プールの底から見上げた夏ともう会わない人たちのこと
子供の頃、プールの底に座るのが好きだった。
大きく息を吸って、体を沈めて、尻を底のざらざらしたコンクリートにつける。そして上を見る。すると、そこには別の世界があった。
水面が銀色に波打って、太陽はかたちを失い、揺れる光の網になって全体に広がっている。地上の音は遠く、くぐもって、誰かの笑い声が水を通してゆっくり届く。
あれはたぶん、僕が人生で最初に手に入れた「世界から一歩離れる方法」だった。
息が続くのは、せいぜい三十秒。その三十秒のあいだ、僕は世界に属していなかった。属していないのに、世界はちゃんと見えた。
むしろ普段より、ずっと美しく見えた。
ところで、大人になってから気づいたことがある。
人生で出会った人の大半とは、もう二度と会わない、ということだ。
小学校のプールで一緒に潜った友達。夏期講習で隣の席だった子。アルバイト先で三ヶ月だけ一緒だった先輩。引っ越していった隣人。
彼らと僕は、ある時期、確かに同じ水の中にいた。同じ光を見て、同じ笑い声をくぐもった音で聞いていた。それなのに、ある日を境に、お別れの儀式もないまま、それぞれの水面に浮かび上がって、別々のプールサイドに上がった。そして二度と会っていない。
これを寂しいことだと、長いあいだ僕は思っていた。人間関係の失敗の集積みたいなものだと。
でも最近、少し考えが変わった。
プールの底から見上げた太陽を思い出してほしい。
あれは太陽そのものではなかった。揺れて、砕けて、網になった光だった。でも僕らはあれを「きれいだ」と思った。本物より、むしろきれいだと。
もう会わない人たちも、たぶん同じなのだ。彼らは記憶の水を通して、揺れて、少し歪んで、実物よりやわらかい光になって、今も視界の上のほうで揺れている。会わないからこそ、彼らは永遠に夏のままでいられる。
もし今、再会したら、どうなるだろう。
お互い年を取り、話題を探してぎこちなく笑い、揺れていた光は固定されてしまうだろう。それはそれで悪くない。でも、必須ではない。
世界には、水面のこちら側で完結する関係と、向こう側に置いておくのがいちばん美しい関係がある。
後者を失敗と呼ぶ必要はないのだと、四十を過ぎてようやくわかった。
今年も夏が来る。
どこかのプールの底では、誰かが息を止めて、揺れる光を見上げている。
三十秒だけ、世界の外側から。
その子もいつか知ることになる。
あの光の網の中に、これから出会って、別れていく人たちが、もう全員映っていたことを。
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