第1話:母の祈り(記録No.014)|後編|管理官ニナの記録室|真相の標本箱
はじめに
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本編
「……ちょっと、さっきから『いいえ』ばかり。もっとヒントを出しなさいよ!」
私はテーブルを叩いた。
先ほどまで演じていた「優雅な母親」の残滓は、もうどこにもない。
目の前の少女の「無言」が、私の内側にあるドロドロとした執着を、強制的に引きずり出そうとしている。
「……質問を続けなさい。時間はたっぷりあるわ。あなたが、自分の本性をすべて吐き出すまでの時間はね」
ニナは表情一つ変えず、冷めた紅茶を一口含む。その喉の動きさえ、臨床的で恐ろしい。

「……じゃあ、何か『外からの脅威』があったの? 息子が外に出ると、何か悪いことが起きる状況だった?」
「はい」
「悪い友達……、そうよ、悪い友達に唆されて、あの子が私から離れていくような……」
「いいえ」
「……じゃあ何よ。もっと抗えないもの? 国家とか、法律とか、そういう……」
「はい」
「国家? 国家が息子を連れ去ろうとしていたの?」
「はい」
「……それで、歩けなければ連れて行かれずに済む。……あ、時代。時代は関係ある?」
「はい」
「戦時中……?」
「はい」
戦時中。その単語が脳内に落ちた瞬間、バラバラだったピースが噛み合った。
「……戦場。あの子が、戦地へ送られるのが怖かったの?」
「はい」
「歩けない身体なら、兵隊にはなれない……。まさか、母親は……自ら、あの子の足を?」
「……答えを、どうぞ」
【真相の標本】
「【正解】は……戦地へ送られる息子を救うため、母親が自ら息子の足を叩き潰したから……」
自分の口から出た答えに、私は吐き気がした。
「徴兵令が届いたあの日、この標本の母親は決意したのよ。死なせるくらいなら、一生歩けない身体にしてでも手元に残すと。彼女は眠っている息子の足を自ら粉砕し、彼を『兵役不適格』にした。医師の『一生歩けない』という診断は、彼女にとって、息子の生存が確定したという『救いの福音』だったのよ」
ニナの声は、どこまでも平坦だった。
私は、持っていたバッグを床に落とした。
「狂ってる……。そんなの、愛じゃないわ……!」
けれど、ニナはゆっくりと私に近づき、白手袋をはめた指先で私の顎をすくい上げた。
逃げられない強さで、彼女のガラス玉のような瞳が、私の心を見透かす。
「……あら、そうかしら?」
ニナが、私の耳元で氷のように冷たく囁いた。
「この標本の母親は、息子を『死』から守るために、彼の『足』を砕いた。……けれど、あなたは?」
「な、何を……」
「あなたは、自分の『世間体』と『プライド』を守るために、あの子の『心』を粉々に砕いている。友達を遠ざけ、意志を奪い、あの子の魂を歩けないほどに縛り付けているのは……」
「……目の前の母親と、あなた。どちらがより残酷な『毒』かしらね?」
「あ、ああ、ああああああ……っ!」
私は悲鳴を上げ、自分の靴音に追いかけられるようにして部屋を飛び出した。
【エピローグ:管理官ニナの記録】
相談者が去った後の部屋に、また元の静寂が戻る。
床には、彼女が忘れていった虚飾の象徴――高級なバッグが一つ。
私はそれを拾い上げ、中身も確認せずに近くのゴミ箱へ落とした。
今の彼女にはもう、これを持つ資格なんてない。
「……編集長。今日の標本も、なかなか綺麗な『ひび割れ』を見せてくれたわね」
私は独りごちながら、飲み残した冷めた紅茶を一口含んだ。
愛という言葉を盾にする人間ほど、自分の内側に潜む毒の味には無頓着だ。
チャリ……。
私は引き出しを閉め、鍵をかけた。
記録No.014。砕かれた骨と、それ以上に修復不可能な「心」の記録。
「さて……次は、どんな不幸が、この扉を叩くかしら」

