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小暑の「山中温泉」を歩く、五感に訴える1泊2日ひとり旅

温泉街のまちなみを歩くのが好きだから、温泉旅に行く。そして泊まる。 そんな角度からの楽しみ方があってもいい。

先週訪れた鬼怒川温泉 からの帰り道、まだ余韻が残るうちに「川沿い」「静かな温泉街」というワードで検索しはじめた。そして挙がる温泉地のなかで、なんとなく目に留まったのが石川県加賀市の「山中温泉」だった。

私は温泉に詳しくないし、関東近郊にもっと行くべき場所がある気もする。けれども、森のなかでひそかに温泉郷が形成されていそうな響きが魅力的で、直感的に次はここだ、と心に決める。
それに、生まれも育ちも関東平野の私は、あまり縁のない日本海側の地域というだけで無条件に気分が上がってしまうのだ。

山中温泉は、その名称から想像するほどの秘境ではない。北陸新幹線で東京から加賀温泉駅まで一本、そこからバスで30分程度でアクセスできる。
この一帯は加賀温泉郷と呼ばれる山中・山代・片山津・粟津の4つの温泉地が広がっていて、湯めぐりに魅力的なエリアなのだが、あえて福井県側から歩いて県境を越えるという変則的なコースどりを選んだ。




#1日目


福井の自然が好きだ

人生2度目の福井駅。

駅前を数キロ離れると、視界が開けて緑の絨毯が広がった。

まぶしい空に山並み、光を受けて青々と輝く田圃。ここ数週間はどんよりとした憂鬱な天気が続いていたので、一気にスッと爽快な気分になる。この自然に触れたくて、きょうはわざわざ福井で降りたのだ。

今週から、急に梅雨明けの気配がおとずれた。気温30℃を超え、強い紫外線が全身を焼く。1、2時間も歩けば、まだ夏の準備ができていない頭頂部が熱を持ってぼうっとしてくる。

「奇数月」「偶数月」月がわりの駐車規制標識は福井県に多く、レア
あわら温泉もいいな

山中温泉に向けて、ゆるゆると標高を上げていく。

遮るものがない陽射しは容赦がないので、前方に薄暗く無機質なトンネルを見つけるとほっとした。トンネル内に足を踏み入れると、外気と切り離されてひんやりとした空気に包まれる。これがオアシスだと感じ、身体がよろこんでいるのが複雑である。あざやかな景色が恋しくて、私は夏の到来を心待ちにしていたのではなかったか。

富士写ヶ岳の麓にあるダム湖・富士写湖を通り過ぎて、やがて県境を越えて石川県加賀市へと入る。

赤い骨組みがカッコいいが、歩行はやや危険

山中の温泉郷

約30キロ歩いて、山あいに現れた山中温泉 湯畑の宿 花つばきが本日の宿である。山中温泉の一番奥、温泉街からはずれた場所にたたずんでいる。

突発的に予約できて、かつ比較的手ごろな価格で二食付きという理由で選んだが、部屋は12.5畳と広い。
これは喜ぶべきことなのだけど、バックパックひとつで気軽なひとり旅には広すぎる気もする。どうも落ち着かず、どこに座ろうかと迷ってしまう。6畳間に小さなちゃぶ台とテレビ、冷蔵庫、薄い布団が敷かれているくらいが自分の身の丈に合っているようだ。

荷物を置くとすぐ、温泉街の散策へと繰り出すことにした。

山中温泉は開湯1,300年もの長い歴史を持ち、松尾芭蕉が『おくのほそ道』の途中で立ち寄って「扶桑の三名湯」と絶賛したと言われる。温泉の句をあまり残さず、温泉嫌いだったという説まである芭蕉が魅了された温泉地とは――。

大聖寺だいしょうじ川上流の山あいに形成された温泉街で、川に沿って鶴仙渓かくせんけいという美しい渓谷が続いている。

渓谷の清流に架かる3つの橋はすべて趣が異なり、総ヒノキ造のこおろぎ橋はもちろん、まるで現代アートのように洗練されたあやとり橋まで、各々のかたちで自然と調和しているのがすごい。

こおろぎ橋
あやとり橋

橋好きとしては、茂る木々が名橋を覆い隠してしまう点だけは残念で、横からのアングルをもっとよく見たいと思った。しかし、このいじらしさもまた渓谷美を醸し出している、のかもしれない。

風情あるゆげ街道をたどって、温泉街の中心部へと向かう。

ここには山中節の唄や踊りなどの伝統芸能が楽しめる「山中座」や、山中温泉のシンボルである総湯「菊の湯」がある。

「菊の湯」・男湯

男湯の建物の前には温泉の湧き出し口があり、温泉卵の手づくり体験ができる。夜食にちょうどよさそうだ。番台で3個入の卵を購入し、カゴごと湯に沈めて40分待った。


私の旅はいつもこうである

周辺の散策から戻り、期待を込めて引き上げたその瞬間。
「あっ!」
細い持ち手が手からするりと抜けた。直後、足元でかしゃっ、と虚しい音が響く。私の温泉卵が……。

「あらー、落としちゃったの?」
慌てる私の背後から、すべてを察したようすの番台さんの声が飛んでくる。多分よくあることなんだろう。ひび割れた卵を拾って持っていくと、手際よくカップに移してくれた。一部はこぼれてしまったが、おおむね食べられる状態だ。

