やりたいことがないのは才能の問題じゃない
「やりたいことが見つからない」
「何に向いているのかもわからない」
この悩みは、若者だけに限らない。就活中の大学生も、キャリアに迷う30代も、定年後の60代も、口を揃えて言う。
「自分は何をしたらいいのか、わからない」────と。
ここでよく出てくる解決法がある。
自己分析をしようだとか、とにかく動いてみようだとか、小さな好きから始めてみよう……とか。
たしかに、どれも間違いではない。でも、どこか空回りしてしまう人が多いのも事実だ。
なぜか?
それは、「やりたいことがわからない」という悩みが、『個人の内面』ではなく『構造の欠落』から生まれているからだ。
少し視点を変えてみよう。
そもそも、「やりたいことがある人」とは、どんな人だろうか。
小さいころから夢を持っていて、得意なことを伸ばしてきた。
目標を持てる環境にいた……など。
そう。つまり、やりたいことが自然にわかった人たちは、自己との対話を促すような「外部環境」に恵まれていた可能性が高い。
逆に言えば「やりたいことがわからない」人は、それが育つような環境の中にいなかった、というだけなのではないだろうか。
「失敗するな」と言われ続けてきたのではないか?
自分の意見を言う機会がなかったのではないか?
誰かの期待を優先することが当たり前だっただけではないか?
こうして、自分の感情を拾いあげる回路そのものが未発達のまま、大人になってしまった人は少なくない。
ここで大事なのは、それが『性格』ではないということだ。
「やる気がないだけかもしれない」と、そうやって自分を責めてしまいがちだけど、もともと育ててもらっていない回路を使えと言われても、それは酷な話だ。
そして厄介なのは、社会の側がその構造を見ようとしないこと。
自分の好きなことくらい、自分で探せだの「ないのは努力が足りないからだ」たの、やりたいことがないなんて意識が低いだの……。
そんな風に、わからなささえも自己責任に押し込められてしまう。
では、どうすればその構造を作り直せるのか。
まず最初に必要なのは、「すぐ答えを出そうとしない」こと。「やりたいことは何か」という問いを、未完のまま持ち歩く態度が必要だ。
それは、「正解探し」ではなく、「違和感探し」に近い。
「これはやりたくない」「こっちも気になる」「なんか引っかかる」こうした微細な反応に、反応する力を鍛えることが第一歩となる。
また、「選択肢に触れる構造」も重要だ。
人は、知らないものには興味を持てない。
だから、「やりたいことがない」のではなく『やりたいかもしれないことに、出会っていない』だけかもしれない。
やりたいことがわからないのは、才能がないからでも、やる気がないからでもない。それは「見つけるための構造」が欠けていただけなのだ。
構造を変えれば、回路はこれからでも育つ。
そしてその最初の一歩は、「そういう構造にいたんだな」と気づくこと。
それ、たぶん“構造”のせいです。
前回の #構造分析論シリーズ は…
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