鬼畜の所業でキャンプ場をつくった話
いよいよ、夏休みだ。Camp D-1にも多くの子どもたちが来る。そこで今回は、Camp D-1の成り立ちについて書いてみたい。
◆ はじめに
普通、人に働いてもらうなら、こちらが賃金を払う。ボランティア活動であれば、無償で協力してもらうことはあっても、働いてくれる参加者から金まで取ることは、まずない。
ところが、私は、まさにそれをやった。
それだけではない。
弁当は持参させ、作業に必要な道具まで自分で持ってこさせたうえで、山を開拓させた。
我ながら、これは鬼畜の所業である。
スターリンや毛沢東でも、呆れかえるかもしれない。
◆ 参加費は一人五百円
私が運営する教育・トレーニング用アウトドア拠点「Camp D-1」は、山二つ分ほどもある広大な土地を利用している。しかし、そこは最初からキャンプができるように整えられた場所ではなかった。
木を切り、草を刈り、道を開き、平らな場所を作る。さらに、水源となる湧き水を探し、そこから水を引き、さまざまな活動場所を整える。そうした作業は、一人や二人でできる規模ではない。もちろん、弟子たちもいるが、それでも手が足りない。そこで、開拓に参加してくれるメンバーを募った。
家族での参加も歓迎。子ども連れでも構わない。ただし、参加は強制ではない。都合のつく時だけ来ればよい。
そして、参加費は一人五百円。お茶やおやつ、保険料込みである。
協力者を募集しておきながら、こちらが日当を払うどころか、逆に金を取る。しかも、弁当も自分で持ってこなければならない。
作業に必要な最低限の道具や装備も、基本的には各自で持参してもらった。
鋸、鉈、軍手。
必要に応じて、スコップ、草刈り機、チェーンソーなども持ってきてもらった。草刈り機やチェーンソーは、扱いに慣れた者が持参し、使用した。
金を払い、飯を持参し、自分の道具を使って、きつい山仕事をする。
改めて文章にすると、ますます酷い。
◆ 作業ノルマはない
ただし、作業ノルマは一切設けなかった。
疲れたら、勝手に休めばよい。作業をしたくなければ、遊んでいてもよい。作業したい人だけが作業をする。それでいい。
子どもたちは、少し手伝ったかと思えば、途中で川へ遊びに行く。藤蔓を見つければ、それにつかまってターザンごっこを始める。飽きるまで遊び、気が向けば、また大人たちのところへ戻って作業を手伝う。
大人も同じだった。
草を刈り、切った木や枝を運び、道を作る。疲れたり、飽きたりしたら休み、飯を食い、お茶を飲み、仲間と話す。
無理に働かせたり、作業を割り振って「あれをやれ、これをやれ」と命じたりする者はいない。もちろん、危険な作業では必要な安全確認や声掛けを行うが、それ以外は各自の判断に任せる。それが最初からの決め事だった。
早く完成させるために、人を効率よく動かそうとも考えなかった。
山を開拓することと、山で遊ぶことを分けなかったのである。

◆ 作業が終われば、夜は皆で遊ぶ
作業が終わると、その日のうちに帰宅する人もいれば、そのままCamp D-1に泊まる人もいた。
泊まるかどうかも、もちろん自由である。
そして、皆がさまざまな差し入れを持ってきてくれた。
肉や野菜、缶詰、ジュース、魚、寿司、お酒、お菓子など、本当に何でもあった。
これは、こちらから持ってくるよう頼んだものではない。
皆が自発的に、
「これを持っていけば、皆で食べられる」
「これ、地元の特産品でおいしいんだ。皆に食べてほしい」
「この酒は抜群だ。やっと入手できたから、皆で飲みたい」
「昨日釣ってきた石鯛だぜ。皆、刺身で食おう!」
そのように考えて、持ち寄ってくれたものだ。
夜になると、持ち寄った肉や野菜、魚などを使って、バーベキューや焼肉をした。
火を囲み、酒を飲み、話をする。昼間に山で汗を流した後、皆で食べる肉や魚はうまい。
ライトトラップやバナナトラップを設置して、昆虫採集もした。
