親との時間を計算してみる
「実家にはそのうち帰ろうと思っている」
「元気そうだから、しばらくは大丈夫だろう」
──多くの人が、そう考えている。
だが、その「そのうち」は、思ったよりも少ない。
一度、静かに計算してみてほしい。
あなたが年に3回、親と会うとする。
もし親があと10年生きるとしたら──残された対面の機会は、たった30回だ。これは、日数にしてわずか60日〜90日ほどに過ぎない。
現実的には、長時間一緒に過ごすのは1回あたり1日か2日。
つまり、親と会える「合計時間」は、残り300日すらない可能性が高い。
私たちは、「会えること」を無限だと錯覚している。
だが、実際にはカウントダウンはとっくに始まっている。
その事実を受け止めるには、ちょっとした勇気がいるかもしれない。
人が一番後悔するのは「会えるうちに会わなかったこと」だと言われている。看取りの現場で、多くの医師や介護士が共通して語るのはその一点だ。
「もっと話しておけばよかった」
「最後にちゃんと顔を見たのはいつだったろう」
そう思ったときには、すでに遅い。
この種の後悔には「やり直し」がない。
そして、最も悔しいのは、それが『選べたはずの行動だった』という点にある。
「忙しかった」「タイミングが合わなかった」「なんとなく連絡しづらかった」言い訳はたくさんあるが、どれも結局は「先送りした」だけだ。
僕たちは、遠くの未来に期待してしまう。
「定年したらゆっくり帰ろう」
「来年の連休には顔を出すつもりだ」
だが、未来が自分のものだという保証は、どこにもない。
突然病気になるかもしれない。
コロナのようなパンデミックで移動が制限されるかもしれない。
そのたびに、人生の「また今度」が一つずつ失われていくのだ。
そして、静かに気づく。
「最後になるとわかっていたなら、あんな別れ方はしなかった」と。
ここで一度、自分にとっての「あと何回」を具体的に想像してみてほしい。
母親と一緒に食事をするのは、あと10回かもしれない。
父親と話せるのは、あと30時間かもしれない。
ふたりがそろっている姿を見られるのは、あと数えるほどだろう。
この「数値化」は、決して冷酷な発想ではない。
むしろ「今この瞬間を、ちゃんと味わおう」という視点を与えてくれる。
「また会える」と思えば、会話は適当になる。
「あと何回かしかない」と思えば、言葉に重みが宿る。
人生で本当に大事なことは、たいてい有限を意識したときに立ち上がってくるのだ。
とはいえ、「実家に帰ること」や「親と過ごす時間」が、必ずしも幸福とは限らない人もいる。疎遠、確執、距離、さまざまな事情があるだろう。
それでも、関係を閉じる前に、自分が納得するかたちで接点をもつことには意味がある。
大事なのは、頻度ではない。
「どれだけ多く会ったか」ではなく「その一回がどうだったか」。
だからこそ「一度ちゃんと話しておこう」が、人生を救うきっかけになるのかもしれない。
久しぶりに昔の写真を一緒に見てみたり、昔聞けなかった質問をしてみる。自分の近況を、ちゃんと伝えるつもりで話してみる。
そのひとつひとつが、「思い出」ではなく「今を生きている証明」になる。
あと何回、親に会えるか?
その問いに、僕たちは答えを持っていない。だが、その問いを意識するだけで、「今日、連絡してみよう」と思えることがある。
それが、答えの代わりになる。
そしてそれこそが、人生を後悔しないための、もっとも静かな選択なのだ。
「また今度」は、もう来ないかもしれない。
だから、いま動こう。たった一回でも、その再会が、あなたの人生を変えることだってあるのだから。
こんなこと、教科書に書いてなかったんだよな。
前回の #教科書に書いてない シリーズは…
エンディングテーマ『教科書に書いてない』
