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「多様性」という言葉が「踏み絵」化する日本なのだが、大丈夫か ?

Diversity~多様性である。

予め書いておくが、所謂、横レスに近いものとなるのだが、けしてコメントをやり取りしておられる板主、コメント主を揶揄し貶めることを目的として書いたものではないとご理解いただければ有難い。

主義主張などというものは何処まで行っても個々人に委ねられた権利である。それについて、匿名免罪符のもと、偽名の元やり取りすることなど不毛でしかない。言うなればバカバカしく、夏の蒸し暑さを増長する程度の役にしかたたないのである。

さて、ここで奇特なるここの読者諸氏に問うてみることとしよう。
坊ちゃん、嬢ちゃん、兄ちゃん姉ちゃん、おっちゃんおばちゃん、爺さん婆さんすべての世代、凡ての書き手に問うてみよう。
あなたは『多様性』という言葉の定義を自らの中にどの様に落とし込んでおられるだろう。魔坂、いの一番に「飛鳥世一である」などと想い出した者などおらんめいな ?  外れてはいないが全てではないw

フォロ友である、中阜つつじ氏のLinkの原稿にわたしもコメントを残しているのだが、「有馬氏」という若手の論客がコメントを投げ込んでいる。
オモシロガルつもりは無い。だが、興味深い。あちらにコメントを入れることも考えたが、板が荒れるであろうから、あえてこっちに持ってきた次第である。

さて、ここでこの有馬氏の思想の源泉であり傾向でありを深掘ることは余計なお世話であり、極めて客観性に乏しく無責任な書き物となることから、その辺りは読み手の判断に委ねたいところではある。

が、わたしが取り上げたい一節をコメントから抜き出させてもらう。
有馬氏曰く
「現状を肯定する思想であるLGBT、多様性、リベラルは、競争を避けるから個人の成長に繋がりずらく」とある。

ここで取り上げた「多様性」という言葉を抜き出して書くのであれば、現状を肯定する思想である、多様性は、競争を避けるから個人の成長に繋がりずらく~となる。

これで話しはわかりやすくなるだろう。有馬氏は「多様性」というものについて、マジョリティーとマイノリティーという考え方が根底に根差していることが覗えるのだ。良い悪いを論じるつもりは無い。むしろ多様性という言葉の持つイメージであり価値観の一面を顕著に示した言葉とすら思えることは書いておかなければならない。貴兄の感じ方も多様性の一つである。宗旨の哲学も多様性の一端だ。

以下にAIの解釈を抜き出して書いておくので眺めて欲しい。

多様性(ダイバーシティ)とは、年齢、性別、人種、国籍、宗教、性的指向、価値観など、様々な属性やバックグラウンドを持つ人々が、互いを尊重し認め合い、共に生きる社会や組織の状態を指します。記事によると 企業においては、多様な人材を活かして組織全体のパフォーマンス向上を目指す「ダイバーシティ経営」が注目されています。記事によると

多様性(ダイバーシティ)は、大きく分けて以下の2つの側面から捉えることができます。記事によると1. 表層的ダイバーシティ:
外見から見て判断できる多様性、例えば、年齢、性別、人種、国籍などです。記事によると
2. 深層的ダイバーシティ:
内面的な多様性、例えば、価値観、経験、スキル、性格、宗教、性的指向などです。
多様性を受け入れることは、単に様々な人がいる状態を指すのではなく、それぞれの違いを理解し、尊重し、活かし合うことを意味します。

https://www.google.com/search?q=%E5%A4%9A%E6%A7%98%E6%80%A7&sourceid=chrome&ie=UTF-8

氏の言うところの「競争を避けるから個人の成長に繋がりずらく」の根拠は
AI解説の「それぞれの違いを理解し、尊重し、活かし合うことを意味します」というところを拠り所としていることに理解を見出すことが出来るのである。


しかし、有馬さん。貴兄________貴兄もその多様性の中に含まれていることを見落としてはいまいか。多様性のピースの一つなのだ。70億分の1なのだ。それを理解しておられれば、表現は変るだろう。


私に言わせれば、残念ながら今の日本においては、多様性という言葉が正常に機能はしているとは考えられないのである。本来的には多様性という言葉が示すものは「人間」であるべきはずなのだ。
それが、マジョリティー、マイノリティー、優劣、貧富、ノーマル・アブノーマル、という仕分けをする上での踏み絵化しているのが現状なのだ。
所謂「逆差別」の根である。
ここに気が付く必要がある。

「あの人変わっているよね~ひょっとして変人?」
「駄目よそんなこと云っちゃ、多様性の時代なんだから」
これが今だ。他人事である。
1億2千万人の日本人が多様性を支えていることに気付いていないのである。
多様性にセグメントされた人々をまるで物珍しいものを見るような目でみる。自分は「マジョリティー側の人間である」と幻想を抱きながら。

脆弱な価値観に不安を抱きながら今のマジョリティーに寄り添う。
自らも多様性の構成分子であることに蓋をしたままに。それが人間であることを見ぬままに。


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