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第一章:「あの挨拶」の会社

本シリーズは特定の企業を批判する目的で書いているものではありません。
むしろ、あの時代に社会へ出た多くの人が
どこかで感じたかもしれない違和感の記録です。
それが個人の問題だったのか、
それとも時代の問題だったのか。
その問いを、冷静に辿っていきます。

アメリカから帰ってから、初めに入社した会社のことを思い出す。
今も、あの独特な挨拶は使われているのだろうか。
もうそのまま書いてしまうと会社が特定されてしまうので書けないが、
「オスッ」とか、そういう感じの挨拶である。
おはようございます、も、こんにちは、も、わかりました、も、
すべてこの挨拶。
今も日本のいたるところで、この挨拶が使われていると思うと、
なんだか滑稽な気もする。
だが、あの当時の私も含め、
言っている本人たちは大まじめである。
下手なことを言おうものなら、
ありとあらゆる方面から、
言葉という名の怨念で締めあげられるのだから。


アメリカでも、就職活動らしきものはした。
かわいがってくださった教授からの紹介などもあって、
面接にも行った。
だが、ある会社では、
インド出身らしき、肩書きもよくわからない人間から、
「面倒くさいけど、世話になったことのある教授からの紹介だから、
仕方なく会ってやったんだ」
そんなことを言われもした。
何しろ、世界的な不況のあおりで、
日本もアメリカも雇用が冷え込んだ時期だったのだ。
アメリカ人の大学新卒ですら、
就職率が5割に満たない、
そんなニュースを見た記憶がある。
ましてや、アメリカ東海岸の、
日本とは縁もゆかりもほとんどない地域では、
就職は絶望的だった。
そして、
ガンの治療から生還したものの、
入退院を繰り返す親父の世話に明け暮れていた母からの、
「日本に帰って、少しでも近くにいて欲しい」
という言葉。
それに、
アメリカでの生活に、少し疲れていたことも重なって、
最終的には帰国を決断した。


今でも「就職氷河期世代」という言葉が残っているように、
当時は、就職活動をする学生にとって、
とても苦しい時代だった。
それに、
まだインターネットが普及し始めたばかりの頃で、
まとまった情報なども、ほとんどなかった時代である。
アメリカでは、
ある程度の情報をインターネットで拾えていたが、
日本では、ネットワークに接続しているPCを探すこと自体が、
難しかったように記憶している。
とりあえず、
英語が人並み以上に話せるのだから、ということで、
色々なところにアプローチした。
大手のコンサルティングファームから、
英会話学校、
不動産会社まで、
普通の就職活動と呼べるものもあれば、
飛び込みで、雇い口がないか聞いて回ったこともある。
そう考えると、
個人で飛び込み営業をするくらいなのだから、
就職口がない以上、
「営業」という分野に入るのも、
悪くないんじゃないかと思った。
その流れで、
営業のポストを探して、
見つけたのが、
冒頭で述べた会社だった。
少し遠方にあった会社の説明会に参加し、
あっという間に採用通知をいただいた。
それが、
自分の経歴などとはほとんど関係なく、
とんでもない離職率の高さゆえのものだったと、
ようやく気づいた頃には、
私はすでに、この会社の研修を受けていた。

第二章はこちら:第二章 離職率9割
(公開前の場合があります)

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