第七章:潜水艦とか言う発想
第一章はこちら:第一章:特定部位
あの夏、ひよこ先輩の背中越しに見た“10本の脚”。
何度思い出しても、
心臓の内側に血が滲むような、不思議な感覚に襲われる。
恐怖とも違う。
興奮とも違う。
ただ、胸の奥がざわつく。
あれ以来、特定部位先輩は何かにつけて
「サブマリンタックルはどれだけ戦術的に優れているか」
「どれだけ勇気のある行動なのか」
を熱弁してくるようになった。
いや、普通に考えれば分かるだろう。
あんなもん、命捨てに行っとるやろ。
常識で考えれば、そうなる。
……だけど。
あの10本の脚の向こう側の景色が、
どうしても気になって仕方がなかった。
心臓に染み込んでくるような落ち着かなさは、
日を追うごとに強くなっていった。
■ サブマリンタックル
特定部位先輩には散々「嫌です」と言った。
言ったのだが、
ひよこ先輩が見ていた“あの向こう側”への好奇心が、
正直、勝っていた。
ペナルティキックという最悪の状況を
一発でひっくり返す力は確かにある。
そしてどうせ3番は、
ペナルティのフォワード突撃を止める役割がある。
どっちにしても痛い。
そうなると、
“なら、向こう側を見たい”
という気持ちが、ほんの少しだけ勝つ。
こめかみにスパイクが刺さらない限り、死にはしない。
たぶん。
痛いけど。
特定部位先輩に練習しているのを見つかりたくなかった
ので、ひとりでこっそり練習を始めた。
地面と平行に滑り込み、
相手フォワード5人の足をまとめて刈る軌道。
タックルバッグに潜り込んだ瞬間、
みぞおちから血が滲んでいた。
「……これ、普通じゃないな」
そう思ったのを覚えている。
■ 実戦投入
練習試合だったか、シーズン戦だったかは覚えていない。
ただ、相手の3番だけは強烈に覚えている。
180cm、120kg。
ラグビーをするために生まれてきたような体格。
“ただ突っ込んで来る”だけで、
味方全員の思考を止める怪物。
そして、その怪物がボールを持っていた。
——自陣前、ペナルティキック。
最悪の状況。
当然、突っ込んでくるのはあの3番だ。
遠くから走ってくる姿を見た瞬間、足がすくんだ。
怖かった。
あの夏、
ひよこ先輩の左手に触れた瞬間がフラッシュバックした。
(ああ、あの景色の向こう側だ)
相手3番がボールを少し浮かせ、
そのまま走り込んでくる。
「来る」
ひよこ先輩の背中が、重なるように見えた。
俺は、いつものモールを支える軌道ではなく、
ひよこ先輩の軌道で潜り込んだ。
しかし——
恐怖が、ほんのわずかに軌道を上へ逸らした。
ゴッ。
鈍い音が頭に響いた。
続いて、
熊みたいな咆哮 が聞こえた。
気づけば俺は、
なぜか10人の足元で、
熊のプーさんみたいな座り方 をしていた。
視界の端に、
普段は絶対に出さないような声で叫ぶ監督が映った。
関東Aリーグ大学の4番ロックを務め、
底の抜けた笑い方をする、
フィジカルの化け物だったあの監督。
“名前を呼ぶことが許されないあの方(略称不可)”
先輩という
怪物を造った、最終進化系みたいな存在。
その監督が、
警告の声 を上げていた。
でも俺には意味が分からなかった。
ただひとつだけ浮かんだのは、
「何が起きたんだ?」
という感覚だけ。
そのあとは、あまり覚えていない。
ただ、
試合中に救急車が到着し、
相手3番が運ばれていったことだけは覚えている。
その日の試合の結果なんて、どうでもよかった。
俺はただ、
“あの景色の向こう側”がどれほど重く、
深いものなのかを知った。
それだけだった。
第八章はこちら:第八章 ガラスの膝
(公開前の場合があります)
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