カゴなどを汚してしまったことに恐縮しながらも、やさしく手渡された卵の殻を剥いてスプーンですくう。すると、湯上がりの白身はとろりと軽くほどけて、黄身は思ったよりも濃厚。おいしい!この凝縮されたうまみは、お腹に入れば一緒なのである。

歩いて宿に戻り、これまた分不相応な会席料理と地酒を堪能する。

そして、食後はすぐにお目当ての温泉へ。大浴場はたまたま貸切状態で、広い湯船をひとり占めできた。やわらかい湯が心地よく、温浴と水風呂と行き来してゆっくりと浸かる。
当宿は混浴野天風呂が人気で、「せっかくだから」と思いつつも、女性ひとりで混浴はあまり気が進まずにやめておいた。リラックスしにきているのに、周囲に気を遣うのは本末転倒じゃないか。

布団に潜り込むと、暑さでいつもより疲労感が強い身体はすぐに眠りに落ちた。


#2日目


違う表情をみせる温泉街たち

まだ薄暗い4時半。 前日のだるさを若干引きずったまま、お隣の山代温泉まで片道約8、9キロの散歩に出ることにした。

温泉街に立ち並ぶ店に締め出され、ガラス扉が自分のすがただけを冷たく映すまちは時が止まったように感じられる。

コロッケが有名で、日中は賑わう肉屋

この早朝を支配するのは、人間ではなく石畳の上を軽快に跳ねるスズメたちだった。よそものの私は、かれらの邪魔をしないようにそっと大回りして進む。

地面に転々としているのがスズメ

「毎朝歩いてるの?」
静かな民家が並ぶ通りで、年配の男性から呼び止められた。
「今日は山中温泉に旅行に来ていて、散歩してるんです」「軽く運動して、温泉に入ってから朝ごはんをおいしく食べようかなー、と」

今年72歳になるというその方は、肌に張りがあって姿勢がしゃんとしている。健康のために朝晩30分ずつ歩いているそうで、いつも若く見られるのだ、と朗らかに笑う。さすが歩いている人生の先輩は違う。

別れ際にあめ玉をいただいた。寝起きからろくに水分を摂っていない喉が乾きを訴え出したので、さっそく口に含むと懐かしい甘さに癒される。

「山代温泉」では、朝早くから人々が銭湯セットを片手に出歩いていた。自然のなかでひっそりとした山中に対して、山代は早朝営業の共同浴場を中心に生活のにおいと活気が漂っている。このおだやかな賑わいにもまた、心が安らぐ。

湿度が高く、Tシャツを絞ったら滴るほどぐっしょりと汗をかいた。宿に着くと、このすがたを誰にも見られないことを願いながらそっと部屋に戻ってシャワーを浴びる。
枯渇した身体に染みわたる熱い味噌汁は、なぜこうもおいしいのだろう。日常では夜に歩くことが多いが、旅先で最高の朝食を味わうためなら、進んで早起きしようと思える。


「道」に思いを馳せて

チェックアウト後は足湯とアイスに浸り、「芭蕉の館」へと足を運んでコンパクトに温泉街を楽しみなおす。

パンフレットとともに渡される爪楊枝細工も素敵

『おくのほそ道』で彼がたどった旅路の展示を眺めると、あらためて、道というのは果てがないな、と思う。 かぎられた一生のうちに、私はどれだけの道を歩けるのだろう。「○○(全都道府県、鉄道路線、街道など)制覇」の肩書きをコレクションすることに興味はないが、まだ見ぬ土地への好奇心はとうぶん尽きそうにない。

山中温泉で詠んだ一句「山中や 菊は手折らぬ 湯の匂い」

最近は、旅程に余白をもたせたい。いわゆる観光名所を組み込めなくても、旅先の空気を肌で感じられればそれで十分だと思っている。温泉に入りたいという以上に、温泉街を歩きたいから泊まる。邪道かもしれない。でも、温泉もまた、私なりにその土地を知るための一環なのだ。

他人に自慢できるような旅じゃなくていい。心に残る小さななにかをひとつ持ち帰れるのなら。

バスで加賀温泉駅まで

旅の終わりとおとずれ

自分用のお土産として、かがの湯ぷりん を買って帰ろう。加賀温泉駅からすぐの店舗に足を運んだ。

すると、無情に下りたシャッターに「臨時休業」の案内が張り出されていた。 えっ。今回はとことん卵に縁がないんだなあ……。

かわりに駅弁の焼き鯖寿司を食べ、北陸の空気を名残惜しむ。

駅のコンコースには、九谷焼や山中塗といった加賀市の伝統工芸が並び、目を見張る華やかさだった。

「日本海口」という改札名の響きもすばらしく、この地下通路を抜けると海が広がっているのだろうか?どんな景色が待っているんだろう、と気分が高揚する。今年はやっぱり日本海が見たい。

しかし、待合室が設置されているだけのホームは一転して簡素で、そのさみしさには否応なしに日常への戻りを意識させられる。

冷房の効いた北陸新幹線に揺られながら、村上春樹の『夏帆』を読み終えた。 現実と、不可分に結びついた夢のはざまをふわふわと漂いながら、まだ道中で浴びた熱っぽい空気に浮かされている。夏が来たなあ。