感情的すぎる人は職場で損をする
「あの人、感情で動くタイプだから、扱いづらいんだよね」
「もっと冷静に話してくれないかなぁ」
これは、職場で『感情を出す人』に向けられがちな言葉だ。
とくに怒りや涙、苛立ちや悲しみといった強めの感情が表に出ると『扱いづらい人』や『面倒くさい人』というレッテルを貼られてしまう。
だが、それは本当に「その人の性格の問題」なのだろうか?
いや、むしろそれは────
「感情を抑えられる人だけが評価される」構造の副作用かもしれない。
そもそも感情とは、生きるためのセンサーだ。
怒りは境界線を知らせ、悲しみは喪失を知らせ、喜びは価値の所在を教える。つまり感情とは、単なる『反応』ではなく、思考の素材であり、意思決定の羅針盤でもあるのだ。
ところが、多くの組織や社会ではこの感情が『邪魔なもの』として扱われる。
曰く、感情を出す人は「未熟」だ。
曰く、 感情を交えると「客観性がない」のではないか。
曰く、 感情的=論理的でない、という短絡的な構図。
こうして「感情=非合理=排除すべきもの」という構造が作られ、感情をコントロールできる人が“優秀”と評価される空気ができていく……。
だがしかし、この構造には大きな問題がある。
感情を「見せない」ことと「ない」ことは、まったくの別物だ。
つまり、感情を隠す技術に長けた人だけが得をし、感情が表に出る体質の人が不当に損をする。
たとえば、 上司が淡々とした口調で怒りを表現すると「冷静で理性的」とされるたり、 部下が泣きながら同じことを訴えると「ヒステリック」「感情的」とされたりする。
中身は同じ主張でも、出し方の違いで評価が真逆になる。これが『感情的すぎる人が損をする』構造の正体なのだ。
☆
この構造は、ジェンダーや文化の偏見とも密接に結びついている。
男性が怒ると「頼もしい」
女性が怒ると「感情的」
外国人が感情を込めて話すと「熱量がある」
日本人が同じことをすると「空気が読めない」
つまねところ「感情の出し方」は、人間の本質ではなく『文脈に依存するスキル』でしかないのではなかろうか。
にもかかわらず、それが人格のようにラベリングされてしまうと、人は自分の感情を隠すことに疲れ、もしくは爆発するまで我慢してしまう。
どうすればこの構造から自由になれるのか。
まず第一に、「感情の存在そのものを否定しない」こと。
感情は、見せるか・見せないか以前に、感じることが自然な反応だと認めること。
次に、「感情を伝えるスキル」を構造的に身につけること。
「怒っている」のではなく「怒りを感じている」と表現する。 相手を責めるのではなく「自分の感情」を主語にする。 感情を吐き出すのではなく、「共有する」ための言葉を探す……。
これらは「我慢」ではない。
感情を『つたえる技術』として構造化することなのだ。
「感情を表に出すと損をする」と言われてきた社会。
それは、感情の価値を低く見積もってきた構造の副産物だ。
感情とは、わがままでも、論理の敵でもない。
それは、人間関係を築くための、最も古く、最も強力なメッセージでもある。
だからもし、あなたが「感情的すぎて損している」と感じたことがあるなら──
それ、たぶん“構造”のせいです。
前回の #構造分析論シリーズ は…
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