ファンタジー小説【黎明のキアロスクーロ】ep.14「第二章 霹靂」
自由への翼①
二週間が経った。
歴史的スピードでの会談の決裂後、すみやかに調停評議会が置かれたが、二国間の取りなしは難航しているようだった。
キアロは「調停がどうなるかなんて教皇はどうでもいいのでは。だって、どうせ皇帝を暗殺するつもりなんだろうし」と思っていたが、スクーロによるとそうでもないという。
「歴史的に暗殺が成功した例なんて、ほんのちょっとだぜ。
それに、皇帝暗殺の混乱に乗じて皇子の摂政になるにも、反対勢力を押さえつけるのに武力行使は避けられねーだろ。帝国の軍隊は教国なんかより、ずっと充実してるはずだし」
ということで、どうやら教皇は調停者たちを懐柔して、自分に有利な条件を帝国に飲ませようとしているらしかった。
どこまでも厚かましいな~、というのがキアロの素直な感想だ。
そんなある日の昼下がり、キアロたちが特訓をしているところに、教皇とミケーレが慌ただしくやってきた。
教皇の顔は赤く茹だっており、白いキャソックとの対比が滑稽なほどだ。
「スクーロ、この卑しいガキめ! 虫唾が走るようなツノを生やしながら、いつまでだらだらと遊んでいるつもりだ!
貴様の発信の力さえ開花すれば、愚劣なる帝国の者どもも教国の偉大さをわかろうというもの。だというのに……!」
金の権杖が、スクーロの足もとを目いっぱい殴りつけた。当たったわけではないが、鈍い音は脅威を感じさせるに充分だ。
さすがにうろたえているスクーロを前に、ミケーレも「聖下!」と声を上げる。
キアロがスクーロをかばって歩み出た。
「あの……っ、教皇様! スクーロはよくやっています。発信の周波数、綺麗に揃ってきてるんですよ。たらいに水を汲んで来ますから、教皇様もそれを見ればきっと成長をわか」
骨を砕くように荒々しく、重い音が響いた。
キアロの目の前で、緑のキャソックがうずくまる。
教皇がキアロに杖を振り下ろしたところに、ミケーレが割って入ったのだった。
あまりのことに頭が白くなったが、呻き声が聞こえてはっとする。
「ミケーレさ……、け、怪我」
「キアロくん、聖下の御前だ。黙りなさい」
凍りついた四肢が重たい。
キアロが口の端さえ動かせずに突っ立っていると、銀の星を留めた夜空のような紺がひらめくのが見えた。
「教皇聖下」
しかつめらしくそう呼びかけたのは、スクーロだった。ミケーレの隣に並び立って続ける。
「わたくしの未熟さは、わたくしの責任です。発信の力は必ず解放してみせる。
だから、覚えておけ! 俺のにいにと友達を傷つけるなら、容赦しない!」
急に辺りが白くなったかと思うと、ドオンという轟音に連れられて視界に色が戻った。
雷鳴が続き、その大きさに近くに落ちたことが知れる。
窓の外では、紫の空に無数の稲光が走っていた。場は明らかに異様な雰囲気に圧され、教皇が唸り声を飲み下す。
「そこまで大見得を切ったからには、失敗は許されんからな! 行くぞ、ミケーレ! すぐに枢機卿団に招集をかけよ、調停対策の会議を行なう」
まるで逃げるように去る教皇の後ろで、ミケーレが心配そうに振り返った。
キアロもスクーロも、頷いて彼を労る。
彼らの姿が見えなくなると、さて、とキアロは思った。
最初の雷が鳴る直前、確かにツノに痛いほどの痺れを感じた。天気が変わったのは偶然ではないのだ。
「え、俺の力で、さっきの雷が……?」
スクーロに発信の力を使った自覚はあるかと聞いてみると、案の定といった反応だった。
「だって、ここんとこずっと気持ちのいい秋晴れで、今日だってあんなひどい雷が鳴るような予兆は何もなかったよ。僕のツノも反応しなかった、君が教皇に啖呵を切るまではね」
