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鬱になって『好き』を失った僕が、いま思うこと

少年期からずっと気分変調症を抱えてきたが、20代後半で本格的な鬱を経験した。

それを境に、『好き』という感覚を見失った。

それまではゲームしたり小説を書いたり、それなりに好きなものがあったのに、鬱を境にそれらが楽しめなくなった。
ゲームをしていても楽しいとは感じないし、小説に至ってはまったく書かなくなってしまった。

どうやら、鬱病になると好きだったものに関心を持てなくなるそうだ。

生活に対して、色という言葉を使った人はきっと頭がいいんだろう。

鬱を経て、僕の生活は文字通り色を失った。

好きなものが好きでなくなっただけで、こうも生活は味気なくなるのかと驚愕した。

それ以来、なんとなくの意識でぼんやりと生きてきた。

そして気づけば、5年以上も過ぎてしまった。

ただ、最近は少しだけ復調の兆しがある。

失われたものを完全に取り戻せてはいないが、その尻尾をわずかにつかめている気がする。

この機会に、鬱の経過と、失った好きなものの取り戻し方について考えてみようと思う。

急性期

鬱には急性症状というものがある。

とにかく何もできなかったり、理由もなく涙が出たり、体が動かなくなったりする症状だ。

この時期はとにかく絶望するしかなく、好きなものなんて考える暇もないだろう。

僕の場合、涙が出るような急性症状はなかったものの、とにかく何もかもがおっくうになって布団の住人になっていた。

かつて、好きなことすらやる気になれなかった。

そのことに焦り、頭の中でそれらしい理屈をこねくり回し、結局は動けない日が続いた記憶がある。

急性症状があるうちは療養が最優先だ。

思い悩むのは仕方ないとしても、好きなものとかそういうことはこの際どうでもいい。

病院にかかり、薬を飲み、死なない程度に栄養を取って、症状が落ち着くのを待つしかない。

嵐を抜けた後

鬱を経験した人の大半が、好きを失ったことに気がつくのは、急性症状の嵐を抜けた後になるだろう。

多少の生活ができるようになって初めて、失われた『好き』の風穴に気がつくことになる。

僕の場合もそうで、空いた時間にゲーム機に手を伸ばしてみたが、どのソフトをやっても何も楽しいと感じられなかった。

文章を書くという行為に至っては、やろうという気にすらならなかった。

元気な時は小説なども書いていたが、この時期は書店に近づくのも嫌になっていた。

最低限、人間が生きていける程度の生活は営むことができる。

しかし、好きなものや興味があるものに取り組むという、人が人として楽しく生きていくための最重要項目が失われてしまうのだ。

表面的には見えないことだが、これが鬱を経験した人の大きな苦しみになると思う。

好きを取り戻す第一歩

僕の場合、好きが失われてからしばらくの間は、ただただ絶望していた。

薬のおかげか、動けないほどの症状はない。
生活はできる。

なのに、僕を僕たらしめる要素が抜け落ちてしまっているのだ。

正直、急性症状に苦しんでいた時期よりも、この時期の方が生々しく命の終わりを感じていた。

しばらくは、失くしたものをなぞるようにゲームばかりしていた。
昔クリアしたソフトを収納から発掘し、繰り返しプレイしていた。

取り戻せなくても、試すこと自体が重要なのだと言い聞かせていたような気がする。

そうしているうちに、わずかながらにかつての好きが戻ってきた気がする。

小さな変化ではあったが、新作のゲームに興味が湧くようになったのだ。

次第に、何度もプレイしたレトロゲームではなく、新しいハードの新作をダウンロードしてプレイするようにもなった。

文章を書くこと、ひいては小説を書くことについての興味関心についてだが、これは今やっているように、noteを書くことで少しずつ取り戻せている気がする。

これには、ゲームへの関心を取り戻す以上に時間がかかった。

他人の書いた文章を読んで、自分でもnoteを書いてみて、何度も何度も記事を重ねて、ようやく今は小説を書くという、かつて好きだった行為に興味が向き始めている。

暇があれば頭の中でストーリーを組み立てるようになっていて、あと一押しがあれば、プロットを書き始められるかもしれないところまで来ている。

本当に時間がかかってしまったが、どん底だった時と比べたら大きく前進したと思いたい。

好きを取り戻したい人へ

かつて好きだったものをひたすらに反復する行為を試すことで、僕はどうにか、昔持っていた『好き』の断片くらいは取り戻せたように思う。

重要だと感じたのは、とにかく試してみること。
好きだった曲を聞いてみる
興味があった分野の雑誌を眺めてみる
映像作品を数分間だけ見てみる

小さいことでも、何気ないことでもいい。

何なら、何も考えずに刺激を入れてみるだけでいい。

僕はこういった、小さな試しを反復していくことで、どうにかかつての好きの輪郭くらいは取り戻せたような気がする。

ただ、鬱になる前ほどの興味関心や情熱を取り戻せたとは言い難い。

昔なら「やってやる!」という勢いがあったのが、現在は「死ぬまでの暇つぶしにやってもいいか」程度の熱量だ。

それでも、何かに取り組めることには感謝している。

何かをやったという実感は生きる上で重要だし、それが苦痛でない行動なら素晴らしいことだと思う。

できれば、まっすぐに好きなものに没頭したいところだが…

世の中は理不尽で、現在進行形でひどい鬱を体験している人もいるはずだし、好きなものを失って宙ぶらりんになってしまっている人もいるはずだ。

一人でも多く、そういう人たちにこの文章が届き、好きを取り戻すための小さな種火になるのなら幸いだ。

僕もまだ、好きを取り戻すという試練の真っただ中にいる。

もし、何か画期的な方法が見つかれば、またここに書く気でいる。





ここまで読んでくださりありがとうございます。
記事を書くのは私にとって思考を整理する大切な時間でもあります。
もし少しでも共感や気づきがあったら、サポートしていただけると今後の記事づくりの励みになります。


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