第3話:燻る(くゆる)微熱の残響(記録No.020)|前編|管理官ニナの記録室|真相の標本箱|水平思考ゲーム
はじめに
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本編
【前編:鏡の表(おもて)】
「……あの火が、目に焼き付いて離れないんです」
管理室「0番の仕切り」。
地上から切り離された純白の空間で、男は力なく項垂れていた。
名前は佐藤。どこにでもいるような、地味で真面目そうなサラリーマンだ。
「……お掛けなさい。あなたが何を『失くした』のか、私が診てあげるわ」
管理官ニナは、冷めた紅茶を前に事務的に告げた。
彼女がわずかに首をかしげるたび、腰の古い鍵束が
「チャリ……」
と、重苦しい静寂を刻む。

「先日、近所で火事があったんです。
……炎の中に女性が取り残されているのが見えて、私は夢中で飛び込みました。
でも、手が届かなかった。……救えなかったんです。
その光景が、あの日からずっと心にこびり付いて、重苦しくて……。
私は、どうすればよかったんでしょうか」
男の震える声。
それは、救助に失敗した者の痛切な「叫び」にしか聞こえなかった。
ニナは感情を排した翡翠色の瞳で男を見つめ、一つの引き出しを開けた。
「……あなたのその『重苦しさ』。
正体が何であるのか、この標本を使って診断しましょう。
ルールは簡単。あなたは私に質問を投げなさい。
私は『はい』『いいえ』、あるいは『関係ありません』の三言だけで答える」

【標本No.020:絶望の英雄】
燃え盛る家から、一人の男が女性を抱きかかえて救い出した。
集まった人々は彼を「ヒーロー」と呼び、割れんばかりの拍手を送った。
しかし、女性は感謝の言葉一つなく、その拍手を振り切るようにして、自ら再び炎の中へと飛び込んでいった。
一体、どういうことだろう?
「……これは、私の体験したこととよく似ている。
……でも、この話の男は女性を救い出せた。
救助に失敗した私とは違います」
「いいから、問いを続けなさい。
あなたの『真実』が、この標本の中に隠れているわ」
ニナの冷徹な宣告に、佐藤は喉を鳴らした。
「……わかりました。
ええと、この標本の女性は、部屋の中に大切な忘れ物をしていたんですか?」
「いいえ」
「……では、中に誰か家族が残っていた?」
「いいえ。部屋にいたのは、彼女一人よ」
「……彼女は、最初から死ぬつもりだった?」
「いいえ」
佐藤は首を傾げた。
あんな恐ろしい火の中に、自ら戻る理由なんてあるはずがない。
「……おかしいですね。
助かったのに、なぜ。
……では、外にいた『男』に関係がありますか?
その男が、彼女にとって怖い人だったとか」
「……はい。非常に重要なポイントね」
「……怖い人。でも、助けてくれたんですよね? ヒーローだったはずなのに」
佐藤がそう口にした瞬間、心臓の奥がドクンと嫌な脈動を打った。
なぜだろう。自分でも気づかないうちに、指先が小さく震えている。
(前編・了)
【後編へ続く】
