『どうせ』を捨てる日
「どうせ私なんて」――この言葉を心の中でつぶやいたことがある人は少なくないだろう。
職場で意見を言おうとしても「どうせ私なんて聞いてもらえない」、恋愛で傷ついた夜に「どうせ私なんて愛されない」、SNSで反応が少なければ「どうせ私なんて誰も興味ない」。
気づけば口癖のように、自分を小さく縮めてしまう。
だが、この「どうせ私なんて」という言葉には、ある種の安心感もある。
最初から諦めてしまえば、挑戦して失敗する痛みを避けられるからだ。つまりこれは心を守る防衛本能でもあるのだろう。けれど、その代償はあまりに大きい。挑戦をやめた分だけ、未来の可能性を自ら閉ざしてしまうからだ。
心理学には「学習性無力感」という言葉がある。
努力をしても報われない経験が続くと、人は「何をしても無駄だ」と学習してしまう。すると、まだ試してもいないことにまで「どうせ無理」とレッテルを貼ってしまう。やがて行動する前に諦めるクセがつき、「どうせ私なんて」が常套句になっていく。
しかし、ここで忘れてはならないのは、「どうせ」という言葉は未来を予言する力を持ってはいない、ということだ。
未来は決して決まっていない。
私たちが思っている以上に、偶然やタイミング、人との出会いによって大きく変わる。つまり「どうせ」と決めつけるのは、根拠のない占いを自分にかけているようなものなのだ。
では、この口癖をどうやって手放せばいいのか。
完璧に自信を持つ必要はない。むしろ小さな行動を積み重ねて、「あれ、できたじゃないか」と自分に証拠を与えることが有効だ。
会議で一度だけ意見を言ってみる。断られるかもしれないけれど告白してみる。SNSに一つだけ投稿してみる。その小さな経験が「どうせ私なんて」を「もしかしたら私でも」に変えていく。
また、「どうせ」と思った瞬間に、その言葉を少しだけ書き換えるのもいい。
「どうせ私なんて愛されない」を「私はまだ愛されていないだけ」に変える。「どうせ私なんてできない」を「私はまだできるようになっていないだけ」に言い換える。
たった一語で、未来の扉が閉ざされた絶望から、開かれた可能性へと変わる。
私たちは皆、時に弱さを抱え、臆病になる。けれどその弱さを抱えたままでも、未来に一歩を踏み出すことはできる。
「どうせ私なんて」と思った夜を、静かに「それでも私だって」と書き換えられる日が、きっと訪れる。
本当の幸せは、数字では測れない。
「どうせ」と縮こまった数字のような自己評価よりも、たった一歩踏み出した体験の温度の方がはるかに大きな意味を持つ。
ページに並ぶ数字も、人の評価も、移ろいやすいものだ。けれど「私もできた」という感覚は、消えない灯のように心に残る。
その灯を見つけたとき、私たちは「どうせ私なんて」をようやく捨てられるのだろう。
前回の #数字では測れないシリーズ は…
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