「頭が良い」とはどういうことか?
〜教育の本質を問い直すシリーズ・第2回〜
・「頭が良い」とはどういうことか?
「あの人、賢い」
学校であれ、職場であれ、一度は耳にする言葉だと思います。
でも、一旦立ち止まってみて下さい。
その「賢さ」は、突き詰めると何を意味しているのでしょうか。
・知識が豊富なこと?
・頭の回転が速いこと?
・前例のない発想をすること?
どれも、確かに「賢さ」を現わしています。
でも、それが唯一の絶対的な尺度かというと、それも違います。
多くの方にとって「賢さ」は分かっているようで、それを他人に説明できるほどには、分かっていません。
そもそも、学術的にも「賢さ」の定義が定まっていないのですから。
大別して、
・既知のものに対する「賢さ」=「頭の良さ」
・未知のものに対する「賢さ」=「地頭の良さ」
と便宜上、区別してみます。
今回は、「賢さ」の一種であり、比較的取りざたされる「地頭」についての解像度を高めてみようと思います。
・東大理三は本当に天才なのか?
受験勉強でも、英語・数学・国語・理科・社会など、科目がありました。
そして、数学や理科が得意なタイプもいれば、英語や社会が得意なタイプもいました。
受験における「優秀さ」にも、さまざまな種類があった訳です。
同じ様に、「頭が良い」「賢い」にも、様々な系統があるはずです。
そして、それは東大理三に合格した人に対しても当てはまります。
それ即ち。
「東大理三」=「天才」と、妄信することは、危険性をはらんでいるのです。
何か一つの「賢さ」が目立つことで、他の「至らなさ」が隠されている可能性もあり得るのですから。
何よりも。
東大理三OBである私こそが、私自身のことを「天才」と自画自賛することもあれば、「凡人」を通り越して「愚者」と落ち込むこともあります。
「東大理三」に対する「神格化」を相対化して、その実像をあまねく社会に知らしめる必要がある、と考える理由の一つです。
・「地頭」を構成する5つの要素
ありがたいことに、この曖昧な「賢さ」に、一つの“型”を与えてくれる人がいます。
Xアカウント「@apple_ringo」氏という、戦略コンサルタントの方です。
戦略コンサルティングとは、知の総合格闘技ともいえる仕事でしょう。
学歴や知識の量だけでは、到底務まるものではありません。
また、業界の専門知識や、固有の歴史などは、コンサルタントよりも依頼主であるクライアントの方が詳しいことが通常です。
外科手術を例にしてみましょう。
どんなコンサルタントよりも、外科医の方が詳しいのは、感覚的に伝わるはずです。
では、戦略コンサルタントの付加価値はどこにあるのか。
それこそが「地頭の良さ」だと考えています。
この意味合いにおいて、戦略コンサルタントの方々の発言は、思考や教育を語る上で、非常に示唆に富むと考えています。
「学ぶ」の語源は「真似ぶ」と言われています。
ここは素直に、アップル氏が提唱するフレームワークに則ってみましょう。
同氏は、「地頭」を、5つの要因に分類しています。
①「回転の速さ」:どれだけ速く、情報を処理できるか
②「視野の広さ」:どれだけ広く、物事を多面的に捉えれるか
③「思考の深さ」:どれだけ深く、物事を掘り下げれるか
④「視座の高さ」:どれだけ高く、物事を俯瞰できるか
⑤「発想の鋭さ」:どれだけ鋭く、新しい発想が出来るか

・「地頭」を良くするには
同氏は、この地頭を構成する5項目の関連性も述べています。
①「回転の速さ」は、3つに効きます。
→②「視野の広さ」
→③「思考の深さ」
→⑤「発想の鋭さ」
③「思考の深さ」は、1つに効きます。
→⑤「発想の鋭さ」
④「視座の高さ」は、2つに効きます。
→②「視野の広さ」
→⑤「発想の鋭さ」
いかがでしょうか。
こうして「地頭の良さ」を分解してみると、急に地頭に対する解像度が上がった気がしませんか?
そして、この構成要因の幾つかは、今からでも伸ばすことが出来るものである感じがしないでしょうか?
そう。
アップル氏が記載している通り、④「視座の高さ」は最たる例だと思います。
しかも、その能力は、AIで代替が難しいものでもあるのです。
・東大理三の「賢さ」
東大理三であることは「①回転の速さ」を一定程度、担保しているに過ぎません。勿論、数学の難問などから読み解ける様に、多少は「③思考の深さ」も保証されているでしょうが。
本質的には、センター試験満点などに代表されるように「①回転の速さ=処理能力の高さ」が賞賛の源泉なのだろうと思います。
即ち。
東大理三であることは、本当の「賢さ」に至るためのスタート地点に過ぎないのです。
裏を返せば、受験勉強において「①回転の速さ」で劣後した他大学生が、他の要因をもってして「賢さ」をより体現することがある、など、容易に想像がつくものです。
勿論、東大理三生がこのことに自覚的に、意識的に、日常的に、普段の努力、自己研鑽を積み続けたら「怪物」が生まれるのかもしれませんが。
私は、そんな怪物を一人でも多く見てみたいと願うのです。
・東大理三の「危うさ」
今一度、地頭を構成する5要因を、振り返ってみましょう。
先天的なものとは別に、後天的な努力によって磨かれるものがあることに気が付きます。
代表格は、④「視座の高さ」です。
そうであるならば、理三生の卒後キャリアは、どうあるべきなのでしょうか。
例えば、医系技官などの官僚になって、ダボス会議に出席する。
王道のキャリアである、臨床医や研究者になるだけでは、得られないものもあるでしょう。
この様なチャンスを捨ててまでも、従来型の臨床医や研究者になるのは、全く問題ありません。それどころか崇高ですらあるでしょう。
一方で、この記事での問題提起に無頓着、「東大理三を相対化」しない姿勢だと、かなり「微妙だなぁ」と感じるのです。
その機会損失は、個々人にとってのみならず、社会全体にとっても、マイナスだろうと考えるからです。
どこまでいっても、東大理三は通過点に過ぎません。
大事なのは、理三を経て、その人物がどうなったのか。
AI時代の教育を再定義する上で、直視せざるを得ない問題だと感じています。
次回以降も、「東大理三」を題材にして、教育の本質をめぐるコンテンツをお届けしていきます。
フォローやスキボタンを押していただけますと励みになります。
どうぞよろしくお願いします。
銀座アイグラッドクリニック
院長 乾 雅人