スクーロは信じられないといった様子で、さっきから部屋を右往左往している。
無理もない、物心ついたときから十年近くも特訓をしてきて、初めてのことなのだ。
「僕のツノは二回震えた。一度目は君の発信の力が放たれたとき、そして二度目はそのすぐあと、天が願いに応えて落雷を起こすときだ。スクーロは何か感じなかった?」
「いや、俺も興奮してたし、覚えてないって! でも、特訓中みたいに集中してたわけでもないのに……なんであのとき?」
「そりゃあ、発信の力の源が君の心だからさ! それ以外にある!?」
ぽかんと口を開けるスクーロに、やれやれと肩をすくめる。
負けん気の強いスクーロに偉そうに振る舞える機会なんて、そうそうないだろうから堪能しておきたい。
「愛するミケーレさんを守りたい、そして大親友の僕のことも守りたい。その強い想いが正義の怒りになって、雷を呼んだんだろ。きっと、誘拐騒動のときにカラスが押し寄せたのも……」
「待てよ、誰が大親友だ」
スクーロの手刀が空を切り、キアロはチョップをくらった体で「あー」と声を上げた。
でもよ、とスクーロが顎に手を添える。
「よく思い返してみたら、あのときこう、ツノがすっとした気がしたかも。なんだか……」
「ツノを覆っていたベールを突き破った、みたいな?」
「そう、そうなんだよ! パンツを穿き忘れたみたいな、ちょっと心もとない感じ」
「世界で唯一の、発信の力の例えがそれでいいの……? まあでも、確かにあのとき、スクーロのツノから急に力が『突き抜ける』感じがしたんだよね。いつものくぐもった感じじゃなく、一直線に」
今キアロの脳裏には、地下書庫の隠し部屋を教えてくれた、あの白い靄が浮かんでいる。
髪を結った女性にも見えたうっすらとした光は、確かにスクーロのツノから現れた。
「普段は『何か』が俺のツノにまとわりついて、邪魔してるっつーんだな。じじいにああまで言ったんだ、絶対に力を開花させてみせる。
だからって、言われるがまま戦争の道具になる気はねーぞ。力を使うかどうかは俺の意思で、俺が決める!」
スクーロが空を打つように拳を繰り出す。
キアロはそれを見つめながら、なんてかっこいい友達ができたのだろうと胸がすいた。
誘拐未遂事件以降、不穏なことが続いているうえ、今日だって愛する人を打たれるショックを味わったばかりなのにこんなにも凛としている。
「俺は力を手に入れたい。この力さえ開花すれば、にいにを守れるんだよ。もう、にいにをあんな目に遭わせたくないよ」
噛みしめられた唇から、スクーロの思いが伝わってくる気がした。
今日だけじゃない、未来永劫ミケーレを守りたいのだ。
できることなら、いつまでも追いかけてくるだろう過去の苦しみからさえも。
「ねえ、僕に名案があるんだ! 皆が寝静まったら迎えに行くから、外套を着て待ってて」
スクーロはあれこれ聞くこともなく、おうよ、と返事をした。
青い暗闇に星が瞬く頃、ふたりは古代神殿の屋上に立っていた。吹きつける夜風は冷たく、辺りは静まり返っている。
で? という顔のスクーロに、キアロはこほんと咳払いをした。
「スクーロさ、今日かっこよかった」
「はあ? そんなのいつもじゃねーか」
ミケーレさんの子育てってすごいよな~愛がブレなかったんだな~、という雑念を振り払い、続ける。
「えっと、日中に雷を起こせたのは、スクーロの心の力のおかげだと思うんだよね。
これまでは、教皇に命令されてやりたくない特訓をやってきたんだもん、天気が変わるわけなかったんだよ。つまり、義務とか命令とかじゃなく、本心から思っていることじゃないと」
