国民代表最高機関 : 地域住民代表機関 対比して見えてくるこの国の政治家
結論
『地方自治の難しさに勝るものなし。国政の難しさ今や体現せし者、無し。
人の難しさと堕ちてしまった国政に期待できるところなし。
どうやら、国政は簡単な様子を見せている。感じさせてくれる。が、地方自治の難しさはけして陣笠には勤まるまい。』
飛鳥世一
さて、本来的には「良識の府」であるところの国権のもう一方の最高機関の選挙も終わり、落ち着きを見せよう頃かと思うのだが、巷は落ち着きを見せるどころか、石破茂総理の退陣を巡って喧しい。当のご本人は国民感情や他政党の思惑など何処吹く風の按配を見せており、政治空白を作るわけにはいかぬと嘯いている。
中には身内であるはずの被任命大臣の職にありながら、退陣を要求するという、なんとも図々しくもマッチポンプのような閣僚もいるようであるからして、国民目線から眺めると愚かしくも見えてくる。
何処かにも書いていたようだが、退陣を求めるのであれば、先ずは自ら職を辞してからすべきが道理との考えを見るに、然も在りなんではあるのだよ~と、嗤わずにはおれない次第。
まぁ、イジマシイのだ。自らの立場、職より齎される権益に恋々とする姿勢。ふむ。これも多様性の一端なのだろうが、はじめから政治信条がその程度のものと判っておれば有権者の行動も変わったものかもしれぬが、その地位についてみなくば「お里」の馬脚は中々に見ることは出来ないものである。
24年に裏金問題で名前が上がり、党の役職を外され懲戒懲罰を受けた者がさも禊は終わったと言わんばかりに総理総裁の辞職、退陣を声高に叫ぶ。それが民意だと言わんばかりに。先生、貴方の地元の村のことは分らぬが、国民目線から申し上げれば、先生、貴方ももう終わっているのだが~と一人テレビに向かって云々する。
他方、躍進を遂げた政党に目を向ければ、罵詈雑言、誹謗中傷、些か主観に頼った悪口をこねくり回す。「醜く奇妙な生き物」と、自国の最高権者にむけてコキオロス。これが現代の「良識の府」だそうである。
わらしも考え方を改めなければなるまいよ。
大丈夫か ? 日本。
この国の"文化"とはそういうモノであったっけ ?
こういう人々が選ばれる文化的背景を有し、政治の場に押し上げられることが成熟した文化と民度だったとは考えたくないのである。
自国の最高権者に首相、総理、宰相、総裁という明確に立場を担保する呼称があるのであれば、最低限、それを大切にするべきだろう。
なんだかねぇ~ そういう最低限の礼節の入り口さえ機能しなくなっていることに、「極まれり」と感じることを止められない。
いや、申し上げさせて頂けば、寧ろ「地域住民代表機関」である全国知事会の皆さんの方が倫理観が機能としていると考えるのはわたしだけであろうか。
例えばLinkの朝日新聞の原稿から抜粋させて頂くが……
提言では「国は外国人を『労働者』と見ているが、地方自治体から見れば日本人と同じ『生活者』であり『地域住民』である」と指摘。今後運用が始まる「育成就労制度」では、幅広い職種で受け入れを可能にすることや、地方自治体が行う日本語教育などに関する予算を十分に確保すること、多文化共生施策の根幹となる基本法を制定することなどを政府に求めている。
制度側の有り様としての倫理観は見事に機能しているではないか。
いや、寧ろ、地方行政にここまで言われる、国民代表機関の体たらくぶりに背筋に寒いものが走るのである。
中でも、知事会の声明文の中に「多文化共生」という言葉が埋め込まれていることが秀逸なのだ。
さて、今般、新たに国会議員となられた皆さんのどれほどの人が、この場面で多文化共生という言葉を引き出せたろうか。
多様性という言葉と多文化共生という言葉の違いをどれほど明確に有権者に語り掛けることが出来るだろうか。ここは興味深いところではある。
ただ、もうそろそろ行く末も見えてきた私ごときに言わせていたただくなら
、多文化共生とは、受け継がれて然るべき日本文化が存在する前提ではあろうとは思うのだが、政治家自らが日本の文化に後ろ足で砂をかける様を見せているこの国、寧ろ、文化のリビルドに舵を切った方が簡単そうに思えなくもないのである。
とりまとめにあたった静岡県の鈴木康友知事は「外国人が国内で生活することへの対応は、これまで自治体任せになってきた。国が責任を持って施策に取り組むことを要請する」
日本が向かうべき本来の「多文化共生国家」の有り様については、残念ながら、今の日本政府に画はかけまいヨ。
寧ろ、全国知事会さんの知恵を以て現実的条文の反映を以て地方自治政策に取り組んでもらいたいところではある。
正直なことを書かせて頂くが、育成就労制度にしろ、技能実習制度にしろ、難民保護政策にしろ、この国が作った制度には多くの課題を抱えている。
全国自治会さんが仰る、本来の多文化共生が機能する仕組みを盛り上げるためには、日本国民が共有できる大きな画が必要なのだが。
さて~ そういう日は来るのでしょうか。
了