クワガタやカブトムシ、さまざまな蛾などが集まってくる。大人も子どもも、それを見つけては歓声を上げた。
Camp D-1の開拓は、単なる作業ではなかった。
一日を通した、家族や仲間との遊びでもあった。
◆ 開拓作業そのものを遊びにする
普通に考えれば、自由に休み、子どもが遊び回っていたら、仕事は進まないように見える。
しかし、広大な山の開拓は、一日や二日で終わる仕事ではない。
短期間だけ人を効率よく働かせても、嫌になって誰も来なくなれば、それで終わる。
反対に、
「今日は面白かった」
「また行きたい」
と思ってもらえれば、次も人が来る。
参加者は、遊びに来たついでに、少し草を刈る。
昼飯を食べた後、
「もう少し道を広げようか?」
と話し、その場で少し道を広げる。
「ここは急斜面で危ないから、階段を作ろう。やり方はこの間、Aさんから教わったしね」
誰かがそう言えば、やりたい者が集まって階段を作る。
その後は子どもと川で遊び、飽きたら薪置き場へ枝を運ぶ。
夜まで残った者は、皆で食事をし、火を囲み、ライトトラップや仕掛けておいたバナナトラップで昆虫を探す。
そうした時間が積み重なり、少しずつキャンプ場が形になっていった。
私たちは、単に山を開拓していたのではない。
開拓していく過程そのものを、皆で楽しんでいたのである。

◆ 以前にも、同じことをやった
実は、Camp D-1以前にも、似たようなことをやったことがある。
ある教育施設の敷地に、荒れ果てた雑木林があった。施設側から依頼を受けて、森づくりを始めた。
最初は、施設関係者、保護者、子どもたちが参加した。その後、地域住民も参加できるようにした。
この時も参加は自由。弁当持参。参加費は一人五百円。
保険料のほか、おやつや飲料の購入にも使った。少し余れば積み立て、備品の購入に充てた。
道具も持参である。
最低限、鋸、鉈、軍手。使える人は、草刈り機やチェーンソーなども持ってきた。
夏には、雑木林の中にあった竹林の竹を使って流し素麺をした。冬には豚汁を作った。差し入れも大歓迎だった。
そうして数年かけて、荒れ果てていた雑木林は、散策路とデイキャンプ場を備えた森の遊び場になった。
そこは、施設関係者だけが利用する場所にはしなかった。地域住民も利用できるようにした。
そして現在も、施設関係者や子どもたち、地域住民の交流の場として使われている。
◆ 自分で作った場所には愛着が生まれる
完成した施設を誰かから与えられれば、人はそこを利用する。
しかし、自分で草を刈り、木を切り、道を作った場所は、単なる施設ではない。
「あの道は自分たちが開いた」
「あの場所の大きな倒木は、皆で片づけた」
「あそこで子どもたちと飯を食った」
「あの夜は、皆で火を囲んだ」
という記憶が残る。
法的な所有者が誰であるかとは別に、
「ここは私たちが作った場所だ」
という感覚が生まれる。
開拓メンバーがCamp D-1に愛着を持っているのも、そのためだ。
彼らは、完成したキャンプ場へ客として招かれたのではない。
まだキャンプ場の形すらなかった頃から、自分たちの手でその場所を作ってきた。どこを渓流で遊ぶ場所にするか、ファイヤー場やテントサイトをどこに設けるかも、皆でわいわい話し合いながら決めていった。
さらに、開拓に参加した者には、自分たちが作った場所や物に名前を付ける権利も与えた。
階段を作れば、作業に参加した者たちが話し合って名前を決め、看板を立てた。急で長い階段は、「ハートブレイク階段」と名付けられた。
切り出したコナラをチェーンソーで加工し、一人でベンチを作った者は、それを自分の名にちなんで「タクヤベンチ」と名付けた。ほかにも、目印になる木や岩などに、開拓メンバーが思い思いの名前を付けた。
そうして、作業道具を持ち寄り、食料を差し入れ、子どもたちと遊び、皆で夜を過ごしながら、Camp D-1を自分たちの場所にしていった。