「それは否定できねー。けど、能力を開花させたいのは本心だぜ?」
「だから影響しているのは、もっと目先の目的へのやる気だよ。能力を開花させたいのは本当でも、心から天気を変えたいのか? そんなに雨を降らせたい? って話」
スクーロが、ああ、と納得の声を上げる。
「今は、スクーロのツノを覆っているものの正体はわからない。どうしたらいいのかもわからない。でも、すっごく強い思いなら覆いを突き抜けられるかも、って仮説が生まれた。それをさ、ちゃんと確かめないと」
「よし、検証ってやつだな。次やってみたら、また新しくわかることもあるかもしれねーし。で、具体的には?」
キアロはにっと唇を引いた。
「わからない? ヒッポグリフのぴーちゃんを呼ぶんだよ!」
スクーロは目をひん剥いたが、キアロには実はずっと考えていたことがあった。
あんなに手ひどく追い払われておきながら、ぴーちゃんが何度もここへ舞い戻ってきた理由。
もちろん、人に育てられたせいで群れに馴染めず、スクーロを慕うしかないからということも考えられるが、本当にそれだけだろうか。
「スクーロ、君はきっと無意識に、会いたいって思いを送っていたんじゃないかな。その周波数に反応して、ぴーちゃんはやってきてたんじゃない?」
「俺が、ぴーちゃんを呼んでいた?」とつぶやくと、スクーロはうつむいてしまった。
「だとしたら、混乱するのも無理ないよな。呼ばれたと思ってお土産まで持って駆けつけたのに、それを投げつけられて、追い払われる……ずっとひでーことしてたんだ、俺」
キアロはスクーロの両頬に手を当て、ぐいっと前を向かせた。
「スクーロの気持ちは、ちゃんと伝わってるよ。発信の力のおかげだけじゃない。雛のときに大事に世話して、優しく背中を撫でてあげたろ。ミケーレさんがしてくれるみたいに、愛して育てただろ。
ぴーちゃんが来るのは、それをちゃんとわかっていて、今もスクーロを好きだからだ。相手は気位の高い神獣だよ? 嫌だったら、呼ばれても来ないって」
「でも、なんて謝ったら」
「それを伝えるのが発信の力だ。世界で唯一の、君だけの力だよ」
キアロの言葉は、スクーロにまっすぐ届いたようだった。空の星を映した瞳が輝く。
彼は、すう、と大きく息を吸った。
「俺は、本当はずっと、ぴーちゃんに会いたかった! 会いに来てくれてうれしかったのに、いつもごめんな。謝らせて、抱きしめさせてくれよ、ぴーちゃん!」
スクーロに応えるように、深い夜の染み込んだ森がざわめく。
来た、とキアロは思った。
今、ふたりが見つめているのは、喜び勇んで羽ばたいてくる神獣の姿だ。表情がない鷲の顔ながら、喜色満面といってもいい笑みが浮かんでいるのがわかる。
森の香りの風が巻き起こり、鉤爪の前足が石床を踏んだところで、スクーロが両手を広げた。
「ぴーちゃん、おかえり! 来てくれてありがとう、ほんとにありがとうな」
スクーロがぎゅっと脇腹の辺りに抱きつくと、ぴーちゃんはぐるるる、と甘え鳴きを響かせた。
こんなに大きくても子どもなのだ。
スクーロはふかふかの羽毛に頬ずりし、涙を拭いながら言う。
「伝わったんだ、来てって気持ちと、大好きって気持ちが。ごめんねも伝わってるかな」
猫が喉を鳴らすときのような音を聞きながら、キアロは閉じていた目をぱっと開けた。
「大丈夫! 伝わってる……かどうかはわからないけど、うれしいって気持ちでいっぱいだ。あと、なんだろう。人で言う『踊りたい』みたいな感じもする」
踊りたい? とスクーロが聞き返すと、ぴーちゃんがご機嫌に翼を広げた。
