すぐに答えを欲しがる人が怖れているもの
「答えは? つまり要点はどこ?」
こうしたフレーズを口にしたり、聞かされたりした経験はないだろうか。
それ自体は、理にかなっているように見える。
情報が溢れる時代、効率を重視するのは当然だし、時間は有限だ。
「結論から話してくれ」は、もはやビジネスの常套句だ。
しかし、この『答えファースト』が行き過ぎると、かえって思考は貧しくなっていく。その裏には、「曖昧さ」に対する強い不安と、それを助長する構造がある。
まず、なぜ私たちはこんなにも「はっきりした答え」を求めるのか。
一因として挙げられるのは、「学校教育の構造」だ。
問題には必ず正解がある
早く答えにたどり着ける人が“できる人”と評価される
答えを出せない=理解していない、とされる
etc…
この構造の中で育った私たちは、『正解主義の呪い』にかかっている。
つまり、不確かで曖昧なものを、許容する力を育ててこなかったのだ。
そのため「わからないままにしておく」「結論を急がない」という態度に、無意識のうちに恐怖を感じてしまう。
さらに、現代社会にはこの傾向を加速させる情報構造が存在する。
SNSでは短く刺激的な「結論」がバズりやすいし、メディアは「この問題の真実とは?」と断定口調で迫る。そして、検索すれば“誰かの答え”がすぐに手に入る……。
こうして『すぐにわかる』……すぐに断言できることが価値とされる中で、思考や感情の“未完状態”が許されない構造が出来上がってしまった。
つまり「結論が出ていない=未熟」と見なされる社会では、人々は安心のために『とりあえずの答え』に飛びつくようになる。
だが、ここにひとつのパラドックスがある。
本当に複雑な問題ほど「すぐに答えが出るはずがない」にもかかわらず、早く答えを出そうとすればするほど、短絡的な二元論、他責思考、感情的なレッテル貼り──といった、思考の貧困化が進んでしまう。
「答えファースト」は、一見思考的に見えて、実は『逃避』でもある。
ではどうすれば、「すぐに答えを出したがる構造」から距離を取れるのか。
ひとつは、「問いを持ち続ける力」を評価する視点を持つこと。
「今の段階ではこう考えている」 「もう少し観察してみよう」 と、問いを、自分なりに抱えながら進んでみる。これは、決して迷っているのではない。自分の思考を手放さない『誠実な保留』なのだ。
また、職場や家庭でも「今すぐに決めなくていいこと」は意外と多い。
『仮の結論』ではなく『仮の理解』で止めておく勇気も必要だ。
『はっきりしない』が怖いのは、私たちが「はっきりしなければ価値がない」と思い込まされてきたからだ。だが、本当に豊かな思考は、むしろ『曖昧なまま持ち歩く』ことによって育つ。
だからもし、あなたが「今の自分の考えにまだ自信が持てない」と感じたなら、それは、思考が進化している証かもしれない。
その焦りや戸惑い──
それ、たぶん“構造”のせいです。
前回の #構造分析論シリーズ は…
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