がんばりすぎて
気づけば今日も一日、全力で走っていた。
仕事では人の期待に応えようとし、家では家族のために動き、友人からの頼みごとにも「いいよ」と笑顔で答える。
ふと時計を見れば夜も遅く、ベッドに倒れ込んだ瞬間に「今日もちゃんとがんばれた」と胸をなでおろす。けれど、その安心の裏で心も体もすり減っているのに気づいてしまう。
「がんばりすぎて疲れる」というのは、決して特別なことではない。
むしろ、まじめで誠実な人ほど陥りやすい。
期待に応えようとする気持ちが強ければ強いほど、断ることができず、気づけば自分の時間が削られていく。
そして最後に残るのは、達成感よりも「なんでこんなに疲れているのだろう」という疑問だ。
心理学者のエリック・バーンは、人間の心に「ドライバー」と呼ばれる5つの無意識の命令があると指摘している。
その中のひとつが「がんばれ」だ。この言葉は、子どもの頃に親や先生から繰り返し言われてきたものかもしれない。
「がんばらないと褒められない」「がんばらないと愛されない」――そうした刷り込みが大人になっても残り、休むことに罪悪感を覚えるようになる。
だが実際には、「がんばりすぎること」が必ずしも成果につながるわけではない。
むしろ余裕を失った状態では、効率も創造力も落ちてしまう。
職場でずっと残業をしている人が評価されるとは限らないし、家庭でも笑顔を失った母親や妻は、誰よりも大切にされてほしい存在のはずだ。
がんばりの総量より、心に余白を残せるかどうかが大切なのだろう。
思い出してほしい。
小さな子どもが遊んでいるとき、彼らは「がんばろう」なんて考えてはいない。ただ夢中で砂場を掘り、絵を描き、歌を口ずさむ。そこに疲れはなく、むしろエネルギーがあふれている。
大人が「がんばりすぎて疲れる」ときに失ってしまうのは、この「夢中になる感覚」なのかもしれない。
だから、もし今あなたが疲れているなら、自分に小さな許可を与えてみればいい。
「今日は少し手を抜いてもいい」「誰かに甘えてもいい」「休んでもいい」。そうつぶやくだけで、心の重さが少し軽くなる。
人に頼ることや、立ち止まることは弱さではない。
それは、長く走り続けるための戦略なのだ。
「がんばる」ことは美しい。
だが「がんばりすぎる」ことは、自分を消耗させてしまう。
大切なのは、がんばりの総量ではなく、どんな気持ちでそれをしているかだ。笑顔を保てる範囲での努力こそが、周囲を温め、自分をも満たしてくれる。
本当の幸せは、数字では測れない。
どれだけ多くの仕事をこなし、どれだけ人から「ありがとう」と言われても、心が疲弊してしまえば意味はない。
大切なのは「今日もがんばった」よりも、「今日も気持ちよく過ごせた」と思えること。
がんばりすぎて疲れた夜に、その事実を思い出せれば、私たちは少し優しく自分を抱きしめられるかもしれない。
前回の #数字では測れないシリーズ は…
■エンディングテーマ
