【敬意の書棚】🗂️人生を、特別扱いしない──保健室の『おその』さん
おそのさんとフォローし合うようになったのが、いつだったのか、もう思い出せません。
どちらが先に言葉をかけたのかも覚えていません。気づけば、お互いの記事に時折、言葉を置き合うようになっていました。踏み込みすぎず、離れすぎず。ちょうどいい距離感。
そんなおそのさんが、ご主人の三回忌の命日に、ひとつの記事を書いていました。
地図を見るとわくわくすると話していた横顔、定年後にキャンピングカーで旅をする約束、西国三十三所を二人で巡った日々。
それを読んで、これまで読んできたおそのさんの記事を、もう一度、読み直してみたくなりました。
スキをつけて通り過ぎてきたもの、たまにコメントを残したもの。読み返してみて、印象が大きく変わったわけではありません。
ただ、ひとつだけ、これまで気づいていなかったことに気づきました。
気負わない人
おそのさんは、精神科病棟を含む病院で四十年働いてきた看護師です。看護師になった経緯を綴った記事には、父親の借金と失踪、両親の離婚、頼りにしていた恋人との音信不通のことが書かれていました。
使命感から選んだ職業というより、生活の中でたどり着いた選択肢だったようです。
こういうことを、変に力を込めずに書ける人です。困難を「乗り越えた話」として仕立てるのではなく、そうだったこととして、ただ書く。
最初に読んだ頃はまだ、それが文章の癖なのだと思っていました。
🌹花を、一本ずつ
看護師としての原点を語った記事に、不登校で入院してきた十五歳の少女との日々が綴られていました。
信頼は一気に築けるものではなく、時間をかけて少しずつ寄り添いながら育てていくものだと、その記事はいいます。
「まるで花束を束ねるように、一本一本を大切に扱うように」。
一周年を振り返る記事にも、書き方が「誰かに花束をそっと置くような」ものに変わった、という同じ言葉が出てきました。
きれいな比喩です。ただ、読み返しながら、私が本当に立ち止まったのは、この比喩そのものではありませんでした。
同じ棚に並ぶもの
おそのさんの記事を読み返していて、気づいたことがありました。
ご主人を見送った話。乳がんの手術と放射線治療の話。人工関節の手術の話。ご主人の介護と、施設への入所を選んだときの話。三回忌のときに、少年野球仲間だった青年が線香とスイカを届けてくれた話。
そして、その隣に。FP3級に合格した話。年金通知書を受け取った話。終活の始め方。乳がん検診の受け方。フィッシング詐欺への注意。AIに北欧の空想旅行を手伝ってもらった話。
年齢を重ねた書き手の記事には、一つの型があるように感じます。
大きな出来事を振り返り、「あの経験があったから今の私があります」と意味づける書き方です。もちろん、それは自然なことでもあります。
出来事を語り、そこから教訓を引き出し、「だから皆さんも」と結ぶ。
そういう記事を、私もこれまで何度も読んできました。
おそのさんの記事には、その型がありません。ご主人の死も、乳がんも、「乗り越えた」とは書かれていません。介護保険の記事も、終活の記事も、「私はこう考えるようになりました、皆さんも」という結論に着地しません。
ただ、起きたことと、次にすべきことが、同じ高さで、順番に置かれているだけです。
悲しみだけを神棚に上げない。
生活の棚へ戻してしまう。
それが、おそのさんの暮らしでした。
その景色を見たとき、おそのさんの記事を読むと落ち着く理由が、ようやくわかった気がしました。
教訓を差し出されていないから、こちらも身構えずに読めるのだと思います。
悲しみも、生活の棚へ
私は、おそのさんのことを、悲しみに強い人なのだと思っていました。読み返してみて、少し違うと気づきました。
強いのではなく、悲しみだけを特別扱いしない人なのだと思います。人生を続けるというのは、悲しみを忘れることではありません。悲しみもまた、生活の棚に戻していくことなのかもしれません。
プロフィール直下に固定されている記事も、追悼ではなく、ご主人と見るはずだった北欧への空想旅行でした。
「いくら必要か」ではなく「何をしたいか」という問いに、静かに着地する記事です。この空想旅行の裏側では、乳がんの手術と放射線治療も経験されていたようです。
それでも、悲しみだけを重く扱うことはせず、次にある一篇は、ちゃんと明日に向いていました。
入院中も、いつも通りに
この記事を書いている時点で、おそのさんは人工関節の手術のために入院しています。
準備を綴った記事に、静かな一文がありました。
七年前、左側の同じ手術を受けたときは、毎日ご主人がお見舞いに来てくれた。今回はもういない。それでも、コメント欄を閉じてでも、記事を書くことをやめませんでした。
命日の記事も、つい先日書かれた、noteでの縁に感謝するという記事も、同じように入院中に公開されたものです。
読んでいるこちらは、これも特別なことのように感じます。けれど、入院中であることも、手術の順番を待つことも、おそのさんの記事の中では特別な出来事ではありませんでした。
ああ、これもまた、あの「同じ棚」に並んでいるのだと思いました。
その感謝の記事には、これまでの一年を振り返る言葉も並んでいました。
発信するだけでなく、今度は自分が読者の記事を大切にしたいと、新しいマガジンを始めたこと。
往復のなかに、おそのさんの一年があったのだと思います。
交流の始まりは覚えていないほど自然でした。それでも今では、おそのさんの記事を読むたびに、人生の出来事には、並べ方があるのだと思うようになりました。
悲しみだけを特別扱いしない。
だからこそ、人生は前へ進めるのかもしれません。
どうか、手術が無事に終わりますように。
そしてまた、あの棚に、新しい一篇が静かに並びますように。
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