ファンタジー小説【黎明のキアロスクーロ】ep.15「第二章 霹靂」
自由への翼②
ぴーちゃんが、ふいに城下町へと旋回した。キアロは拳を振り上げたが、今度はスクーロが縮み上がっている。
「ぴーちゃん、それはやめとかない? 俺、街に出たことないんだよ! たったの一度も!」
「いいじゃない、今日が新たな世界に踏み出す最初の日だよ! ぴーちゃん、スクーロを連れ出してあげてよ!」
今度はスクーロが不様に声を上げる番だった。
やがてキアロにつつかれて、彼もおっかなびっくり城下町を見下ろすと、ため息混じりにわあ、と漏らした。
みっしりと集まった家々の間を、葉脈のように道が走っている。
明かりが灯っているのは夜間営業が許されている酒場くらいのもので、歓楽街らしい一角を覗いてはしんと暗い。
賑わう昼の街を知っているキアロには、夜の顔はちょっと不気味だ。
「スクーロ、どう?」
「どうって……広くて、綺麗で、寂しい。知らない街だからそう思うのかな」
生まれてこの方、ずっと側にあった景色を「知らない街」と言うほかない心境を思うと、キアロもじんわりと寂しかった。
このあともぴーちゃんは思いきり飛び回ると、「よく遊んだ!」と言わんばかりにゆったりと森へ帰っていった。
確かロッシ卿は「ときどきはぐれた個体が、ロムレアに迷い込んでくることがある」と言っていた。
賢いぴーちゃんは、日中は森か山の向こうで過ごし、人目を避けているのだろう。スクーロが呼んだときにだけ、危険を承知で古代神殿へとやってきていたのだ。
この日、キアロはスクーロを三兄弟の寝室に招いた。
寝入っている双子を起こさないよう忍び足で歩き、キアロのベッドにふたりで滑り込む。
皆に秘密でいつもと違うことをするのは、なんて楽しいのだろう。喋っちゃだめだよ、と言いながらも、お互いにひそひそ話が止まらない。
天井を見つめ、スクーロがしおらしくつぶやいた。
「世界って、ロムレア何個分なのかな。うまく言えねーんだけど、そういうの考えると胸がぎゅってなる。だだっぴろくて真っ暗な空で、一つだけぽつんと光ってる星みたいな気持ち。
俺さ、ずっと自由になりたいって思ってたのに、本当に自由になるのはちょっと怖いんだ。発信の力が開花したら変わるかな。強くなれんのかな」
ゆっくりと紡がれる言葉を聞きながら、キアロはスクーロの変わってほしくないところを考える。
強がりなところ、甘えん坊なところ、自分のしたことに真正面から傷つけるところ。
強くならなくても、必要ならキアロが守り励ましてあげるし、今の彼のまま未知の世界にわくわくできるならそれが一番素敵かもしれない。
「ま、発信の力を自在に使えるようになったら、にいにのついでに、お前のことも俺が守ってやっから! 大船に乗ったつもりでいろよ」
ええっ、君が僕を守るの? と驚いているうちに、すやすやと心地よさそうな寝息が聞こえてくる。
キアロはスクーロの肩まで毛布を引っ張り上げてやると、おやすみ、と微笑んだ。
翌日も朝から特訓を始めたが、昨日の夜間飛行が夢だったかのように、まるではかどらなかった。
スクーロは「胸に集めた力を放つ」ようにしたというが、ツノが何かに覆われているような様子は変わらない。
キアロが受信できるのは、そこから漏れた微弱な周波数だけだ。
「だめだね。そんなに強くない願いを発信するには、やっぱり覆いを取らなくちゃ」
スクーロが「思うんだけどよ」と腕組みをする。
「オウガの女神様なら、この封印を解いてくれるんじゃねーの?」
キアロは地下書庫で見た、白い靄のことを再び思い浮かべた。
今はさんさんと陽が射す午前中だし、ここまで来たらスクーロに言ってもいいだろう。
ということで怖がらせないよう慎重に、スクーロのツノから靄の女性が出てきたことを伝えたのだが、彼は貧血っぽくなってソファに横たわってしまった。
「背中さすって」と涙声で乞われ、仕方なく応じてやる。
「そんなに怖がることないだろ~、今までずっとその人はスクーロのツノにいたんだろうし、今もいるんだよ」
「あーーー! キアロの馬鹿! なんで二度も言うんだよ!」
「あっ、馬鹿って言った!」
「今のはほんとに馬鹿だろうが!」
いや待って、とキアロがかぶりを振る。
「こんなことやってる場合じゃないんだよ。問題はスクーロのツノを封印しているのは誰かってこと。
もしかして、白い靄が女神様なのかな? って僕は思ったんだ。だって、あったかくて嫌な感じはしなかったんだよ」
「なるほど、女神様が俺のツノの中にいるってんなら、悪くねーな。でも、女神様自身はオウガの島にいるはずだろ? だったら、魔術で遠隔操作みたいなことしてんのかも」
スクーロの力を制限しているのが本当にオウガの女神だとしたら、何か正当な理由があるはずだ。
でもそれ自体、本人に聞きに行かないことにはわからない。スクーロが見せてくれた地図では、オウガ島は西の海にあった。
「行きたいね、オウガの島に」
「でも、その島を巡って、帝国とごたごたしてるわけだかんな。とりあえず、もっかい地下書庫に潜って島について調べてみるか」
「ううん、もう自分たちで調べるような時間はないよ。ミケーレさんに直談判だ!」
面食らった様子のスクーロが無謀だと止めにかかるが、キアロに聞く気はない。
「切り札が、オウガ島にあるかもしれないんだ。確かにややこしい時期かもしれないけど、だからこそ教皇はスクーロの能力開発を急がせてるんだろ?