だから、Camp D-1へ行くことは、他所の施設へ遊びに行くこととは少し違う。
自分たちが作った場所へ戻る。それは、故郷へ帰る感覚に近い。
◆ 指導者も参加者も、楽しくないならやるな
私が地域活動やボランティア活動で大切にしている考えがある。
「指導者も参加者も、楽しくないならやるな」である。
「地域のため」
「子どものため」
「学校のため」
どれも立派な理由である。
しかし、立派な理由だけでは、人は長く続かない。義務感と自己犠牲だけで活動を続ければ、いずれ指導者も参加者も疲弊する。
地域活動やボランティア活動では、ときに、
「地域のための活動なのだから、参加して当然だ」
「必要な活動なのだから、誰かが手伝うべきだ」
という考え方が見られる。
しかし、活動の意義を理由に、他人の参加を義務のように求めれば、参加する側にとって、活動そのものが苦役になってしまう。
そんな活動が、長続きするわけがない。
Camp D-1では、作業を遊びの反対側に置かなかった。
遊びながら作り、作りながら遊んだ。
参加費を取り、弁当も道具も持参させ、山を開拓させた。しかも、肉や野菜、魚や寿司、酒や菓子まで、自発的に持ってきてもらった。
確かに、表面だけを見れば鬼畜の所業である。
だが、誰も強制されてはいない。
疲れたら休み、遊びたければ遊び、やりたい者だけが作業をする。
作業が終われば帰宅してもよいし、そのまま泊まって皆と夜を過ごしてもよい。
それでもキャンプ場は形になり、皆に愛着が生まれた。
労働力として人を集めたのではない。Camp D-1を一緒に作り、その過程を共に楽しむ仲間を集めたのである。
これが、私の鬼畜式キャンプ場づくりだ。
さて、ここまでなら、少し変わったキャンプ場づくりの話で終わる。
だが、私が本当に書いておきたいのは、ここからである。
◆ ボランティアの原点は「志願兵」である
そもそも、ボランティアとは何だろうか。
英語の「volunteer」は、もともと自ら志願して軍務に就く者、すなわち「志願兵」を指す言葉として使われていた。その中には、日本語でいう、義に感じて自ら戦列に加わる「義勇兵」に当たる者もいた。その後、軍事以外でも、自分の意思で活動へ参加する人を指すようになった。
志願兵は、誰かに命令されて戦場へ送られる徴集兵ではない。なかでも義勇兵は、自分が戦うべきだと考え、義に感じて、自ら戦列に加わる者である。
徴集されたから行くのではない。報酬や賞賛を第一の目的として行くのでもない。
歴史上、すべての義勇兵が完全な自弁だったわけではないが、旅費や食費、装備まで自分で用意して戦地へ赴く者もいた。
少なくとも、
「誰かが必要な金と装備を用意してくれたら参加します」
「待遇がよければ行きます」
という発想から始まるものではない。
まず、自分の意思がある。そして、その意思に従い、命がけの戦場へ自ら赴く。その根底にあるのは、命令や強制ではなく、自ら引き受けるという覚悟である。
もちろん、Camp D-1の開拓メンバーは、戦場へ行ったわけではない。相手にしたのは敵兵ではなく、繁茂した草木や倒木、笹藪、急斜面である。持参したのも小銃や弾薬ではなく、鋸、鉈、スコップ、草刈り機、チェーンソーだった。
戦闘糧食の代わりに弁当を持参し、さらに参加費五百円まで払った。夜になれば、肉や魚、寿司、酒を持ち寄り、皆でバーベキューをする。
命がけで戦う義勇兵とは比べるべくもないが、
「自分の意思で参加する」
という点では、通じるものがある。
さらにCamp D-1では、「必要なものは、自分でも負担する」という姿勢も加わった。
Camp D-1の開拓メンバーは、無料の労働力として集められたのではない。Camp D-1の目的に賛同し、その場所を自分たちの力で作るために集まった。
