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栄光の“設定厨”は、新たな世界の神となるか?

前回までの『厨二病』は…

中二病を掘り下げる自虐的シリーズ【4】

 ある深夜、フォロワー数三桁のアカウントが「種族間の関係図(ver.7)」と題した手描きの画像を投稿していた。
 精霊族と魔族の関係、月光暦の週構造、呪語体系における母音変化――細かすぎるその設定は、まるで公開される予定のないファンタジー辞典のようで、リプライ欄は「すごい……」と「読む気がしない」で割れていた。(※1)

 設定厨。
 この言葉には、畏敬と侮蔑、そしてかすかな憧れが同居している。物語に必要以上の背景設定を施し、時に本編よりも詳細な「世界観メモ」を積み上げてしまう人々。彼らは「なぜそこまでやるのか?」と問われても、おそらく答えられない。だってそれは、“やらずにはいられなかった”ことだから。

 その衝動はどこから来るのだろう。

 物語とは、本来、語られるべきものと語られざるものがあってはじめて成立する。作中に明示されない背景、語られぬ歴史、説明のない技術体系――それらが、物語世界に深みを与える。
 そして設定厨たちは、この「語られざるもの」こそが作品の核であると信じている。キャラが一言も発しない名前の由来、登場しない戦争の経緯、制度の法的根拠。物語という表層の背後に広がる“氷山の水面下”を設計することで、ようやく「創作した」と言えるような感覚だ。

 それは、いわば“神になりたい欲望”だ。

 既存の世界に失望した子どもたちが、どこにもない宇宙を設計し、そこに「本来あるべき理想」を託す。
 現実では無視された倫理が、空想世界では支配的価値となり、歴史はその通りに展開する。
 自分だけが知る秩序、自分だけが理解できる体系――それは、痛みからの逃避であると同時に、自己を守る防壁でもある。

 しかし、この営為には落とし穴がある。
 設定が肥大化しすぎて、物語が始まらないのだ。

 プロットは書けない。登場人物は動かない。シナリオはただの背景資料に埋もれていく。気づけば、自分の創作は「語られないままの歴史」に回収されていた。設定という名の“世界”は存在しても、そこに生きているキャラがいない。

 この罠は、創作者にとっては致命的だ。
 なぜなら、物語とは動的なものであり、登場人物の感情と衝突によって展開されるものだからだ。静的な設定は、それだけでは意味を持たない。

 それでも、人は設定を作ってしまう。
 それはたぶん、自分の内面を直視するより、世界の構造を組み立てている方が楽だからだ。感情や欲望を見つめるのは苦しい。だから、それを外側の体系に投影して、距離を取ろうとする。

 だが皮肉にも、その構築された“世界観”は、作者の欲望と傷口を忠実に映してしまう

 なぜその設定は、そこまで厳格なのか。
 なぜその種族は、差別されているのか。
 なぜ主人公は、唯一その体系を超越できる存在なのか
 ――そこには、たしかに「その人らしさ」がにじんでいる。

 設定厨とは、現実の語られなかった部分を、空想のなかで語り直そうとする人々だ。彼らの物語が動き出すとき、それは単なる創作を超えた、もうひとつの“自己物語”になる――。


次回は「“キャラに感情移入しすぎる人々”」をテーマに、なぜ私たちは架空の存在にここまで心を動かされるのかについて考察していきます。どうぞお楽しみに。

※1 架空の例です。オタク文化において見られる「過剰な設定共有」や「本編より背景が充実している」現象の補助としての例であり実在する種族間の関係図とは関係ありません。どこかで『種族間の関係図(ver.7)』がポストされたとしても全く関係ありませんしディスってもいません。


 厨二病……なぜこのテーマについて書き始めてしまったのだろうか。
 身をよじりながら書き、何とも言えない感情に口の中が乾く💦
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