アバツ・インペトゥス
――納得など、しているわけがない。そして、してはならない。
厳めしくも、哀しみを孕んだ声がした。
――我らが今しているのは、軍事目的のために民間人の虐殺を看過する外道の所業だ。割り切ってはならない。割り切れば、我らはカイン人と同じ存在に堕する。
頭の上に、手を置かれる感触。
――割り切らず、胸に溜め、苦しむのだ。その苦しみだけが、我らを人にとどめるよすがだ。苦しんだところで、今まさに殺されている牙持たぬ人々にしてみれば何の慰めにもならぬが、それでも苦しまねばならない。
自分は呻いて、下を向いた。
――それに耐えきれぬのなら、母さんのところへ戻れ。
思わずカッとなって、顔を上げた。セツの大義に身命を捧げた軍人は、母親に泣きついたりなどしない。
頭に置かれた手を振り払い、何かを言い返す。
だが――思い返してみれば――
当時は怒りと羞恥で頭がいっぱいで、気づかなかったが――
……何かが、おかしくなかっただろうか。
ちちうえの、表情。
顔を上げた瞬間、目に入ってきたのは、どんな顔だったか。
何か、とても、痛みに耐えるような面持ちではなかったか。カイン人の非道を看過せねばならないことへの痛みよりも、ずっと遥かに深刻な、苦しみ。
あたかも身を切られるような痛みに襲われながら、それでも何かを演じつづけているような。
あのときちちうえは、何かを隠していたのではなかったか。
――何を……?
それが何なのか、考えようとするとき、決まって猛烈な危機感が沸き起こってきて、いつも思考は中断してしまう。
自分はもう立ち上がれないのだ。
軍人として生きる道。その前提を否定されてしまったから。
もはや前に進むことはできないから。
このまま、自閉の殻の中で死ぬ以外にどうしようもないのだ。
瞬間。
ぞり、と。
耳元で音がした。
ぞり、ぞ、ぞ、ぞぞ。
カリ……くち……ぞぞぞ。
耳、ではない。耳の中だ。
「っ!」
耳孔の中を、何かが蠢いている。反射、というより遺伝子の空白領域に刻まれた戦士としての行動規範が、これを異常事態と判断。ほとんど不随意に、腕が跳ね上がって異音の発生源に触れようとする。
しっとりと柔らかい感触があった。
ふにふにと触ると、それが誰かの手であることがわかった。連動して、耳の中の異音もがさがさと変化する。少し痛いような、痒いような、痺れるような感覚が耳の中で身じろぎした。
手はそっと身を引き、代わりに湿った吐息が近づいてきた。
――こーら。きゅうに動いたらあぶないでしょ。
それで目が開いた。はらりと涙が零れた。
視界には横向きの樹林が映っていて、耳元には柔らかな感触があった。寝返りを打って上を向くと、シャーリィの顔があった。
半神的な美貌が、へにゃり、と笑う。巨きな碧眼が輝いて、その間に伸びた前髪のバッテンがかすかに揺れた。
薄い唇が、おはよう、と囁いた。
「ぅ……ぅう……」
胸が潰れるような心地だった。あなたは自分に笑顔なんか向けちゃダメなんだ、と思った。
途端、奇妙に冷えた気持ちになった。もう涙は出てこなかった。
「帰して……ください……」
やっと、それだけを言った。
シャーリィは、小首を傾げた。
「小官を……もとの世界に……帰してください……」
彼女はむっとした様子で、首を振った。
「おねがい……帰して……」
シャーリィの上半身が、顔に覆いかぶさってきた。
耳元に唇が寄ってきて、どうしてそう思うの? と聞いてきた。
「あなたのしあわせを食いつぶしながら生きていることに、耐えられない……」
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