『自分探し』という罠
「自分探し」という言葉がある。
若者だけでなく、キャリアに悩む大人、セカンドキャリアを考える中高年、あるいは定年後の新しい人生に目を向ける人々にとっても、どこか心に響くフレーズだ。
だが──この言葉ほど、人生を遠回りさせるものもない。
僕たちは「自分を見つける」という前提で人生を考えてしまう。
本当の自分とは何か。
自分に向いている仕事とは。
本当に好きなことってなんだろう。
この問いかけは一見、深い自己理解を促すように見えるが、実際は『見つけるまで動かない』という『言い訳』を与えてしまう。
何者かになりたいと願いながらも「まだそれが何かわからない」という理由で行動が保留される。この保留こそが、最大の損失となる。
人間の「好き」は、案外あてにならない。
憧れていた仕事を始めたら、想像と違っていた。好きで始めた趣味も、3ヶ月で飽きてしまった。旅先で「ここに住みたい」と思ったのに、2週間で帰りたくなった。
そんな経験は、誰にでもある。
感情は流動的で、記憶も錯覚に満ちている。
つまり「これが本当に自分のやりたいことだ」と思っていても、それは『今この瞬間の自分』の都合でしかない可能性が高い。
だからこそ、指針にすべきは「好き」ではなく「続いたこと」だ。
毎朝なんとなく書き続けている日記や、週に1回だけ続けている筋トレ。
つい誰かに話したくなるテーマの本を何冊も読んでしまう……。
そこには明確なモチベーションも、壮大な目的もないかもしれない。
だが、気づけば続いていたという事実の中にこそ、自分の本質が現れる。
「好き」は嘘をつくが、「習慣」は正直だ。
そして、「続いた」という実績は、それだけで自分を信じる根拠になる。
自己肯定感とは、こういう静かな実感から生まれてくる。
これは仕事にも当てはまる。
今の仕事が「本当に好きなこと」かどうかは、正直よくわからない。
だが、気づけば5年、10年と続いているなら、少なくとも『嫌いで仕方ない』わけではない。それどころか、ある程度の成果を出していたり、人から感謝されることもある。だったら、それは自分という存在が『社会とつながっている場所』なのかもしれない。
向いていることとは、得意なことではない。自分が壊れずに、繰り返せることだ。そこに静かに寄り添っているものを、見過ごしてはならない。
自分探しが厄介なのは、「まだ見つかっていない」という焦燥感と「本当はどこかに特別な自分がいるはずだ」という期待感を生んでしまうことだ。
その結果、いつまでも「今の自分」を仮のものとして扱ってしまう。
けれど、どれだけ探しても「完璧にフィットする自分」など存在しない。
むしろ、自分というのは「続いてしまったものの集積」でしかない。
見つけるのではない。日々の選択と反復の中で、現れてくるのだ。
だからこそ「これをやってみたい」という衝動より、「これなら続けられそう」という感覚に耳を澄ませてほしい。
派手ではない。
熱狂もない。
だず、続いている。
それこそが、あなたを構成するものなのかもしれない。
自分探しに出かけるのではなく、自分の足元に落ちている『静かな反復』に目を向けること。
そこに、誰よりも信じられる「あなた」と青い鳥がいる。
こんなこと、教科書に書いてなかったんだよな。
前回の #教科書に書いてない シリーズは…
エンディングテーマ『教科書に書いてない』