だから、金も出した。道具も持ってきた。自分のできる作業を、自分の意思で行った。そして、自分たちが作った場所だからこそ、Camp D-1に愛着を持ったのである。
◆ 三つのベクトルを揃える
私は、社会活動やボランティア活動を続けるには、三つのベクトルを揃える必要があると考えている。
一つ目は、社会や人のためになること。
これは第一前提である。社会や人に害を与えたり、迷惑をかけたりする活動は、そもそもしてはならない。また、誰にも迷惑をかけてはいなくても、社会や人のためになるわけでもなく、単に自分たちだけが満足しているのであれば、それは趣味や私的な活動であって、社会活動とは呼べない。
二つ目は、自分自身がその活動を心から楽しい、面白いと思えること。
どれほど立派な活動でも、義務感や自己犠牲だけでは長く続かない。
「世の中のためだから」
「困っている人がいるから」
その理由だけで、自分の心を押し殺して活動を続ければ、やがて疲弊する。だから、その活動を自分自身が心から楽しい、面白いと思えることが必要になる。
三つ目は、その活動に必要な資金の多くを、自分たちで稼げること。
ここでいう「稼ぐ」とは、単に利益を追求するという意味ではない。物品や書籍の販売、自治体や企業から依頼されたイベントの実施など、自分たちが提供した価値の対価によって、活動を維持できる仕組みを持つという意味である。
私は、助成金が打ち切られたことで、活動をやめた団体をいくつも知っている。
しかも、私の知る団体の中には、活動を支えてきた助成金が打ち切られると、それまで資金を出してくれていた側を批判する団体もあった。
自分たちは社会に必要な良いことをしている。だから、誰かが金を出してくれて当然だ。
そう考えるのは、お門違いだと私は思う。どれほど社会的な意義を掲げようと、もともとは自分たちの意思で始めた活動ではないか。
そもそも、助成金は受け取る側が当然に受けられるものではない。交付する側にも目的や事情があり、予算にも限りがある。
助成金が出なければ活動できない。行政の予算が削られれば続けられない。寄付が集まらなければ何もできない。
外部からの資金に依存しすぎれば、資金が止まった時点で、活動まで止まりかねない。
それでは、活動の生殺与奪を他人に握られているのと同じである。
クラウドファンディングについても、私は同じように考えている。
クラウドファンディングそのものが悪いわけではない。新しい製品や書籍、映画などを作り、その成果を支援者へ返す。あるいは、災害復旧や、地域に必要な施設の維持など、社会的な目的に賛同した人から資金を募る。そうした使い方には、十分な意味がある。
しかし、私が目にするクラウドファンディングの中には、
「自分はこれをやりたい」
「自分の夢を実現したい」
「だから、賛同して金を出してほしい」
というものも少なくない。
もちろん、個人の趣味や夢に他人が賛同し、納得して金を出すのであれば、それ自体を否定するつもりはない。
だが、それはボランティア活動や社会貢献とは別の話である。
自分の趣味や願望を、「地域のため」「歴史や文化を残すため」「次世代へ継承するため」といった言葉で包み、社会的に価値のある活動だから支援されて当然だと考えるようになれば、おかしなことになる。
趣味なら、趣味でよい。
自分が面白いと思う企画に、同じように面白いと思う人から金を集める。それなら、最初からそう言えばよい。
社会活動として資金を募るのであれば、その活動が社会や人にとってどのような価値を持つのかを、明確に示す必要がある。
そして、クラウドファンディングは活動を始めるための力にはなっても、それがなければ毎回何もできないという状態では、助成金への依存と変わらない。
他人から集めた金を、活動を始めるための点火剤にすることはできる。しかし、それがなければ何もできない仕組みにしてはならない。
社会や人のためになる。
