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古いカセットテープのB面にはたいてい本音が入っていた

 実家の押し入れを整理していたら、古いカセットテープが一本出てきた。 
 ラベルには、もう薄くなったボールペンの字で「ドライブ用」とだけ書いてある。僕の字ではない。大学時代の友人が作ってくれたものだ。彼の車で海に行くとき、何度も聴いた。

 懐かしくなって、苦労して再生環境を確保し(これが本当に苦労した。カセットデッキというのは今や、ほとんど考古学の領域にある)、僕はそれを聴いてみた。

 A面は、覚えていた通りだった。
 当時流行っていた曲、誰もが知っている曲、車の窓を開けて大声で歌うための曲。選曲は明るく、隙がなく、社交的だった。
 いわば、よくできた名刺みたいな構成である。

 ところがB面に裏返した途端、空気が変わった。

 聴いたことのない外国のバンド。静かなピアノ曲。歌詞のほとんどない、長い長いインストゥルメンタル。そして最後に、当時の僕らからすればずいぶん古い、しわがれた声のバラードが一曲。
 A面とはまるで別人の選曲だった。というより、たぶんこちらが本人だったのだ。

 考えてみれば、当然の構造だった。
 テープを再生すれば、必ずA面から始まる。だからA面には、聴かせたいものを置く。外向きの、失敗のない曲を。でもB面まで辿り着くのは、A面を最後まで付き合ってくれた人間だけだ。そこまで来た相手になら、少し見せてもいい。そういう設計に(意識的にせよ無意識にせよ)なっていたのだと思う。
 本音というのはいつだって、裏面に、小さな文字で記載されている。

 そして思うのだけれど、人間にもA面とB面がある。

 会議で喋る声と、深夜にひとりで聴く音楽。SNSに載せる週末と、載せなかった週末。
 どちらが本物か、という話ではない。A面も嘘ではないのだ。ただ、再生される順番が決まっているというだけで。
 問題は、僕らが日々あまりに忙しく、お互いのA面だけ聴いて「彼のことは知っている」と思い込んでしまうことだ。テープを裏返すには時間がかかる。海までの長いドライブくらいの時間が。

 その友人とは、もう二十年近く会っていない。
 プールの底の光の話ではないが、たぶんこの先も会わないだろう。でもあの夏、彼は僕にB面を聴かせてくれた。僕はそれを、ちゃんと受け取っていただろうか。

 しわがれた声のバラードが終わり、テープは無音のまま、しばらく回り続けた。カチリ、と音がして止まる。

 僕はテープを取り出し、ラベルの字をもう一度眺めてから、捨てずに引き出しへしまった。
 本音の保存形式としては、クラウドより、こちらのほうがずっと信頼できる気がしたからだ。

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