合流点にある変数を調整してはいけない。そこで揃えると、もともと無かった関連が、見せかけで生まれてしまう。

つまり「測れるものは全部モデルに入れて調整した」は、安心材料ではない。むしろ危うい。何を調整し、何を調整してはいけないかは、データではなく、研究者のもつ仮説の因果の構造から決まる。

交絡は調整すべきだが、中間因子や合流点を調整すれば、かえって偽の関連が生まれる。「全部入れて調整した」は、信頼の根拠にならない。

冒頭の「治療を受けた患者は生存率が高かった」に戻ろう。それが「治療すれば生存が延びる」を意味するのは、やりたかった試験をうまく模倣できていて、測れない交絡がなく、調整すべき変数だけを正しく調整していたとき、これらの条件がそろって初めてである。

そこまで確かめずに因果の言葉で語られた関連は、まだ仮説ですらない、ただの相関である。


今日の持ち帰り

  • 「関連がある」と「すれば良くなる」は別物。介入の問いには、因果が要る。

  • 因果は「見えないほうの未来」との比較。観察研究では、比較する相手(コントロール群)がその妥当な代役かを問う。

  • 観察研究の因果的主張は「測れていない交絡がなければ」という条件つき。いかなる洗練された手法であろうとも、この条件を保証することはない。

  • 「調整すればよい」ではない。中間因子や合流点を調整すれば、バイアスはむしろ増える。


次回#5から、いよいよ機械学習に入る。

だが最も重要な点を一点だけ述べる。あの華やかな予測モデルが答えているのは「何が起きるか」であって、「何をすべきか」ではない。予測と因果は、別物である。

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