受信の力なんて持っていないはずのスクーロが、「え、いいの!」と飛び跳ねる。
「何? どういうこと?」
「だーかーらー、飛ぼうぜってこと! 人の『踊る』は、ヒッポグリフの『飛ぶ』なんだよ! 知らねーけど」
気づけば勢いに押されて、キアロはぴーちゃんの背にまたがり、前に乗るスクーロにしがみついていた。
鞍も手綱もないというのに、なぜこんなにもスクーロは安心しきっていられるのだろう。
「俺はこの一年、ずーっとぴーちゃんに乗って空を飛ぶイメトレしてたんだ。俺の豊かな想像力を振るうときが来たぜ! 行くぞ、ぴーちゃん!」
「そんな、想像力なんかで飛、あーーーーー!」
尖った風を受け、思いっきり目をつぶったが、ふわりと気流が変わったのを感じる。
豪快に笑っていたスクーロが「キアロ!」と叫んだ。
「もう大丈夫だぜ、目ぇ開けろよ!」
キアロは両腿でしっかりとぴーちゃんの胴を挟みなおし、恐る恐る目を開けた。
満月の煌々とした光に、空と黒い森の境がくっきりと浮かび上がっている。
針の先のように光る星々の下、森が生き物みたいに蠢くのを見つめていると、不思議と心が安らいだ。
ぴーちゃんが翼を翻すと、今度はさっきまでふたりがいた古代神殿、そしてその先にそびえる宮殿が目に入る。
キアロはスクーロのお腹の辺りを後ろから抱きしめたまま、その体温と焼きたてのお菓子みたいな匂いに息をついた。
「ほんとだ。ぴーちゃん快適だよ、ありがとう!」
ぴーちゃんがぎゃっと短く鳴き、宮殿へ向けてスピードを上げていく。
それから、まだ起きている城の者をからかうように、窓辺をすいっと横切っていった。
「わ~! さすがにこれは怖い怖い怖い」
「ぴーちゃん、見つかっちゃうよ~」
とふたりが喚くのを、この若い神獣は明らかに面白がっていた。
ふと、窓に見覚えのある人影が覗いた。
「にいにだ」
見えたのは一瞬だったが、書類らしきものを小脇に抱えていた気がする。帝国との調停が暗礁に乗り上げている今、多忙を極めているのだろう。
「なあ、キアロ。俺、力を使うときのコツがわかった気がする。今まではツノに集中してたけど、胸の奥のほうに思いを集める感じだ」
「よかった、コツをつかめたんなら前進だね。ところでさ、僕らがやってきた日と、僕がスクーロを褒め殺した日にも、ぴーちゃんやってきてたよね?」
褒め殺し、と呆れたようにつぶやくと、スクーロは苦い顔をした。
「僕らが来た日に、『また新たな受信の能力者が来るのか~やだな~ぴーちゃんに乗ってどっか行っちゃいたいな~』って思うのはわかるんだけど。あとのやつはなんで?」
「……お前の事情を考えずに、馬鹿とかひでーこと言っちゃったからだよ。ぬくぬくお勉強と特訓してりゃいいだけだった俺とは、全然違うのにさ。いたたまれなくて、消えたくなった。だからじゃねーの」
そんなにもスクーロが気にしていたなんて、思いもしなかった。
言い過ぎや、知らずにきてしまって想像できない事柄なんて、誰にでも山ほどあるだろうに。
「僕さ~、スクーロのそういうとこ好きだな。傷つくべきときにちゃんと傷つけるのって、いいよね」
「ああ!? 傷ついたのはお前だろうが。……ごめんな」
しゅんとするスクーロに「もういいって」と笑いながら、キアロはぴーちゃんの気持ちがわかる気がした。
ぴーちゃんの傷は、きっとスクーロがくれた愛情ですっかり塞がっている。それでも謝りたいという気持ちは、スクーロのぴかぴかした心の賜物だ。
さっきは、ぴーちゃんに謝罪の気持ちを伝えるために発信の力を使えばいいと言ったけど、本当はいい関係でいるために特別な力なんていらないのだろう。