そこを突けばなんとかなるんじゃないかなって。説得役は僕に任せて。大人相手に話すの、結構得意なんだ」
キアロが明るく胸を叩くと、スクーロはしぶしぶ首を縦に振った。
深夜近く、宮殿から帰ってきたミケーレは青くくすんだ顔をしており、ひどく疲れて見えた。
もとが健康的な魅力の持ち主であるため、この短期間でのやつれ具合はいっそう痛々しい。
彼が自室のソファに沈む様は、熟れた花が己の身を持て余してしなだれる姿のようだった。
どことなく妖艶な雰囲気に、キアロはさっと目を伏せる。
「お茶を淹れて来てくれるなんてね、ありがとうキアロくん。宿題、見てあげられなくてごめんよ」
ふたりの間にあるテーブルから、リンゴのような香りのカモミールティーの湯気が立ち上っている。
「スクーロが見てくれていますから。あの、そんなことより。昨日は本当にすみませんでした。僕を庇ったせいで、ミケーレさん肩を……」
「君に何ごともなくてよかったよ。それにたいした怪我じゃないから。むしろ私はね、昨日、キアロくんにより深く感謝したんだ。
君のおかげで、スクーロがどんどんたくましくなっていく。まさか、聖下に口答えするようになるなんてね」
柔らかな笑顔には、隠しようのない寂しさが浮かんでいた。
胸がきゅっとするが、なんと言葉をかけていいものかキアロにはわからない。
「スクーロだけじゃない、私も君に出会えて幸せだ。感謝のハグをさせてくれる?」
顔が赤くならないよう気をつけ、ミケーレの隣に座って抱きしめてもらう。
テオおじさんにはよく頭を撫でてもらったけど、こんなに芯から甘やかしてもらえたことなんて、誰からもなかった気がする。
熱くなっていく耳を見られたくないなと思いながら、今だ、と心を決めた。
「僕に何かあったら、ジジとトトのことは頼みます。トトは人間たちに混じって生きていけるだろうけど、ツノのあるジジはそうはいかない。すごく心配です。血がつながっていなくたって、家族ですから」
ミケーレは腕を離すどころかますます力を込めて、「急にどうしたの」とキアロの耳もとに唇を寄せた。
キアロはぐっとミケーレの胸を押して、その緑の瞳を見つめる。なんだか雨に濡れた森に迷い込んだような心地だった。
「過去、スクーロの特訓相手として呼ばれた受信の能力者たちは、どうなりましたか」
森の翳りが濃くなった。しっとりとした苔色が、栗色のまつ毛のひさしに隠される。
「ミケーレさんが教国と帝国を巡る状況を教えてくれてから、考えられることがぐんと増えました。ひっそりと隠し育てられているスクーロの存在は、国の極秘事項でしょう。
そんなこと知る由もない、辺境から連れてこられたオウガであったとしても、スクーロとの顔合わせのあと普通に帰されるとは思えない」
「賢い子だ」
いっとき和らいで見えた疲れが、ミケーレの青い顔に艶めかしく戻ってきていた。
「だから、お願いです。僕がうまく役目を果たせなくても、ジジとトトだけは守ってあげてください。無事に生き延びられるように」
「君たち兄弟の安全は約束する。安心してほしい。それくらいの力なら、今の私には充分にある。
まだ君がやってきたばかりの頃、夜のバルコニーでお喋りしたことがあったね。そのときにした、私の昔話を覚えているかい?」
キアロは頷いた。
教皇庁の偉い人であるミケーレが、平民の子だと知って驚いたものだ。そして、故郷が焼き払われたという悲しい話にも。
「私が士官学校から神学校へと転校したのは、何も神に助けを求めたからじゃない。理不尽な世を変えるために、権力が欲しかったからだ。
オス・サクラム教国は、高位聖職者の下に武官が置かれている国だからね。適性のない騎士よりも、聖職者となるほうが近道だった」
ミケーレは自嘲するかのように小さく笑った。
「君に失望されたとしても私が言いたかったのは、大切な人を守るには力がいるってことさ。
誰も不当に力を奪われない世界と、弱い者が弱いまま生きていける世界。それらが両立する世であってほしい。そのためには、正しい心を持つ誰かが国を導いていかねば」
「ミケーレさんは、そんな人になろうとしているんですか?」
遠くを見つめていたミケーレが、おもむろにキアロに向き直った。
「残念ながら、私は正しい人間じゃない。でも、そういう世のための礎となれたら本望だね」
オウガ村にいた頃は、理想の世だとか作るべき世界だとかなんて、考えたこともなかった。
でも、それはキアロが学ぶべき時間を、生活の余裕を、つまり力を奪われていたからなのだ。
ミケーレに感化されたのか、胸底から勇気が湧いてくる。
ふたりはどちらからともなくカモミールティーを手に取り、静かな夜を味わうように口をつけた。
