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【連載小説】声を聞かせて#22 bestie act 3「チキン南蛮」他


チキン南蛮

 キッチンを覗くと、母ます子がガラスのボウルでレモンイエローの何かを掻きまわしていて、真行には今日の献立がわかった。
「チキン南蛮だ」
 ます子は笑い、
「一息つけば」と言った。
「うん。コーヒー飲む?」
「あら、嬉しか」
 真行は電気ケトルに多めの水を入れた。ステンレスのドリップポットを棚から出し、マグカップを二つ用意する。
「父さんは」
「買い物」
 大きいまな板を取り出して流し台に渡し、ます子はキャベツを刻み始める。眺めながらケトルの湯が沸くのを待っていたが、真行は言った。
「俺って子どもの頃、何か物語のようなもの書いてた?」
「物語? そげは、えいちゃんのほうが好きかったねぇ」
 子ども時代を思い出したか、ます子は懐かしい呼び名を使った。
「まぁくんは、どげやったかなぁ……」
 まぁくんて。真行は笑った。
「覚えがないからさ、母さんならわかるかと思って」
「えいちゃんほど、おしゃべりでもなかったしねぇ、お父さんに似て。ぼーっと窓の外ばっか見て。けど作文やらは文集に載せてもろうちょったよ」
 ドリップポットにフィルターを乗せたところで、肇の車が戻ってきた。真行は父親のマグカップを棚から降ろした。
 ——文集か。作文って、どんなことを書いてたんだろう。

 買い物袋を提げてキッチンに来た肇に、
「コーヒー飲むでしょ」と聞くと、
「ああ、そういや、事務所に女子学生ば二人来ちょったど」と言った。
「うちの?」
「心理コースば言いよったばってん、棚橋綾子教授のとこて」
「た」真行は言葉を飲んだ。「なんで?」
「なんでて。話せば長くなるばってん」
「あらぁ……聞き捨てなりませんね?」
 皿にキャベツの千切りを盛りつけていたます子が口をはさんだ。真剣になるとます子は標準語になるので、わかりやすかった。しかし詳しい内容は夕食のとき、と肇が庭に逃げたので、話は途中で終わった。

(日本食研のチキン南蛮の素で作ると美味しいyo)

 チキン南蛮の夕食を囲んで、肇が女子学生たちと知り合った顛末を説明し終えるや、
「はぁ!」
 とます子はため息をついた。「また、そんなヒーローのごたこと! そんで……どげしたの」
「どげんもこげんも、更生保護活動の取り組みやら教えてほしか、てさ。そいだけたい」
 真行は二人の話を黙って聞きながら食べていた。そこへます子が、
「ねぇ?」と言った。
「あんた心当たりないの? そげな女の子ら」
「心当たり?!」
 あまりの問いかけに、真行は言い返した。
「あるわけないでしょ、そんなの偶然だって……」
「偶然? なんだぁ、もう」
 ます子はがっかりする。真行は肇を見たが、表情に変化はない。なんかないの……と思ったが諦め、真行は言った。
「あの、今ね、研究室でいろいろ……あまり大きい声で言えないプロジェクトに取り組んでるから、学部の子と話す機会、あんまりないんだよ」
「大きい声で言えないて何!」
 その声が大きい。真行は箸を置き、湯呑みを取った。
「秘密というか……変な研究じゃないんだけど。だからね、それが済めば少しは他の学生とも話す機会……」
「そうなの。そうね。今日もずっと家に引きこもってから……」
 眉をひそめて言うます子を見てか、
「そげんか? たまには息抜きばしろ」
 と肇が珍しく口をはさみ。
 頑張ってなにか言えば言ったで気まずくなったな、と真行は思った。

きっともっと

 部屋に戻り、サッシを引いてベランダに出てみた。夜風が渡ると肩口が冷える。カレンダーを十二月の風景に変えたのはいつだったか。他県に出た友人たちも、じき年休を取って帰って来る。その頃も、俺はまだミラーと話しているのか。
 いつまで。そうだ、いつまで続くのだろう——。

 部屋のベランダから見える景色は、子ども時代と同じなようで、実際はずいぶんと様変わりしている、と真行は思った。
 幼い頃と今、自分自身はすべて地続きにつながっているはずなのに、それは時に、ひどく曖昧だった。ミラーに話した幼少期の記憶を思う。
 あの少女はどこから来て、どこへ行ったのだろう。
 ほんとうに二度と会えなかった?
 もしかして会っていて。
 もしかして——。

 ベランダの手すりにもたれて、真行は目を閉じた。ミラーと創っていく物語のことを、頭の中で整理するために。
 物語の舞台は、あの公園。
 そして主人公の俺は、いつもと違う俺。どこか違う自分。
 どう違う? すべてが……。
 一般に物語を創るとき、作者はそこに理想を置くものだ。
 現実ではできないことをしたい。
 現実では見えないものを見たい。
 行けない場所へ行き、そして。
 本当にやりたかったことを——。本当にやりたかったことだって?

 手のひらで額から目元を覆い、真行は深く息をついた。
 恐ろしい実験だ、これは。
 だから日高愛勇理は躊躇ったのだろう。あんなにも。
 しかし俺は出来ると言った。
 やるしかないんだよ。
 覚悟を決めろ、小城真行。

 今日こそ、今日から。
 あの頃ずっと考えていたことを始めるんだ。俺は。
 きっと、もっと。こんな自分じゃなく、もっと。
 自由な場所で、本当の自分の願いから逃げず、もっと。

 強くなるんだよ。
 もっと強く。

#23に続く……

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