自分自身がその活動を心から楽しい、面白いと思える。
そして、その活動に必要な資金の多くを自分たちで生み出せる。
この三つのベクトルが、すべて同じ方向を向いて揃って初めて、活動は自立し、長く続く。どれか一つでも逆を向けば、社会や人のためにならない活動、義務感や使命感だけで動く活動、あるいは他人の金に依存する不安定な活動になる。
◆ 活動の燃料を他人任せにしない
Camp D-1とは別に、私が代表を務める団体について、これまで何度も、
「助成金をもらえばいいのに」
「あそこへ申請すれば、すぐに助成金が出るよ」
などと言われた。
しかし、私はその団体の活動に助成金を入れる気はなかったので、ご意見だけはありがたく拝聴するに留めていた。
その中で、ある環境系団体の代表から、
「〇〇という大手企業の助成金に申請するといい。うちも毎年もらっているし、あなたの団体なら、きっと採択される」
と勧められたことがある。
私は、
「あの企業に限らず、企業から助成金を受け取っていれば、後になってその企業に何か問題が出てきた時、批判しにくくなる」
と答えた。
すると彼は、
「助成金をもらっていても、何かあれば、うちは批判する」
と言った。
それは、その団体の考え方である。しかし、私はそうは考えない。
金を受け取れば、そこには少なからず恩義が生じる。その相手から助成を受けながら、資金提供と批判は別の話だと割り切ることは、私にはできない。
必要な時に何の遠慮もなく批判できる立場を保ちたいなら、最初から金を受け取らない方が筋が通ると考えている。少なくとも私は、その自由を自分から手放したくなかった。
助成金を利用する活動そのものを否定するつもりはない。公共性の高い活動や多額の費用が必要な事業では、助成制度が大きな力になることもある。資金がなければ救えない人もいれば、実施できない事業もある。
だが、自分たちが必要だと考え、自分たち自身も心から楽しい、面白いと思える活動ならば、まずは自分たちの力で資金を作るべきだと、私は考えている。
Camp D-1の開拓も同じだった。
あれは、私たち自身が必要だと考え、やりたくて始めたことだ。
子どもたちが自然の中で遊び、学び、さまざまな体験ができる場所を作る。そこで大人も自然保護や森づくりについて考え、その技術を身につけ、次の世代へつないでいく。そして、自分たち自身も楽しむ。
私たちは、そうした場所を自分たちの手で作ろうと、Camp D-1の開拓を始めた。
それなら、そのために必要な金と道具は、まずは自分たちで用意し、労力も自分たちで負担すればよい。
必要な金は自分たちで出す。必要な道具は自分たちで持ち寄る。足りないものがあれば、自分たちで稼ぎ、工夫して用意する。
金を出したからこそ、他人事ではなくなる。道具を持ってきたからこそ、自分の役割が生まれる。
汗を流したからこそ、その場所に愛着が生まれる。
最初から誰かに金を出してもらい、誰かに場所を整えてもらい、完成したものだけを受け取っていたら、Camp D-1は今とは違う場所になっていただろう。
助成金には、当然ながら交付する側の目的がある。申請条件があり、使途の制限があり、報告の義務がある。それは公金や基金を使う以上、当たり前のことだ。
だから、活動資金を外部に頼り切れば、活動の一部を資金を出す側の条件に合わせることになる。
私たちは、自分たちの活動を、自分たちの考えで進めたかった。
誰かの募集要項に合わせるために始めたのではない。誰かの予算がつくのを待っていたのでもない。
助成金は活動を動かす燃料の一部にはなっても、燃料のすべてを他人任せにしてはならない。
自分がやりたいことを、誰かの金が出るまで待つ必要はない。自分がやりたいことならば、自分で稼いでやれ。
見返りも、賞賛も、誰かのお膳立ても求めず、自分の意思で参加する。
それもまた、私が考えるボランティアのあり方である。
